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煙草を咥えたまま、ラスは軍服に着替えていく。金の糸で装飾を施された黒色のその服は、並大抵の人では服に着られてしまいそうだが、背の高いラスは難なく着こなしていた。
脱いでいるところも素晴らしいけれど、服を着ていく様がこんなにも色気があるなんて。物理的障害すら透かして醸し出されるこの色香は人を殺すわ。
アリアは鼻息が荒くなるのを耐えながら、必死にポーカーフェイスを装っていた。
「うーん、昨日飲みすぎたから体が重たいな……アリアちゃん、なんかできる?」
「もちろんです、今すぐ治癒しますね」
アリアは迷うことなく、両手をラスの胸のあたりに持っていき能力を発動させた。
アリアの両手からは、白い光がぱっと現れラスの体を包んでいった。初めて目にする人にしてみれば、それはまるで神の所業でしかなく、神々しいと平伏したくなるほどの行為なのだが、ラスは煙草を左手に持ち当たり前のようにそれを受け止めている。
「これで大丈夫かと思うのですが……いかがですか?」
「ああ、良くなったよ。ありがと、アリアちゃん」
そう言うとラスは、流れるような手つきでアリアの顎を掴んで上を向かせると、何てことないと言わんばかりに軽く唇を重ねた。
わざとらしく小さなリップ音を残して唇を離すと、顔を真っ赤にしているアリアを残して、ラスはさっさと部屋を出て行ってしまった。
「………………ラス様、かっこよすぎます」
一人残されたアリアは、頭から湯気が出そうなほど顔を赤くし、両手で頬を覆いながら小さく呟いた。
そう、アリアはこのどうしようもない男が好きで好きでしかたがなかった。
聞くたびに腹下に響く低い声も、さらさらと顔の横を流れる黒い髪も、底が見えない漆黒の瞳も、アリアより頭一つ分以上高い体も、全てがアリアの好みに直球ストレートでどストライクだった。
そしてこのラスと言う男は、ラクレージュ王国騎士団のトップでありながら、趣味は女遊びと酒。
寝る時以外はほとんど煙草を吸っているのではと言うほどのヘビースモーカーと言う、まさにクズ男を体現したような人間だった。
「アリアちゃん、何してるの? 俺忙しいから早く来て」
「っ、ごめんなさい!今すぐ行きます!」
何より救われないのが、この男はアリアの好意を自覚しておきながら、それをまんまと自分のために利用できるだけ利用している、最低極まりない男だと言うことだ。
しかし、それよりもっとどうしようもないのは、それら全てを分かっていながらも、逐一恋心をくすぐられて、聖女という立場を乱用しようとも誠心誠意尽くしてしまうと言う、悪性癖をアリアが持っていると言うことだった。
◇◇◇◇◇◇
パタパタと走ってきたアリアの方を全く見る事もなく、ラスはデスクの前に座り書類の整理をしていた。
「ごめんなさい、お待たせしてしまって。どんなご用件でしたか?」
「明日、魔物討伐の任務だから回復薬作ってくれる?とりあえず人数分……5部隊で行くから、50個かな」
ラスは当然のように言ったが、回復薬は一つ金貨5枚で取引される貴重な代物だ。一つ作るのに普通の聖職者であればおよそ一時を要し、一日の力をほとんど使い果たすほどの体力が必要だ。
「わかりました、50個ですね。他にも何か必要なものはありますか?」
しかしながらアリアは、そんな依頼にも二つ返事で肯定する。慣れているからなのか、自らの力に自信があるからなのか。
たぶんそのどちらもなんだろう。
「うーん、他は特にないかな」
アリアの気遣いにも、ラスは冷たく言い放つ。そんな態度をとられようとも、アリアの心臓はきゅんとときめいている。不毛だ。
「明日は早朝から出発だから、遅れないでね」
「もちろんです。遅れるはずがありません」
回復薬50個を急に依頼しておいて言う言葉がそれか。おまけに聖女様にそんな態度を取っていいのか。
周りにいた団員達は、色々な状況にぞっとして身の毛がよだつ思いで二人の会話を聞いていた。
そして、こんな対応をされて聖女様はどう思っているのかと、アリアの顔を盗み見てみると、幸せそうに嬉々として笑っている姿があったため、より一層ぞっとさせられた。
「そう、まあ明日はとりあえず俺の側にいて、俺の指示に従ったらいいから」
「っ……はい!」
突然の甘い言葉に、アリアは息が詰まりそうになりながら返事をした。
他人からしてみれば、甘い言葉なのかどうか判断が難しいところだが、アリアとしては最上級のご褒美だった。
「うん。じゃあ明日はよろしくね、アリアちゃん」
ラスはそう言うと、見ていた書類から目を離して、アリアの目を真っ直ぐと見つめると、にっこりと笑ってそう言った。
「はい! こちらこそ、よろしくお願いします!」
アリアはその笑顔に心を撃ち抜かれ、あまりのトキメキにほとんど泣きそうになりながら答えた。好きが過ぎると感情の振れ幅がバグるのだ。
そんなラスは既にアリアから目を離して、書類にサインをし始めている。
その二人を見て団員達は、この国の行く末すら心配し始めている。
一人は報われない恋に身を委ね、片やもう一人はそれを全て分かっていながら、あしらい利用し好き勝手している。
それがこの国を加護している聖女と、この国の治安を維持している騎士団のトップだ。
今はこの均衡が絶妙なバランスを保っているから良い。しかしこれが、悪い方向に崩れてしまったら果たしてどうなるのか。
考えるだけで恐ろしいことを想像し、身を震わせる事しかできなかった。