No.83 きみの幸せを探しに行くから
「わぁ~、ここがヴィンくんの新しいアトリエ? すてき!」
シンプルなレースのカーテンが風で揺れる。そこからこぼれた光は、オーク材のテーブルを照らした。小さなキッチンでは、赤いポットがしゅっしゅっと音を出している。
カノラは部屋の真ん中にある黄色のソファに腰かける。菜の花と同じ色だ。
そこに並べられているのは、水色の"やきもちクッション"だ。スノライン家でカノラが妬いたときのやつだろう。わざわざ持ってきたらしい。
ソファの向こう側には四台のイーゼルが並べられている。その対面にある壁は一面だけ紺色に塗られていて、カノラが保管していた彼の連作の一部が飾られていた。
「すごくかわいい」
「カノの好みでしょ?」
当たり前のように言われてしまい、カノラはもう一度アトリエを見回す。
「え、画家アノニマスの仕事場なのに、わたしの好みに合わせてくれたの?」
「まあ、重い男だからね。いつでも来られるように、スプリング家とスノライン家のちょうど間に用意したし」
「立地まで? わぁ、うれしい! いつもたくさんの重さをありがとう」
「重さで潰れそうになったら教えてね。しっかり補強してあげるから」
軽くする気はないらしい。
カノラがゴリラで良かった。
「でも……侯爵当主のお仕事もあるし、なかなか絵を描く時間もないんじゃない?」
「うん、来月まではペースを落とすつもり」
彼はそう言いながら、カノラの隣に座った。
「この春に、王弟の次男くんが王立学園に入学してきたのは知ってるよね?」
「……知ってるどころか、お声をかけていただきました」
「あ、やっぱり?」
ヴィントと交代するように入学してきた銀髪碧眼の新入生。国王の甥という立場はヴィントと同じだが、王弟は臣籍降下しておらず、彼はがっつり王族だ。
叙爵奉告の夜会に出席していた王弟次男くんは、カノラのヴァイオリンにいたく感激したそうで、廊下ですれ違ったときにお褒めの言葉をいただいた。カノラは緊張でかみまくった。
「次男くんだけじゃなくて、王弟一家がカノのヴァイオリンをすごく気に入ってたよ。今度弾きに来てほしいってさ」
「恐れ多い」
和やかな親戚の会話に聞こえるが、それが王城のロイヤルガーデンで繰り広げられているかと思うと敷居が百メートルほど高くなる。
ヴィントはくすくすと笑いながら続ける。
「それでね、次男くんが政や領地経営のことを肌で学びたいっていうんだ。来月からスノライン侯爵家に通いで来てくれることになってる。色々手伝ってもらうつもり」
「はぁ、なんか即戦力になりそうですね」
二つ下とは思えないほど落ち着き払っていたのを思い出す。たしかヴィントと同じく、首席入学だったはず。何も知らなければ王族ってすごいなー、で終わりだったが、ヴィントも次男くんも、多くの努力を重ねてきたのだろう。
「俺と結婚したら、カノも王族と会う機会が増えると思うよ」
「またルーナさんに色々教えてもらわないと。でもその前に、ヴィンくんのご両親に認めてもらえるかな。それが一番心配」
ヴィントは赤いポットから湯を注ぎ、琥珀色の紅茶を入れてくれる。テーブルにカップを置きながら、大丈夫だよと笑った。
「昨日、セイルドから連絡があった。ダンとルーナ嬢の婚約の件、ノルド侯爵を説得できたらしい。色々と根回しが必要そうだけど、夏頃には婚約できそうだって」
カノラがスノライン侯爵家に嫁ぐためには、何かしらの後ろ盾が必要だというのがヴィントの考えだった。父親ロスカと交渉するためのカードとして、ノルド侯爵家はやはり最強だ。
そこで、ヴィントはダブル侯爵家でサンドイッチ作戦を思いついた。
まず、次期スプリング子爵当主であるダンテがノルド侯爵家のルーナと婚約する。
さらにカノラがスノライン侯爵当主であるヴィントとそうなれば、スプリングは二つの侯爵家と強固な縁ができる。子爵位の天井を突き破り、頭五つ分くらいは飛び抜けることができるはず。
初めは最低なキューピッドだなと思ったカノラだけれど、みんなが幸せになっているのだから拍手を送らざるを得ない。
「来週、俺の両親に話をしてみようか。何度か説得することになると思うから、とりあえずの一回目」
「うん、わかった。でも……ルミア様の体調は大丈夫かな。まだ王城にいるのよね?」
夜会の前に領地から出てきたルミアは、そのまま王城の医師に囲まれて生活をしている。ロスカも、ルミアに付きっ切りだという。
「医師の話だと、今後は手術――何かしらの処置が必要になるかもしれないって。俺が生まれる前も、それで良くなったらしいから」
「そう……何事もないといいな」
会いに行けたら、お見舞いの品物と一緒に、演奏をプレゼントするのもいいかも。練習をしようと思い、カノラはヴァイオリンに手を伸ばす。
そこで、テーブルの上に手紙が置いてあることに気付く。
「引っ越したばかりなのに、もうここに手紙が届いてるの? ファンレター?」
「ああ、スノライン家を出るときに郵便屋と会って、直接受け取ったやつだよ」
ヴィントは重要そうな手紙から開封していく。裁判関係、輸入品の管理状況など、難しそうな内容の手紙がわんさか来ている。
これでは絵を描く時間なんて取れないのだろう。四台並べられたイーゼルには、少し前に描いたと思われる絵が乗せられている。
No.86【最上の愛を、君に】――そんなタイトルが添えられたカノラの絵だ。背景からして、きっと卒業式の日の出来事を描いた絵だろう。さすがにちょっと恥ずかしくなる。
