風邪の日の朝ごはん
玄関のチャイムが鳴ったとき、つかさは布団の中でぼんやりしていた。
──夢じゃないよね?
おでこはまだ熱っぽく、声も少しかすれている。
けれど、その音が現実だと気づくまでに、そんなに時間はかからなかった。
ヨロヨロとドアを開けると、そこにいたのは──
「……カナメ?」
「寝込んでるって聞いたから、来た」
カナメはいつもと同じ無表情で、でもどこか気を遣うように声を落としていた。
手には保温バッグと、紙袋。
「家族、出張でいないんだろ? 一人で何も食べてないんじゃないかと思って」
言われてみれば、朝から何も口にしていなかった。
「……ちょっと、作るのもしんどくて」
つかさはそのまま玄関に座り込む。
素直に力が入らないのを、気取らず見せてしまえるのは、なんとなく、カナメ相手だからだった。
「ほら。とりあえず、食べやすいやつ。雑炊と、リンゴをちょっと。卵スープもインスタントだけどある」
「……なんでそんなに気が利くのよ。主夫か」
「男が家事できると主夫扱いか。ひどいな」
だけど、ふたりの間に流れる空気は、どこか穏やかだった。
保温バッグを受け取ったとき、湯気越しに、ほんのり出汁の香りが鼻をくすぐった。
つかさは目を細めて、ぽつりとつぶやく。
「……あったかい匂いって、ほっとするんだね。ひとりでいると、ちょっとさびしくなるけど」
「今日は、ちゃんと食べて、寝ろ。俺、またあとで連絡するから」
「……うん。ありがと、カナメ」
玄関の扉が静かに閉じると、つかさはあらためて袋の中を覗いた。
そこには、ちゃんと誰かがつくってくれたっていうやさしさが詰まっていた。
スプーンを手にとったとき、心の奥で、ほんの少しだけあったひとりの朝が、すうっと溶けていくような気がした。
そしてその中に、小さく折りたたまれたメモ用紙がひとつ。
「……なにこれ」
広げてみると、走り書きの文字が一行。
『元気になったら美味しいやつ作る。』
やさしい匂いと、あの走り書きの一言が、ふわりと心に残っていた。
……ほんの少し、風邪をひいてよかったと思えるくらいに。