1章_01話目_学校の怪談(ルビ版①)
◇◆◇
暗闇に慣れてしまった目で辺りをうかがいつつ、私は、体育館倉庫の片隅で息を殺してうずくまっていた。
跳び箱とマットの山の間に縮こまって、助けの来ないと解りきった夜をやり過ごそうと必死になっているのだ。
風がガタガタと出入り口を震わせる。
未だ諦めがつかなかったしばらく前の自分も、同じようにガタガタと戸を鳴らして、鍵がかかっている事実を何度も確認したものだ。
お陰様で、絶望と音とがセットで思い出される始末。辛い話である。
さて、疲れと空腹と閉塞感で外に出たがっているだけならまだ良__くはないが、最悪ではなかっただろう。此処には、それ以外に絶望せざるを得ない理由がもう1つ、居座っていた。
__『噂』である。
怖い噂話なんてどの学校にもあるだろう、と笑い飛ばせないのは、残念ながら、本当に人が死んでいるらしいからだ。
調べて事件の記事を見つけてしまった、なんて言われて、怯えない方が難しい。
人死にが出た怪談の所在地から、逃げたくても逃げられない。
そういう、わかりやすく絶体絶命な状況なのだ。
茶化していないと自分の頭がどうにかなりそうである。
……ああ、聞こえ始めた。ポルターガイスト的な音が。
入口横のバスケットボール入れの中で、ボールが跳ねまわっているのだろう。
「檻の中の猛獣かよ」と悪態をつくのは胸の内だけにしておく。
お願いだから、せめて出てこないでほしい。
そう思っていたら、今度はバレーボールとバドミントン用のポールがガタガタ鳴り出した。入り口から順番に奥へと、こちらへと、向かってきている。
怖くて目を強くつぶった。
その時だ。
ガラリとドアの開く音が、広々とこだましていく。
風が吹き込んだ気もした。
もしかして助けが来たのかと、恐る恐る目を開ける。
「へ?」
いつの間にやら、どデカい瓶の中に詰められた私。
硝子の向こう側の女性は私のことを観察している様子で、居心地が悪い。
「貴方は、誰ですか?それと、この状況は…?」
「君、喋れるの?」
「はい?あ、はい。」
私の質問に答える気が無いのか、彼女は体育館倉庫内をぐるりと見渡して、何事かをつぶやいた。その様子にくじけるものかと、彼女の発した言葉を使ってでも会話を試みる。
「……死霊がいないって、本当ですか?さっきまでポルターガイスト?みたいなことが起きてたんですけど。」
「ああ。嘘なんかじゃないさ。死霊はいない。」
ようやっとこちらに状況を説明する気になったのか、彼女は話を続ける。
「死霊はいないが生霊はいた。だからこうして結界を張っている。」
わかったようなわからないような話に、あいまいな返ししかできない。
「ちょっと淀んでいる気もするが、他に重大な異常はないようだ。君にいくつか問いたい。」
「私ですか?わかることなら…って言いたいところですけど、ほとんど何も知らないですよ。」
「『ほとんど』ということは、ここについて知っていることもある、ということだろう。」
「本当に大した話じゃないんですよ、学校の怪談話なんで。『この体育館倉庫には昔閉じ込められて死んだ女の子の幽霊が取り付いていて、中に居たまま扉を閉めちゃうと酷い目にあう』とか何とか。」
「酷い目?よくある『殺されちゃう』系の話じゃ無いんだな。」
「それは、殺されたら話が出てくる筈ないから、じゃないですか?他に『腕を強く引っ張られた』とか、『肩を叩かれて振り返っても誰も居ない』とか、『叩かれた方の肩に手形が浮き出た』とかって噂も、あるみたいですし。」
