第2話
第2話 —— 眠るように去った人
老婆は目を閉じていた。
その顔には、痛みの痕跡が一切なかった。
息を引き取った身体は、まるで
ひととき静かに眠っているようで、
今にも目を覚ましそうな穏やかさに包まれていた。
少年は、その前に座っていた。
長い時間、何も言わず、動かず。
表情は乏しかったが、
そこには説明のつかない揺らぎがあった。
それは感情と呼ぶには静かすぎ、
だが確かに「重み」があった。
やがて少年は立ち上がり、
老婆の身体をそっと抱き上げ、
彼女がいつも座っていた丘の上へ向かった。
そこは海と村を一望できる高台。
その日も、風だけがそこに座っていた。
少年は手で土を掘った。
音もなく、誰も見ていないまま、
小さな穴を作った。
誰も来なかった。
知らせる者もいなかった。
葬儀も、祈りも、名前すらなかった。
ただ、ひとつかみの土が
静かに、ひとりの人生を覆った。
夜は短かった。
少年は家に戻ると、
すぐに部屋を片づけ始めた。
戸が軋み、
古びた引き出しは埃を吐き出した。
箪笥の奥には、
老婆が使っていた小さな紙切れや、
古い茶碗、針、
そして長く使われていた毛布があった。
少年はそれらを
一つずつ畳み、拭き、整えた。
手の動きは丁寧で静かだった。
だが、その心は静かではなかった。
この家は、まだ彼には馴染みがなかった。
空気には今もなお、老婆の気配が残っていた。
彼はその空気の中に、
自分の居場所を見つけられなかった。
窓に風が当たったとき、
少年は手を止め、
自分の手のひらをしばらく見つめた。
確かに“自分のもの”であるはずなのに、
どこか借り物のような感覚があった。
彼はその部屋の中で、
自分だけが浮いているように感じていた。
夜明け前だった。
夜はまだ終わっていなかった。
少年は外へ出た。
空は濃い霧に包まれていて、
その下には黒い木々と、静かな土の道が続いていた。
彼は丘を越え、
その向こうにある泉へ向かった。
水は冷たかった。
少年は服を脱がずに、
そっと手を浸し、
やがてそのまま身体を預けた。
冷たさは目を覚ますようなものではなく、
むしろ、何かを消し去るようだった。
彼は静かに顔を上げ、
空を見上げた。
空は何も答えなかった。
星も、月も、今夜に限って姿を見せなかった。
ただ霧と風、
そして水面に映る自分だけが、そこにいた。
彼はその中で、
ゆっくりと、言葉のようなものを口にした。
「僕は……いったい……」