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 金色の柔らかそうな髪を風になぶられるままに揺らして。

 少年はペンキの剥げたガードレールに腰掛けて、足を揺らしていた。

 視線はまっすぐに薄紫の空に向けて、唇は楽しげに言葉を綴る。緩んだ頬は冷たい風に少し色づいて。

 身につけているものは、先日自分が来ていたものと同じ、あの紺色のダッフルコート。少し肩が落ちているのが、なんだか可愛らしくて。

 駆けつけたばかりのい息を押さえて、東雲は思わずその姿に見入っていた。


 少年の姿は、昨日よりも成長していた。幼いとしか言い様のなかった愛らしい顔は精悍さを増し、同時に一層華やかな美貌へと変化していた。ただ目を引きつけられて、離せなかった。そんな自分が意外で、そしてそんな自分が嫌ではないことが、さらに意外で。


 ふと彼が視線を動かした。誘われるようにそちらへ目を移せば、そこには桜の巨木があった。

 よく見れば、その後ろには古ぼけた切り株と、そしてそこに芽吹く小さな芽が。

 まるで愛しいものでも見つめるような目に、東雲は不安が胸に芽生えた。


 山岸から聞いた話は、桜の木の下に住まっていた巫女と殿様との恋物語だ。けれど目の前の少年は、どう頑張ってもその『巫女』には見えない。話しを聞いたときも、東雲は直感的に思った。こいつは狐だと。

 それならば、彼が待つのは彼にとって愛しい『巫女』ではないのだろうか。


 彼との約束も未だに思い出せない。それが何なのか、どういう事を交わしたのかすら分からない。


 『御館さま』である東雲との再会を喜んだのは、それが、彼の出現が『巫女』の出現をも現すから、という可能性はないだろうか。

 彼が何を考えて、何を思うのかが分からない。


「おい」


 声を掛けてから、しまったと思った。振り向かせたくて、なんて。彼の瞳が余所を向いているのが嫌でなんて。本当にどうかしている。

 そんな東雲の想いを知ってか知らずか、伏は東雲の声に振り向いてから、不思議そうな顔でまた空を見上げて、東雲に視線を戻してから首をかしげた。


「なんだよ」

「え? いや、だってさ。御館さ……東雲は、今はまだ、ジュギョー中のはずだろ?」

「抜けてきた」

「?? ますます分かんないよ。ジュギョーって、金払って受けるんでしょ? 高くて大変なんだって山岸が――社の子らが言ってたよ」


 それはそうなのだが。

 なんと言って説明したらいいのか、東雲は言葉を失った。

 端的に言えば、『お前に会いたいから、とにかく全部放って急いで来た』のだということになると気がついたのだ。

 思わず頬に血が上るのを自覚しながら、東雲は俯いたまま伏の側に寄った。わざと怒ったように足音を高くして、乱暴に足を運んだ。そして、彼の前で足を止めた。


「どしたんだよ? なんか、変だよ?」

「うるせェ……」


 なぜか居たたまれず、東雲は視線を伏から外して、桜へと向けた。

 ここに立つと、どうして伏がこの場所にいるのかがよく分かった。桜の若芽をハッキリと見ることができるのだ。切り株は影になって見えないのに、桜の古木と、そして脇から伸びる若芽の様が一目で。


「お前、山岸の知り合いなのか?」


 聞きたいのはそんなことではないのに。言ってしまってから、東雲はほんの少し唇をかんだ。


「んーん。山岸はオレがお守りしてる神社の子。オレ、お稲荷の修行がやっと終わって、七日前にここに配属になったんだ。んで、嬉しくて踊ってたら、東雲に会った」


 それではあの日、ここで出会ったあのときに伏はここへやって来たのか。そう思うとなんだか妙に嬉しかった。ここへやってきた伏と一番最初に出会ったのが自分だったということが。


「んでもさー、オレってドジだから、あの後すぐ失敗やらかして先代に呼び出されちゃってさ。今日やっと帰ってきたんだよ」

「な……っ!? そ、それじゃ、お前この数日いなかったのか!?」


 どうりで何度来ても会えなかったはずだ。会いたくて何度も何度も行ったり来たりしてた俺がまるでバカみてェじゃねーか!

