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No.84 死人であるはずの人間


 カノラは大急ぎでアトリエを出て、一度家に帰った。両親への書き置きなどを済ませ、小ぶりのトランクに荷物を詰め込む。


 家を出ると、屋敷の前に大きな黒い機械が停まっていた。これは蒸気自動車だ。ヴィントの父親ロスカが乗っているのを何度か見たことがあった。


「乗るのはじめて」

「急ぎたいから車で行こう。準備はいい?」

「万端! ヴィンくんは仕事とか大丈夫……ではなさそうね」


 座席いっぱいに書類が置いてあるし、侍従ランタが涙目で札束を握っていた。侯爵閣下はお忙しい。


 書類を揺らしつつ、車は走り出す。

 道中、カノラはヴィントの本気を見た。処理能力が早いのだ。ゆったりと書類を確認して丁寧に書くのに、決断だけが異常に早い。


 カノラは仕上がった書類を一生懸命に封筒に入れて糊付けする仕事をがんばった。ピンと貼られたそれを見て、世界一綺麗に封を閉じられる女だと自画自賛する。


 そうして、スノライン領に到着。

 一泊した後、夜明け前から二人は動き始めた。自動車では目立つため、ここからは馬車を走らせる。


 こんなに馬を替える旅は初めてだった。気取られないようにランタは領に置いてきたので、これら全てはヴィント自身が手配したものなのだろう。仕事も早いし財力もすごい。もはや嫁ぐのが怖い。


 ノーザランドの国境に到着したのは、まだ朝と言える時間帯だった。国境から少し移動したところに、南部収容所はある。


 黒く汚れた高い塀を辿って、二人は収容所の受付を訪ねた。


「連絡していたスプリング子爵家の者ですが」


 ヴィントは帽子を目深にかぶり、受付係にそう言った。


「あぁ! こんな収容所までよくいらっしゃいましたね。贋作事件の件ですよね。どうぞどうぞ、面会の許可は出ていますよ」


 ここに来たことが父ロスカに知られないよう、彼はスプリング家の人間として面会を申し込んでいた。


 面会室の手前でヴィントは足を止め、カノラの耳元で囁く。


「フークリンが何を知っているのか、どこまで知っているのかはわからない。こっちから情報を与えることはしないようにね」

「大丈夫、任せて。銅像になるって決めてるから」

「頼もしい」


 彼は耳に軽くキスをして、面会室のドアを開けた。ちゅっと小さな音がして、カノラの耳は無事に爆発する。銅像になれそう。



「うわ~本当に来てくれた! 会いたかったよ、アノニマスぅ! リエカノのカノちゃんも久しぶり」

「……テンション高くない?」

「うん、なんかごめん。死ぬほどヒマで」


 フークリンは陽気に元気だった。トレードマークだった長い髪は短く刈り上げられ、そのせいか以前より顔が明るく見える。


「ここに来たってことは、あの鉛筆画、オレが描いたものだってすぐにわかったんだ? もっとアノニマスに悩んでほしかったけどな~」


 楽しげなフークリンを見下ろし、ヴィントは温度のない瞳を向ける。


「まず一つ言いたい。賭けに負けた方は”もう二度と絵を描かない”という契約では?」

「あ……忘れてた。あははー」


 フークリンは笑ってごまかそうとする。


「ほら、腕が鈍っちゃうじゃん? 出所したら、またアノニマスと絵画対決したいし!」

「断る」


 冷たいだのなんだの文句を言うフークリンを無視して、彼は少し伸びた銀髪を払いながら椅子に腰掛けた。


 すると、フークリンは開きかけた口を結ぶ。交代するようにして、ヴィントの穏やかな声が面会室に響いた。


「さて、本題に入ろうか」彼の視線が鋭くなる。

「あの鉛筆画は何だ? 送ってきた意図は?」


 すると、フークリンは目を見開く。


「アノニマスは、あの男のことを知らないのか?」

「だとしたら?」

「マジかよ、おいおい! 当主が知らないとかありえないって。東通りのレストランの事件、覚えてるだろ! あんな卑劣な事件を起こした犯人なのに」


 そこでヴィントの瞳が微かに揺れる。驚いたというよりも、なにかを探るような目だ。

 三拍ほど置いて、彼は僅かに指を震わせた。誤魔化すように、眉間に強く指先を当てる。


「……そうか。あの事件の目撃者は、おまえだったのか」


 カノラもそこで思い至り、瞬間、背中が凍った。

 フークリンと初めて会ったセントステイト王国の酒場で、犯人の似顔絵を描いて表彰されたと自慢気に語っていた。あれはヴィントの父親の事件だったのだろう。ぞわりと鳥肌が立つ。