「それ、誰から聞いたんだ?」
「へ?誰って……みんな?」
「みんなって、もっと具体的には?」
「そんなこと、言われても……」
食らいつくように彼女は質問を仕掛けてくる。何だか責められている気分になって来るが、言われてみて気が付いた。
__私のクラスメイトって、誰だっけ?
クラスメイトだけじゃない。親しくしていた友人3人の顔も、名前も、覚えているのに曖昧だ。
なんだかそれは、私と誰かの記憶が入り混じってしまったみたいな、情報の切り貼りばかりが目の前に広がっているみたいな感覚で、とても気持ちが悪かった。
「自覚したみたいだな。その違和感を取り除いていくから、暴れないでおくれね。」
混乱している中で、『彼女が助けてくれるのだ』ということだけが、身にしみ込むように理解できた。
一つ頷くだけでいっぱいいっぱいの私とは逆に、彼女は冷静な声のままだ。ガラスを操り、私の体を突き刺していく。
不思議としか言いようが無いが、刺されることが怖くないし、刺されても痛くない。
歯医者での部分麻酔のよう…と、記憶が引っ張り出せた辺りから、急速に視界がクリアになっていく。
心なしか、体も軽い。
「君が違和感を明確にしてくれたおかげで、時間がかからなかった。感謝する。」
「いえいえ。こちらこそありがとうございます。何だかスッキリして……の、前に、もう少し詳しい説明をお願いしていいですか?」
話をここで終わらせるわけにはいかない。あまりにもわからないが過ぎた。
残念ながら鈍い方だという自覚のある私は、おとなしく現状の解説を求めてみる。
すると、今度はあっさりと教えてくれた。
「詳しく話してもいいが、それだと時間もかかるし解り辛くなる。なので、もう一歩踏み込むくらいの話で勘弁してくれ。……君は生霊で、この場所にまつわる噂に絡まって元の体へ戻れずにいた。だから絡みついていた噂をほぐして、君の魂から切り離したのさ。」
「…つまり、これで私は元の体に戻れ、る…?」
「そういうことだな。」
「あの、生霊だっていう自覚が無いのですが。」
「む。それは珍しい。自覚もなしに長期間自我を保っていたのか。」
「…長期間?い、今って、一体何年何月……」
「24年の7月。」
その答えを聞いて、思わす天井を見上げた。
自分の記憶から、今は陽光暦の2023年10月だと思っていた。しかし実際には、ついさっき体から離れたわけではなく、9か月くらいの間この状態だったらしいのだ。
「よく生きてましたね。私。」
「そうだな。凄いことだ。」
「……戻ろうと思ったら体死んでました、とか、無いですよね。」
「さっきから『生霊だ』って言っているだろう。死んでないよ。体の許にたどり着くまでに何かあっても後味が悪いし、送っていく。」
「ありがとうございます。」
送ってもらっている間に、もう少し話を聞いてみる。
例えば、今なお私が入れられているこのガラス瓶__よく見たら出入り口が無さそうなので、瓶と呼んでいいのか微妙なのだが__のおかげでポルターガイストが治まったらしい、ということとか。
例えば、お姉さんは怪談話の原因を調査するのが生きがいだ、ということとか。
最初はちょっと怖かったけれど、意外と気さくな人なのかな、と、病室に到着する頃には思ったりした。
「不思議なくらいすんなり着きましたね。夜の病院に忍び込むとか、不審者って言われてもおかしく無さそうなのに。」
ガラス瓶から出してもらって、まじまじと自分の寝顔を観察する。何とも不思議な感じだ。
「要は、病院の関係者に鉢合わせたり、監視カメラに映らなければいい。」
「そんなこと普通出来ませんって。魔法使いみたいです!」
「魔術師かもしれんぞ。」
「魔術師かー!その手がありましたね。」
「……魔法使いより一般的な発想だと思うんだが。」
「そうですか?魔法使いの方が、魔術師より自由な感じしますよ?」
「不思議なことを言うな、君。というか、なんでそんなに楽しそうに魔法使いの話をする?怖くないのか?」
「?どうしてですか?魔法使いだって人間なんですから。きっと話せばわかりますよ。」
お姉さんは目を見張った。じっと見られては、何だかむず痒い。
「へ、変、です、かね。すいません。」
「いや、そうじゃない。嬉しかったんだ。まずは話してみようと、思ってくれる人がいて。」
ほほえみを浮かべてうつむいた彼女の表情は、何だか寂しそうに見えた。
「あの。また会えますか?」
「さあな。…会えないかもしれないから、最後に一つ言っておく。魔法使いを無闇に信じるなよ。ヤバイ奴もいるんだから。ま、そこは魔法使いじゃなくても同じかもしれんがね。」
そう言うと、彼女は私をベットの方へと押した。
浮き上がるような軽さと、引っ張られるような感覚があった後、意識がふつりと切れた。
◇◆◇
「面白い子だったなぁ。」
窓から病室を出た僕は、魔法を使って窓の鍵を掛けながらひ独り言ちた。
見た感じ、あの少女は魔術の才能すらからっきしだろう。であれば今後、僕に出会うことも、魔法に関わることも、そうあるまい。
だが、他者に歩み寄りたいと思う柔軟で優しい精神性が眩しくて、嬉しくて。「このままの君でいられますように」なんて、星に願いをかけたくなった。
とはいえ、友人らに話せば『相変わらずロマンチストだ』と言われるだろうことは想像に難くない。ので、僕の心の内にだけ仕舞っておくこととする。
救急車両の音が大きくなってきたのに乗じて病院の敷地を出れば、ベットタウン・氷じ町は未だ眠りの中であった。
静謐が身に沁み込む前にと、歩き出す。
ふと目線を上げて、歩く道の延長線上に西の空へ傾く月を見つけた。
いつものようにガラス玉を翳す。
月がより遠くへ行ってしまうのが寂しくなって、笑った。
◇◆◇
(一話・終)
2025/04/04
導入に当たる第一話でした。読んでくださり、ありがとうございます。
続く第二話は明日の18時以降に投稿を予定しています。
そちらもお読みいただけると幸いです。