 しかし伏はそんな東雲の内面の葛藤には何も気がつかなかったらしい。


「なぁ、東雲。あれあれ!」


 嬉しそうな顔で東雲の背後を指差した。小さな指がどこか遠慮がちに東雲のコートをきゅっと握った。


「オレがここに来た日に芽が出たんだよ。なんかさなんかさ、スゲーッて思わない?」

「山岸から、話、聞いた」


 背後を振り向いて桜を見ながらぶっきらぼうに零した言葉に、伏は何か感じたのだろう。そっか、と呟いて東雲から視線を外して、東雲と同じように桜の木を見つめた。コートの端を握った指がするりと解けていったのが寂しかった。


「巫女と、殿様の恋物語だった。お前と俺が交わしたっていう約束なんて、ちっとも出てこなかった」

「うーん、そりゃそうだろね」

「それどころか、俺はお前を……殺してた」


 そっか。と、彼が口の中だけで呟くのが聞こえた気がした。どんな気持ちなのだろうか。自分を愛しい人と引き裂いた相手が目の前に居るというのは。自分を殺した相手が目の前にいるというのは。しかもその相手は物語として過去の出来事を聞いて、まるで人事みたいにそのことを知っているなんて。


「今の世にはそういう風に伝わってんだね」


 ハッとした。こいつはその時代に生きていたんだということを思い知らされたような気持ちだった。たった一言なのに、その一言で東雲と彼との間に横たわる時間の大きさを見せ付けられたような。そして、彼は伝え語りでも昔話でもなく、生でその時代を経験して、その全てを知っているのだと。覚えているのだと。


「……じゃ、お前の知ってるのはどんなんだよ」


 そう言ってから、見た目はともかく彼が自分よりもはるかに年上なのだと気がついた。どれくらい年が離れているかも分からないほど。

 なんとなく気まずくなって恐る恐る振り向くと、嬉しそうに微笑んで見上げる瞳と目が合った。その瞳が幼い外見とは異なってひどく年老いて見えたのが苦しくて、東雲は思わず目を逸らした。


「なんだよ」


 妙に気恥ずかしくてそっけなく言うと、彼は微笑んだ表情そのままに、応えるように瞬いた。


「東雲さ、ひょっとして、気になってんだ?」


 図星を指されたが、今更引けない。東雲は伏の前に仁王立ちに立つと、腕を組んだ。


「当たり前だろ」


 大体、この少年が悪いのだ。唐突に現れた彼に責任を転嫁して、東雲はこの数日を振り返った。雪の中を唐突に現れて言いたいことだけ言って姿を消した。また会いたいと思って何度も通えば、その間はやらかしたヘマで呼び出し喰らって留守にしていたなんて。


「大体、お前と俺の約束だってちゃんと聞いてない。ここで、なんだって言うんだ」


 まるであの巫女と殿様との約束だ。そうではなくて、今東雲が知りたいのは、この不思議な少年と自分との間に結ばれた約束だった。

 彼は自分を御館さまと呼んだ。ならば、恐らくあの昔語りの中での自分は、殿様なのだろう。しかしこの少年が巫女には見えない。それとも昔語りの中にあったように狐と一体となった巫女が彼の中に生きているというのだろうか。それにしては、少年の姿なのが解せない。──今はもう、東雲とほとんど同じか、少し高いくらいの背丈ではあったが。


「いーんだよ。オレは覚えてんだから」

「お前が覚えてても、俺は覚えてねェんだよ! いいからさっさと教えろ! お前は何なんだよ! 巫女なのか? 狐なのか?」

「……気になんの?」

「当たり前だろ!」

「オレは、狐だよ。元はただの狐の子。もっとも、最初っからちーっとだけ妖狐の血が混じってたんだけどね」


 笑う顔は変わらない。それなのにふと彼の表情が陰った。何かを深くおもんばかるように。


「東雲、巫女の姉ちゃんに会いたいのか?」

「──え?」

「会いたいなら、手伝っちゃうよ? なんてたってオレ、恋をかなえる神様だからね!」


 笑いながら差し出された手は、透き通るように白くて、東雲は思わずその掌を握りしめていた。そうしなければ、どこか遠くにいってしまいそうに、消えてしまいそうに思えたから。


 ちらりと、雪が舞い降りた。それを見上げて、伏は小さく息を吐いた。東雲も同じように灰色の空を見上げて、息を吐いた。視界を邪魔するほどの白い吐息は、空に解けるように消えていった。

 その時気がついた。彼の息の白くないことに。


 思わず握りしめた手に力を込めた。


 嘘だ。確かにこの掌はここにある。存在している。体温をあまり感じさせない掌はひんやりと東雲の掌を冷やしていたけれど。けれどしっかりとした力強いこの手が本当のことではないなんて、思えない。思いたくない。


 手放したくないと、強烈に思った。この手を失いたくないと。


 理屈ではなかった。ただ、直感のようにそう思った。

 気がつけば東雲は頷いていた。巫女を見つけることに興味があったわけではない。もしも見つけたならば、過去にあったことを問い質すくらいはしてもよいかもしれないが、それ以上の意義を彼女に見いだすことは、今の東雲には出来そうもなかった。それよりも、それだけの間だけでも、この小さな少年と行動を共に出来ることにこそ、意味があった。少なくとも、そう感じた。


「……頼む」

「了解! 任せとけっ!」



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