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No.88 ヴィント・スノライン ―― last episode



 秋は過ぎて、冬の寒い日。

 名もなき画家のアトリエで、カノラは絵筆を握らされていた。


「ヴィンくん……これなに?」


 目の前に広がるのは、超巨大なキャンバスだ。あらかじめ真っ黒に塗りつぶされたそれを前に、ヴィントはにんまりと笑う。


「カノ、描いてみて」


 描いてみて、と言われて描けるような技量もなければ、気軽に描ける大きさでもない。できれば、もっと小さな紙ぺらから入りたい。


 そこで気付く。最近の彼は憂いが鳴りを潜めたせいか、アノニマスど真ん中のおどろおどろしい絵から遠ざかっている。それが新たな価値を見出していると父シンスは絶賛していたが、意外と本人は気にしているのかもしれない。


 なるほど。スランプだ。


「わかりました。ゴーストライター的なことですね」

「違う」


 スランプじゃない。カノに頼むわけないでしょ、と彼は呆れ顔。


 そして、カノラの手を覆うようにして彼は手を添えて、大きな真っ黒キャンバスにベタリと絵筆を押しつける。


「なんでもいいから、描いてみて」

「ぇえ? 本当に、なんでもいいの?」


 ならば、とカノラは腕をまくる。

 たっぷりの黄色を絵筆で取り、擦り付ける。こんな巨大なものを塗りたくるなんて初めてのことで、なんだかわくわくと胸が躍る。


「なんか、たのしい!」

「そう、よかった。でも、あー……なるべく満遍なく描けない? ほら、こことか。うわ、ちょっと下手すぎるな。あーあ、寄ってる寄ってる」

「水を差すのやめてもらえます?」


 そこからは、二人とも絵の具まみれ。


 彼は白色と水色。カノラは黄色と茶色。時折交換しながら、その四色で黒いキャンバスを染めていく。キャンバスの隅から隅まで――いや、その枠を超え、どこまでも永遠に続くように。


 以前、彼が言っていた。

 こういうものを、”オールオーバー”と呼ぶのだと。 


 主役も脇役もなく、どこを取っても等しく。偏ってしまった部分は、二人であーだこーだ言いながら整えていく。


 キャンバスに元々あった黒を消したり壊したりするのではなく、その上から新しい色を塗り足していくのだ。それがキャンバス全体を覆ったとき、彼は問いかける。


「オールオーバー?」


 ふふっ、と笑って、カノラは答えた。


「オールオーバー!」


 そして、彼は絵の下部にタイトルを添えた。

 No.88――と。


 それを見た瞬間、カノラは泣き出してしまった。次から次へと溢れ出る涙を彼が拭ってくれて、顔にべたりと白い絵の具がついちゃって、もう!と怒って笑って、そして……二人で出来上がった絵を見る。


「ヴィンくん、このタイトル……本当にいいの?」

「そんな泣かないでよ。カノが言い出したことだよ?」


 絵の具だらけのまま、キスをする。


「春になったら――これを飾ろう」





 そうして、冬は過ぎて、また春が訪れる。

 浮いたり沈んだり……まるで恋をするように、季節は巡る。


 王立学園の卒業式から一か月後。

 三人は久しぶりに集まった。リエカノから一人加わって、リエカノルナだ。


「おつかれさま! 怒涛の結婚ラッシュでしたね」

「本当に。カノラさんのドレス、とてもお似合いでしたわ。美しく聡明で、惚れ惚れいたしました」

「いや本当にルーナさんのおかげです……恥をかかなくてすみました」


 カノラの結婚式は、それはもうすごかった。結婚が決まってから半年間、ルーナにみっちり鍛えてもらって何とか間に合った。鍛えてなければ、本当に危なかった。


 というのも、なんとお忍びで国王夫妻まで出席するという事態が発生したのだ。


 国王がシスコンというのは本当の話だったらしく、ロスカへの風当たりがとても強かった。カノラはちょっと笑った。


 不思議とルミアに似ているヴィントはというと、国王からめっちゃくちゃ可愛がられていた。彼が最年少で侯爵を叙爵した裏側を見てしまったが、カノラはやはり見なかったことにした。


  一番怖かったのはダンテだ。相変わらず王族相手でもフレンドリーに喋る喋る喋る。参列していた王族は皆アゼイのファンだったので、ダンテの話を興味深く聞いてくれたが、横にいたルーナはずっと真顔だった。カノラは心中お察しした。


 そんな結婚式の前の週に、ダンテとルーナの結婚式もつつがなく執り行われた。


「結婚式の後、お兄ちゃんとの生活どうですか……? 迷惑かけてませんか?」

 

 カノラが紅茶を飲みながら尋ねると、ルーナは顔を赤くして曖昧に首を傾げる。美しい金髪がさらりと肩から落ちる。色気がすごい。きっと兄が調子に乗りまくっているのだろう。


「なんとなく察しました。リエータさんは、フォル様とどう?」


「ぁあん? いいわよねぇ、カノラさんはぁ」


 リエータはやさぐれていた。彼女は未だにフォルとの結婚を渋っており、プロポーズをのらりくらりとかわしているらしい。


「あぁ~! やっぱり悔しいぃ! カノラさんの式に参列してみて思った。どうしてもヴィント・スノラインを諦めきれない……っ!」

「え、意外と本気だったんだね」


 リエータは拳を握りしめ、本気でテーブルを叩く。割れるかと思った。


「だって! 今や国一番の侯爵様よ? 同じ学園で接点もあったのにー! もっとアプローチすればよかった。ううん、早くからカノラさんを排除しておけば良かった。でも、そんなことしたら先にあたしが排除されそう! 溺愛侯爵、怖くてむずい!」

