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「見つけたよーっ!」
開口一番にそう言って、伏は東雲に飛びついた。頬が上気して桃色に染まっているのがいつにも増して可愛らしい、と思ってしまうのは惚れた弱み故だろうか。よほど慌てたのか、今日はダッフルコートの襟がぼさぼさの毛で覆われていた。多分上手く変身できていないのだろう。
「見つけたって、何を」
「巫女の姉ちゃんだってば。忘れたの? 桜宮、ようやく見つけたんだよ!」
まるで、ボールを拾ってきた犬だ。そう思いながら東雲は伏の頭を撫でた。金の髪は柔らかく掌に指に絡むのが心地よい。わしわしとかき混ぜると嬉しそうに心地よさそうに伏が目を細めるのも気に入っていた。
「そうか、見つかったのか」
この数日、予備校が引けると真っ直ぐにこの木の元にやって来て伏と落ち合い、辺りを歩き回るのが東雲の日課となっていた。手をつないで歩くわけではない。いつだって伏は少し先を転がるように走っては、時折東雲を振り向いて早く早くと催促した。それに答えるように少しだけ足を速めて追いつくと、また先へ走っていって仕舞う。その繰り返しだ。喋るときも伏が一方的にまくし立てる日々の出来事を東雲が聞く。それだけだった。それだけでも、伏はいつも楽しそうに東雲にまとわった。
そういうとき、伏に受け答えしている東雲を行き交う人が不思議そうに見ながら通り過ぎてゆくことがあった。伏が誰かとぶつかることはなかった。そんなヘマをするほど、狐を自称する少年は動作が鈍くはない。けれど寸ででぶつかりそうになることはままあった。そういうときも、だれも何も反応しない。伏は、他の人には見えないのだ。見えないし、彼の声も聞こえない。それは何だか、少しだけ嬉しい発見だった。世界の中で自分だけが彼を独占して居るみたいな、ほんの僅かな優越感と言えば良いのだろうか。
そんな日々も、あっけなく終わりを告げたというワケか。東雲は声に出さずにそう独りごちた。
いっそ、ずっと見つからないままだったら良かったのに、とは口には出せない。だってそうだろう。伏は東雲の為に一生懸命探してくれていたのだ。だから今だって誉めて貰えると言わんばかりに頭を寄せてきたのだろうし、顔だって嬉しそうだ。この毎日が終わってしまうことを厭うているのは東雲だけだ。
「ここに、そいつが居るのか?」
伏に連れてこられた場所は、立派な門構えの校舎だった。この辺りではお嬢様学校として有名な女子高だ。
「うん。あ、あの子だよ!」
伏が指さす先には、校門をくぐったばかりの少女達の一団が居た。その中でもひときわおっとりと俯いて歩く髪の短い少女を、小さな指は的確に差していた。
東雲が門に近くに居ることに気がついた少女達はなにやらしきりに目配せをし合いながら通り過ぎてゆく。それをやり過ごして、一人後から歩く少女に声を掛けようとした丁度その時だった。
「──伏君!」
少女──桜宮の視線の先に、東雲は居なかった。彼女の視線が向けられていたのは、そのすぐ横に立っていた伏だ。
「桜宮、久しぶり! ──あ、じゃなくて、探してたよ! やっと見つけた! オレのこと覚えててくれたんだ?」
「あ、当たり前じゃない。伏君。良かった……! ずっと、心配してたんだから!」
そう言うと、桜宮は伏を抱きしめた。
呆然とする東雲の背後から、少女達の桜宮に対するものだろうささやきが聞こえてきた。
霊感少女気取り──、あの人の気を引こうとして──、そんな声にウンザリしながら、どうやら他の少女達には伏の姿は見えてないのだと言うことが分かった。
「そっか……! 桜宮、オレのこと、覚えててくれたんだね」
伏の声に喜びが滲んでいた。それはそうだろう、当然のことだ。昔話になるほどの昔からずっと生きていて、稲荷の修行をしてようやく戻ってきたら、自分を知る者は誰も居なくなっていたのだ。覚えていてくれる人が居れば、喜ぶのは当たり前だ。
