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 歌声が聞こえる。

 青い空の下、小鳥が鳴くような可憐な声で、小さく讃美歌を歌う声が風に乗って聞こえてくる。


「おはようございます、聖女様」

「村長さん、おはようございます。今日もお元気そうで何よりです」


 聖女様と呼ばれた少女は、太陽の光を浴びてキラキラと輝いている金色の髪を靡かせ、軽い足取りで歩いている。腰まで伸びたその髪は、ふんわりと柔らかく少しウェーブがかっていた。


 パステルカラーに彩られた木製の建物の間を、スキップするかのように軽やかに動くその足は、石畳の道を器用になぞる。


「あっ、聖女様だ。今日も聖女様のおかげでこの村も平和だよ」

「ありがとう。でもきっと平和なのは、みんなの笑顔のおかげよ」


 小さな子ども達も、彼女を見て嬉しそうに手を振る。そんな子ども達に向かって、すらりと伸びた手を華麗に振り、宝石の様な金色の瞳を細めて微笑み返す。


「おや聖女様、パン持っていくかい? 今朝焼いたばかりなんだよ」

「お婆さま、ありがとうございます。でも急いでいるので、今日は大丈夫です」


 ソルベカラーの家の出窓から、老年の女性が顔を出して言った。急足だった彼女も、その声には少し歩調を緩めたが、足を止める事はなく小さく首を振って遠慮した。


 鮮やかな刺繍が飾られた紺色のワンピースからは、陶器のように滑らかな足が覗いている。日焼けを知らないその肌は、血管が透けて見えるほど白い。


「聖女様、おはようございます」

「今日も良い天気だね」

「聖女様朝ご飯食べていかないかい?」

「今朝採れたばかりのキャベツはいらないか」


 道で通る人ほぼ全てが、彼女に親しみ深い笑顔で話しかけている。


 そんな、村の誰からも愛されている彼女の名前はアリア。ラクレージュ王国唯一の聖女である。


 それも、ただの聖女ではない。カンストレベルの癒しスキルを持った、世界最強の聖女だ。


「ありがとうございます! でも私、とっても急がなきゃいけなくて。今はごめんなさい!」


 アリアが歩けば枯れかけの植物も元気を取り戻し、その歌声は嵐すら収め、祈りの力は魔の脅威を完膚なきまでに退けることができる。


 そんなアリアは、眩しいばかりの笑顔で村人達に返事をしながらも、ほぼ駆け足で去っていく。その様子を見た村人達は、また聖女様の悪い癖かと苦笑いを浮かべた。


 そう、誰からも尊敬され愛されているアリアには、たった一つ、大きすぎる落ち目があった。

 

 それは、誰もが止めるクズな男に心惹かれ、恋をし、誠心誠意尽くしてしまうと言う、どうしようもない性癖を抱えていたのだ。


◇◇◇◇◇◇


 アリアは扉の前で大きく深呼吸する。駆け足で向かってきたことにより、変に上がってしまった息を落ち着けるためだ。


 そして、廊下にかけられていた鏡を見て、髪型が崩れてはいないか、リップは綺麗に塗られているかと、隅々まで身だしなみを確認する。


「……うん、大丈夫」


 覚悟ができたのだろう、アリアは小さくそう呟き、深い茶色で縁取られた分厚い扉をそっと開いた。


「ラス様、おはようございます」


 一度聞いたら、忘れたくとも忘れられない程に綺麗な声で響かせたその言葉は、誰に聞かれることもなく部屋に落ちた。


 あれ、と思いアリアは首を傾げる。

 たしか朝一番に来いと呼ばれていたはず、と考え直して部屋を見渡すと、奥に続く扉が少し開かれていた。


「…………ラス様?」


 ここにいるだろうかと思いながら、アリアはそっと名前を呼び、恐る恐る扉を開けた。


「……うん? 誰だよこんな時間に」


 薄暗い部屋の奥から、不機嫌そうに少し掠れた声が聞こえた。腹の奥底に響くような低いその声を聞いて、アリアは言葉の意味を蚊帳の外にしてドキリと胸を鳴らせてしまう。


「ごめんなさい、今日は早く来るように、との事でしたので伺ったのですが……ご迷惑でしたか?」


 声の主が吸っていたのだろう、部屋には煙草の煙たい香りが充満している。嗅ぐ人によっては顔を顰めたくなる匂いだが、アリアにとっては至高でしかない。


「あー、アリアちゃん。あれ、俺呼んだっけ?」

「はい、あの、お仕事の件だと言われていたかと思います」


 ラスと呼ばれたその男は、そう言うと片手で頭を押さえてベッドから上半身を起こした。

 目にかかりそうな前髪と、首筋の辺りで切り揃えられた黒い髪がさらりと揺れる。


 そんな、何気ない動作でしかないにも関わらず、アリアはぽっと見惚れてしまった。


「ああ、そっか、そうだったね。明日から魔物討伐の任務だから、色々お願いしようと思ってたんだ」

「そうでしたか。かしこまりました、何でもお申し付けください」

「うんうん、ありがと」


 そう言うとラスは、隣に眠っていた背の高い女を片手でどかしてベッドから起き上がった。


「ちょっと、酷い!」


 どかされた女からは非難の声を浴びたが、ラスは何も気にしていないように、口元だけに笑みを浮かべて言った。

 

「誰だっけ。昨日飲みすぎて、酔ってたから全然覚えてないや」


 悪びれもせずそんな台詞を言われた女は、あまりの怒りに言葉を失い、ふるふると肩を震わせている。


「そもそも何でここにいるのかな。俺の部屋なんだけど、用がなければ出てってくれる?」


 そう言って立ち上がったラスの衣服は分かりやすく乱れており、昨夜何があったのかは一目瞭然なのだが、まるで何もなかったような口調だ。


「最低! こんなんが騎士団長だなんて、この国も終わりだわ!」


 女は、はだけていた衣服をさっと直して、怒り足で部屋を出て行ってしまった。


 それを横目に、ラスは左手に煙草を持ちカチリと火をつけて大きく煙を吸い込んで言った。


「お待たせ、アリアちゃん」

「いえ、とんでもないです。ラス様のためなら何時間でも待ちます」


 そんな一悶着を全て見届けたアリアはと言うと、ラスの衣服の隙間から見える鍛えられた筋肉に心惹かれ、心臓を通常の倍速で動かしていた。

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