No.75 血痕の誓い
フークリンを目でとらえたまま、ヴィントは周囲を探った。
―― 騎士はどこだ?
騎士服を着た人間は見当たらない。あるいは、私服姿で見張っているのだろう。
ヴィントは細く息を吐く。餌になるのだ。フークリンを捕まえるためには、名もなき画家として立つべきだ。
カノラの手を強く握る。彼女が握り返してくれたのを合図に、フークリンに近付いた。
「久しぶりだね、フークリン」
彼はゆっくりと振り返る。
「あらら、見つかっちゃったか」
口ぶりから察するに、彼はすでにヴィントたちを見つけていた様子。少しほどけた黒髪を結び直す仕草は、落ち着き払っていた。
「やあ、名もなき画家くん。元気してた?」
「わざわざセントステイト王国まで来たんだね。ノーザランドで逃亡しようと思えばできたのに」
試すような視線を向けると、フークリンは鼻で笑った。
「逃げる必要なんてないからさ。勝つのはオレだ。あの橋の絵は――オレのすべてだ」
橋の絵こそが真作だ。フークリンは大扉を見つめながら、そう呟いた。歩幅は大きく揺るがない。
「幻の五番に人生をかけたのは、あなただけじゃないわ」
ヴィントの後ろにいたカノラは、大きく前に出て、そう言った。
「リエカノのカノちゃん。今日は威勢がいいじゃん。前に会ったときは、我関せずって感じで涼やか~な顔してたのに」
「賭けたのは、わたしの人生だもの」
いつもはぽやぽやしているカノラの黄色の瞳が、いつになく鋭い。ヴァイオリンを弾いているときのそれと同じ温度か、それ以上かもしれない。
ヴィントはなんだか嬉しくて、くすぐったくなってしまう。ずいぶんと強くなったなぁ、なんて可愛くも頼もしかった。
フークリンは二人の繋がれた手を見て冷たく笑う。
「へえ? 二人は深~い関係なんだね。じゃあアノニマスだけじゃなくて、貴族二人分の人生をまとめてぶっ壊せるわけだ。お買い得だなぁ」
「……え。わたしたちってお買い得なの? 一人分より大変そうなのに」
彼女が不思議そうにしているのを見て、ヴィントは笑ってしまった。
「どうだろうね。"一緒に壊れてもいいよ"って言ってくれる人が隣にいるのは、なかなか幸せな人生だと思うけど?」
「なっ……!? おまえ――」
そのとき、ギギギィと大きな音が鳴る。美術館の大扉が開いたのだ。
フークリンはこちらを強く睨んできたが、扉に向き直った。
「時間だ」
「そうだね。どちらに罰が下るか。判決のときだ」
ヴィントは大扉を見あげた。まるで地獄の門のように禍々しく、そこに吸い込まれていく人々は生贄のように見える。
美術館とは、絶望の集合体だ。誰かの流した血の痕が、たまたま絵に見えただけ。そこにそれらしい誓いを貼り付け、ようやく作品と呼ばれる。そういうものを吸い込む、美しき怪物。
そして、絶望を知らない綺麗な人間が、具現化された厭世を眺めて『美しい』と称賛する。
そんなことを考えて、ヴィントは少し自嘲する。
一切の希望を捨て、怪物の口の中へと入り込んだ。
入ってすぐの広いロビーを通り抜け、一番はじめにある大部屋へと向かう。前方からどよめきと歓声が沸き起こった。まるで波が立つかのように、アゼイという言葉が伝播していく。
「アゼイだ! 幻の五番じゃないか!」
「嘘でしょう。信じられないわ! アゼイの五番よ!」
「『誰もがまだ見ぬ五番』……とうとう現れたんだ」
「こんな素晴らしい絵は見たことがない!」
心臓が強く波打つ。もう足は止められない。
ふと視線を向けると、そこには小さな男の子とその父親が手を繋ぎ、今か今かと五番に会えるのを待っていた。
この選択は正しかったのか。偽物は偽物だ。どんなに頑張っても、絶対に本物にはなれない。今までずっと、そうやって一つのところを回りながら正解を探してきたけれど。
ヴィントは目を瞑る。