そう、分かっているのに。
東雲は少しだけ強く掌を握った。爪が掌に食い込むのには構わずに。
羨ましかった、伏を覚えていられたこの少女が。
「元気そうで良かった」
「桜宮もね。良かったね、ちゃんと目、見えるようになって」
「うん。伏君のおかげよ。伏君が私の力、みんな持っていってくれたから」
何のことか分からない。それがもどかしい。
悔しくて堪らない。伏が振り返らないことにも、苛立った。そんなにその少女が良いのだろうか。
桜宮は、制服をわずかにも乱すことなく淑やかに着こなしていた。濃い臙脂のワンピースにセーラーカラーのそれは、この近隣でも人気のある制服だと聞いたことがあった。おかっぱに近いシンプルな髪型で、けれどそれが良く似合っている。視力は弱いのかメガネを掛けていたが、なかなか可愛らしい少女だった。だからこそ余計に苛立ったのかも知れない。
「おい、伏」
「あ、そうだ! 桜宮! この人だれか分かる?」
「……ひょっとして、あなたは」
「うん! 御館さまだよ!」
妙に誇らしげに胸を張る伏がおかしかった。同時に、少しだけ苛立ちが和らいだ。
「ようやく……巡り会えたのですね」
感極まったように、桜宮はそっと眦を指先で押さえた。目には光るモノが溜まっていた。
「らしいな」
「東雲は、桜宮のこと、探してたんだって」
「……え?」
伏が告げた言葉に、桜宮が驚いたように目を開いた。
「そう言うわけだから、オレは退散するよ。あとはよろしく、桜宮!」
逃げるように去ってしまった伏の背を、桜宮の手が追いかけた。けれどそれは届くことなど勿論なくて。
取り残された東雲と桜宮は、思わず顔を見合わせた。
何から話したら良いのか、分からない。──正直、女は少し、いや、大分、苦手だ。
桜宮はしばらく伏の去った方を見つめていたが、どうやら戻って来ないことが分かったのか、疲れたように大きな溜息をひとつついた。声にならない声が、「ほんとうに、伏はぜんぜん変わらない」と言ったような気がした。
「……実は、伏君から全部聞いてます」
切り出された言葉は、意外なものだった。
「東雲さんが山岸さんから昔話を聞かれたことも、何も過去のことを覚えてないことも」
「あんた、山岸を知ってるのか?」
「いいえ、存じません。伏君からぜんぶ聞いたんですよ」
なるほど。確かに「ぜんぶ」聞いているようだ。東雲は困って頭を掻いた。
「昔話で俺とあんたは想い合ってたって聞いてな。で、事の真偽を確かめようと」
「私とお殿様が想い合ってたことになってるんですよね、あのお話」
くすくすと笑う声は、それが事実ではないと告げているようで心が軽くなった。
「あんたは、過去の記憶があるんだな。山岸の話は違っていたのか? 本当のところは、どうなんだ?」
「私は、伏君に頼まれました。あなたが私を想っているようだから、応えてやって欲しいって」
「……俺が?」
「伏君の勘違い、でしょう?」
口元を隠して笑う仕草は、控えめで好ましかった。どうやらこちらの気持ちはお見通しのようだ。
しかし話が見えない。
「伏君、私に言いました。『東雲がシアワセなら、それがオレのシアワセなんだよ』って」
「あのバカ」
余計なことにばかり気を回す。人のことばかりで、いつだって自分のことは後回しで──……──いつだって?
「……東雲さんは、何も覚えていないんですか?」
その口調には、僅かに非難が混ざっていた。過去に何があったのか、それを覚えていなくてはならなかったのは、他の誰でもない東雲なのだと、彼女の瞳は告げていた。
「ああ」
頷いて、だから教えて欲しいと先を促した。
「俺は、あんたと想い合ってたと聞いた。でも俺にはピンと来なかった。俺が心を交わしてた相手は、他に居たんじゃないのか?」
伏だったんじゃないか──? その言葉は、そっと胸の内に飲み込んだ。
「私も一つ、昔話をしましょう」
そう言うと、桜宮はゆっくりと道を歩き始めた。