感想を述べようと振り返った直後、ヴィントが「なんだろう」と言った。
「これ、送付元が書かれてない。めずらしいな。怪文書だったりして」
手に持っていたのは、真っ白な封筒だ。
好戦的な彼は、少し楽しそうに口の端をあげる。
ペーパーナイフで切り裂く音が響く。
それを開けた瞬間――彼は紙を手放した。
「どうしたの?」
カノラは床に落ちた手紙を拾う。誰かの似顔絵のようだ。見たこともない男性。すごく上手に描かれているが、怪文書という雰囲気ではない。
「ねぇ、ヴィンくん。この人、だれ?」
視線を向けると、彼はひどく青い顔をして、胸を手で押さえつけていた。呼吸が浅いのか、肩が上下している。その尋常ではない様子に、カノラは言葉を失う。
彼はしばらくの間を置いて、掠れた声で答えた。
「……父親」
持っていた似顔絵を思わず手放しそうになる。カノラは一度息を吐いてから、その絵をもう一度見た。
白い紙に鉛筆で描かれたものだ。色は塗られていない。整えられていない髭、刻まれた皺、髪は短く刈り上げられている。どこにでもいそうな男性だった。
全く似ていない、と思った。ルミアとヴィントの方が余程似ている。少しでも近づくように、ヴィントがそう生きてきたのかもしれないが。
「この人が、ヴィンくんの本当の父親……?」
「間違いない」
どうして、誰が、と彼は震える声で呟く。
カノラは似顔絵が入っていた封筒を覗き込む。宛先以外、表も裏も何も描かれていない。文字の一つも添えられておらず、差出人を特定できるような情報は何もない。
「ヴィンくん、お兄ちゃんに見てもらおう」
心もとなく陰るアイスブルー。彼の瞳を覗き込み、カノラはゆっくりと言った。
「……ダンに?」
「なにかヒントをもらえるかもしれない。事情は伝えなくても大丈夫。本当に困ってるときは、必ず助けてくれるもの」
一人で抱え込まないで。彼をぎゅっと抱きしめて、体温だけでそれを伝えた。
「……うん。ありがと、カノ」
カノラはスプリング家に急いで帰宅し、ダンテを引っ張ってアトリエに戻った。
兄は疲れただの何だの文句を言っていたが、黄色のソファに座り込むヴィントを見て、一切の文句を口にしなくなった。
「へー、新しくアトリエ作ったんだ。いいとこじゃん。……で、オレに見てほしいもんってなに?」
「この絵。誰が描いたのかも、送られてきた先もわからない。どうしても知りたい」
ヴィントは触りたくないのか、テーブルに置かれた紙を指差すだけだった。
「なんだこれ。また贋作関係かよ?」
「――詳しく聞きたい?」
「男の事情なんか興味ねーよ」
ダンテは本当に興味なさそうにして紙を手に取る。表をじっと見て、ひっくり返して裏を見る。
「ルーペ」
「え? ルーナさんはいないわよ」
「ちげぇよ。ルーナじゃなくてルーペ」
「あ、はいはい。自分で出せばいいのに」
カノラはぶつくさ言いながら、ダンテの一番お気に入りの金縁のルーペを取り出す。光に透かしながら、彼は黒鉛を見ていた。
「これ、セントステイト王国産の鉛筆じゃねぇな」
わずか数秒。ダンテはそう言った。
「お兄ちゃん、そんなことまでわかるの?」
「舐めんなよ」兄はふふんと笑う。
「出回っているやつより、硬度が二つは高い。芯を焼きあげるときのムラがひでぇし、たぶんノーザランド産の鉛筆だ」
次に、余白部分にルーペをあて、紙の繊維を見ていく。
「不純物。これは……あー、モミの木くずだな」
ダンテの鑑定を聞いて、ヴィントは身を乗り出した。
「モミの木が入り込むとしたら、セントステイト王国の北部で生産された紙だ。鉛筆と合わせると……ノーザランド南部で描かれた絵の可能性が高い」
「へー、そうなんか。っつーかさぁ、見たときから気になってんだけど、この絵すげぇ似てね?」
カノラの心臓が大きく跳ねる。似ても似つかないから大丈夫だと思ったが、ヴィントの父親だとバレてしまったのだろうか。観察眼の差を考慮していなかった。
ダンテに出そうと持っていたコーヒーカップがぶるぶると震える。そのままテーブルに運ぶと、ソーサーに黒い水たまりができあがる。ちゃぷんちゃぷん。
「カノ、こぼしすぎ。……似てるって、何の話?」
彼が小首を傾げると、銀髪がさらりと落ちた。
「フークリンのオリジナル作に似てんじゃん。見りゃわかるだろ」
ダンテがカップを持ち上げると、ぽたぽたと黒い水滴が垂れる。髪も瞳も心根も、真っ黒な男が脳裏に浮かぶ。
さすが贋作者だ。意図的に描き方を変えているようだが、所々にフークリンのオリジナル作と同じ癖が出ている、とダンテは指摘する。
「見せて」
ヴィントはダンテの手から似顔絵を取り上げ、ランプに透かした。なにかを見定めるように、目をそらさずに向き合う。
「本当だ……似てる」
気付かなかったことに驚いているのか、彼は目を丸くする。
「ノーザランドの南部。そうか、フークリンの収容所がある。そこから送ってきたのかも」
戦うには敵を知るのが一番早い。カノラは、ヴィントが言っていた言葉を思い出した。
「ヴィンくん、一緒に行ってみない?」
「そうだね……敵を知る。わかった。今から行こう」
二人は見つめ合って、同時に頷いた。
それを見ていたダンテは、何やら満足そうに笑う。
「なんかわかんねーけど、帰ってきたら奢れよー?」
「うん。――ありがと、ダン」