「二人とも過激派だもんね」


 そこでカノラは渡す物があったことを思い出し、鞄から招待状を取り出した。

 

「実はもう一つ、幸せのセレモニーがあるの」


 卒業式でも結婚式でもない、もう一つの大切な式。


 招待状の中身を見て、ルーナは微笑んだ。

 一方、リエータは悲鳴をあげる。こんな隠し玉があったなんて、と彼女はまた悔しがっていた。



 秋に行われたセントステイト王立学園の音楽コンクール。カノラは圧倒的な実力で優勝した。二連覇だ。


 コンクールには昔からの決まりがある。優勝者はなんでも一つ願いを叶えてもらえる、というもの。超高級楽器を貸し出してもらったり、ソロコンサートを開く人もいる。金に糸目はつけないという噂だ。


 カノラの願いは『名もなき画家・アノニマスに個展を開いてもらい、そのパーティーの奏者になりたい』というものだった。


 音楽科の担当教員はすぐに動いた。アノニマスの絵画の売買を担っているのがシンス・スプリングだと知った時は首を傾げただろうが、本人宛ての手紙を預けたそうだ。

 それを受け取った名もなき画家――ヴィントは大笑いだった。



 そうして、卒業式から二か月後。

 晴れの日に、名もなき画家の初めての個展が開かれた。


 観覧券は争奪戦。王立学園主催とあって、音楽ファンから絵画ファンまで幅広い層が注目していた。


 名もなき画家のファンは、さぞかし驚いたことだろう。


 今まで名前も顔も出していないのだから、てっきりどこぞのアトリエでこじんまりと開かれる個展だと思っていたら、開催場所は今や国一番のスノライン侯爵のお屋敷だ。


 アノニマスのファンは貴族だけではない。平民にも広く支持されている。彼らは門構えにたじろいで、それでもせっかく来たんだからと、服のシワを伸ばしながらおどおどと屋敷の中を進む。


 そして、大広間に通された瞬間、顔を輝かせる。

 壁やテーブルに飾られたアノニマスの絵が、彼が苦しくとも歩んできた人生が、皆を笑顔にさせるのだ。


 コンクールで賞を取ったものが、十一点。


 幼少期からのラクガキも含まれたスケッチブック、約百冊分。


 そして――連作【名もなき画家のオールオーバー】が、八十八点。


 中央にあるのは、その連作のラストナンバーだ。

 巨大なキャンバスを均質に覆うように描かれた、オールオーバー。


 下部にあるタイトルを見た人は、大広間を見渡し、シャンデリアを見上げて、信じられないと手を挙げて驚く。



 ヴィントは、その様子を隣の部屋から覗いていた。


「ねぇ、カノ。あの人、No.70【汚点】を見て笑ってるよ。俺、あの絵の説明文に『数年前、他の男に失恋した妻カノラを描いた絵』って書いておいたんだよね」

「余計なこと書くのやめてもらえます?」


 余計なことしかしないな、この人。そんな目を妻に向けられ、ヴィントはどうにか笑いをかみ殺す。


「でも、本当にカノのおかげ。捨てようと思ってた絵なのになぁ。こんなに喜んで貰えるなんて……人生ってわからないね」


「苦しいことも、悲しいことも、全部ヴィンくんのものだもの。捨てなくて良かったでしょ?」


 カノラがにんまり笑うと、ヴィントの心はいつもふわふわと満たされてしまう。


 可愛い可愛い、運命の君。

 

「スノラインさん家のカノラちゃんには、きっと一生、敵わないね。――じゃあ、そろそろ行こうかな。奏者のカノラくん、演奏をお願いできるかな?」


「ふふっ、喜んで。ヴィント先生」


 二人で視線を合わせて、くすりと笑い合う。


 カノラがコンクールのご褒美を使ってここまでしてくれたのは、個展を開くこと自体が目的ではなかった。


 名前を明かしてほしい。

 それが彼女が贈ってくれた『ご褒美』だ。


 名もなき画家ではなく、ヴィント・スノラインとして描いてみてよ――カノラはそう言ってくれた。これからは、本当の名前で描いていく。


 ヴィントは扉を開き、青い絨毯の上に立つ。

 まるで雪を踏みしめるように、ゆっくりと足を前に出した。大好きなカノラの音とあたたかい歓声が、彼を包んだ――。




 銀髪碧眼の特別な色で生まれ、雪深いスノライン領で育った。


 好きなことは、絵を描くこと。

 好きな人は、カノラ・スノライン。

 

 最愛の妻からは、優しいのにちょっと意地悪で、へなちょこぶんぶんなのに不思議と格好良い。素っ気なくて掴みどころがないと言われる。


 そして――宝物は、たった一枚だけ描いた贋作。



 それが"自分"だと、やっと言えるようになったから。


 ここが、名もなき画家のオールオーバー。

  


 彼の名前は――



 そう。彼の名前は、ヴィント・スノラインだ。

 



【名もなき画家のオールオーバー】完










最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

次話はあとがきなので、ご興味ある方のみお進みください。


もしひと手間いただけましたら、草木に水をやる感覚で↓の☆ボタンを押してもらえたらうれしいです。


本当にありがとうございました!


糸のいと


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