 フークリンは顔を歪め、当時のことを口にする。


「今でも忘れられない。悲痛な叫び声。カラスの羽よりも黒い夜に、泥と血が混ざっていた」


 次第に強くなっていくフークリンの口調。

 テーブルの下で、ヴィントの手が強く握りしめられていく。


「あの夜、親子三人が殺されたところを目撃したんだ。逃走した犯人の顔を似顔絵にして騎士団に渡した。アノニマスが犯人を知らないなんて、信じられない」

「……当時、まだ十四歳だったから。処理は前当主がやった」

「は? え、じゃあ、まだ十九? ……なんか猛烈に地獄に落ちてほしくなった」

「それはどうも」


 フークリンが男爵当主になり即没落させたのと同じ年齢だからだろうか。面白くなさそうに貧乏揺すりをする。


「――で、おまえが事件の目撃者だから何なんだ? もう死刑は執行済み。過去の話を蒸し返して、何がしたい?」


 大方、過去の褒賞を持ち出して取引しようと呼び出したのだろう。あるいは……同じ銀髪だと気づいてしまったのか。


「あ、バレてないと思ってるんだ~? すごい不祥事だと思うんだよね。世間に公表されたくなければ、早くオレを出所させてくれよ」


 カノラの心臓が大きく跳ねる。彼の心は折れていないだろうか。混乱していないだろうか。

 でも、ヴィントの表情は少しも変わらなかった。不思議そうに小首を傾げるだけ。


「フークリン、話が見えない」


「……なぜ、あの男は生きているんだ?」


 フークリンは、掠れた声でそう言った。


 ヴィントの目が見開かれる。

 死人であるはずの、人間が――


「生きている……?」


「しらばっくれるなよ。この収容所にいた。重大犯罪人専用の独房で、普通に生きてる。あんな風に人を殺しておいて、なんで生かされてるんだ? おかしいだろ」


 そんなはずはない。カノラが聞いた話では、ロスカ・スノラインによって死刑判決は承認され、三年前にはスノライン領で執行されている。記録にも残されている。


 ヴィントは銀髪をくしゃりと掴み、息を吐いた。


「……そうか、スノライン家が手を回して死刑囚を保護してると思ったわけか」


 指先でテーブルをトントン、と二回叩く。

 少しの沈黙の後、彼は穏やかな声で続けた。


「手を回したのは俺じゃない。保護する理由も利益もない。実際、俺はここに来るまで、犯人が生きていることすら知らなかった。――多くの鑑定士を欺く贋作を描いてきたおまえの目に、俺はどう映っている?」


「……嘘をついてるようには、見えない」


 フークリンの目はわずかに疑念をはらんでいたが、自然と首は横に振られていた。ヴィントはそれを見て、席を立った。


「でも、死刑囚が生きているのは不思議だね。事実確認をしておくよ。情報提供に感謝する」

「ちょ、ちょっと待て。不祥事に変わりないだろ? ばらされたくなかったら――」

「減刑はしない」 


 冷たい声で切り捨てた。

 まるで子供に言い聞かせるように、彼は少し屈んでフークリンの顔を覗き込む。

 

「これは、不祥事でもなんでもないよ。余罪が残っていて、今も捜査中だから執行が滞ってるだけかもしれない。フークリンも男爵当主の経験があるなら、それくらい知ってるでしょ?」


 フークリンのコンプレックスを煽る。やつは悔しそうに目をつりあげていた。


「でも――情報提供のお礼くらいはしようかな」


 そして、彼は甘く冷たい飴を与えるのだ。まるでアイスキャンディを突き刺すように。


「絵を見せ合うくらいの遊びはしてあげてもいいよ。出所しなくても絵画対決が実現する」


 フークリンの動きが止まる。


「待って。それって――アノニマスも描いて送ってくれるってこと?」


 まさかの絵画文通。ヴィントが頷くと、フークリンの顔がぱぁっと明るくなる。顔も頭もぱぁだ。アゼイ病ならぬ、アノニマス病が発症している。


「よーし、めっちゃ描く!」

「たくさん描いて送ってね。楽しみにしてる」


 ガラス越しで握手こそできないものの、二人は良い笑顔で頷き合っていた。平和だ。



 面会室を出てすぐ、カノラは本当に絵画文通をするつもりなのかと尋ねた。


「カノが看守だとして、フークリンが毎日のように絵を描いていたらどう思う?」


 カノラは想像する。贋作者のくせに、嬉々として絵を描き続けるだなんて、反省の色がないように思える。


「ね? 描けば描くほど、彼は優秀な囚人ではなくなる」


 なんという罠。契約を反故にして絵を描いているのだから、報いがあって当然だが。


 それよりも、気になるのは本当の父親のことだ。


「ねぇ、本当に生きてるのかな。確かめた方がいいよね。わたし、一人で面会してくる」

「カノが、ひとりで?」


 ヴィントは嬉しそうに目尻を下げ、カノラの髪を撫でる。そして、ありがとう、でもそんなことしなくても大丈夫だよ、と首を横に振った。


「それに、会ったら――きっと父さんにばれる」


 知られたくない。ヴィントは小さくそう言った。



 そのまま、二人は収容所を出た。

 仕事もあるし、また大急ぎで帰らなければならない。


 二人は再び馬車で移動し、昼過ぎ頃に領主館に戻る。

 すると、そこには真っ青な顔で右往左往している侍従の姿があった。


「ランタ、どうしたの? 全財産なくなった?」

「ヴィント様! どこに行ってたんですか、探したんですよ!」

「ちょっと用事があって……」

 

 ヴィントはそこで言葉を止めた。ランタの隣に、王都で雇っている従者がいた。呼吸を乱して床に項垂れている。彼はよく速達を届けている男だ。

 

 侯爵の急ぎの仕事が入ったのだろうか。カノラはそう思った。


 でも、ヴィントは違った。

 彼は震える声で、母さん、と呟いた。


「母さんに、なにかあった……!?」

 

 ランタは雨風でぐしゃぐしゃになった手紙を広げる。


「王城から連絡がきました。ルミア様の容態が悪化して――意識がないそうです」



 



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