目蓋の裏に、スノライン領で出会った親子が浮かんだ。『贋作でもいいです、大切にします』と言っていた笑顔を。
わかるよ。今ならそう思える――偽物でも、いい。
「ヴィンくん」
ヴィントは目を開けた。
そこには一枚の絵画が飾られていた。
ヴィント・スノラインの偽物が描いた、たった一枚の贋作。
美術館の広い壁に飾られていたのは、その一枚だけだ。美しい額縁に入れられ、大切にされ、称賛を受けている。
目の前で、父親と男の子が嬉しそうに笑っていた。
ヴィントの抱えた絶望を見て、すごいね、きれいだね、と。
あぁ、なんかもう。
―― 描いて、よかったな
そう思った。胸に込み上げてくる感情は、想像していたよりもずっと温かいものだった。
「ヴィンくん……これを描いたのね」
カノラは胸に手を当て、声を絞り出すようにして耳元で囁く。目を丸くしている一方で、その表情は訳知り顔とでもいうべきか、涙を浮かべて何度も頷いている。
だって、カノラにとっては見慣れた光景だから。生まれたときからずーっとあるもの。笑ったりケンカしたり、たくさんの愛が生まれ、そしてたくさんの愛を注いでもらった場所。
大きな暖炉。テーブルの上には銀色の皿に乗せられたフルーツたち。暖炉の上に並んだ、三枚の絵画。
「スプリング家のダイニング。百枚の絵で、一枚も描かれていない。アゼイが、この景色を描かないわけないんだ」
ヴィントは【幻の五番】から、隣に立つフークリン――かつては、本物の貴族だった男に向き直る。
彼は呆けたように口を薄く開け、虚ろな瞳で幻の五番を見ていた。
「これは……どこだ?」
「アゼイの生まれ育った場所。スプリング子爵家のダイニングだよ」
「なんでアノニマスが知っている?」
「よく遊びに行くんだ。ダンって赤髪の男がいたでしょ? 大親友の生まれ育った家なんだよね。そして――最愛の恋人の家でもある」
そういうことだったのか、とフークリンはカノラを凝視する。
「なんだよ、そんなのずるいでしょ。賭けは無効だ」
と言った三拍後、フークリンは両手をあげ、そのまま小さく拍手をした。
「……なーんてね。本当はそう言いたいところだけど」
幻の五番に視線を向ける。影と光のバランスが、まるで人生そのものだ。絶望と幸せ、その激しい落差。そこから生まれる、奇跡のようなぬくもり。認めるよ、とフークリンは言った。
「この絵はアゼイの五番だ。――まあ、オレが負けるとしたら、真作だけだからね?」
長い毛先をピンと指で跳ね、彼は口の端をあげる。
「やっぱり自信家だね。さて、騎士団で洗いざらい全部話してもらおうか」
ヴィントは騎士の気配を探る。先程から強い視線を感じていた。周囲にいるのだろう。
しかし、フークリンは警戒心のない仕草で頭をかいて、そういえば、と言う。
「そういう賭けだったっけ。じゃあ、とりあえず握手しよーぜ!」
彼は手を差し出してくる。
なんだかずいぶんと友好的だ。画家として完敗した結果、善良な心が生まれてしまったのだろうか。
ヴィントは訝しく思いつつ、そろりと握手に応じてみた。すると、何かひんやりとした固い感触がする。そのまま両手でぎゅっと握られて、それを押し付けられる。手のひらを見てみると、なんかの鍵だ。
「なにこれ」
「ノーザランドの貸金庫の鍵。そこにノルド侯爵からもらった三枚のアゼイが保管してある。これをあげるから――ごめん、見逃して!」
「はあ?」
フークリンは五番を指差す。キラッキラの良い笑顔だ。
「だって、こんな絵を見せられたらもっと描きたくなっちゃうじゃん? リベンジマッチ、また勝負しようぜ。落ち着いたら連絡する~!」
騎士がいるのに気づいているのか、彼はすたこらさっさと人混みにまぎれ込もうとする。
ヴィントは騎士を呼ぼうとするが、しかし、そこでフークリンが急に立ち止まる。なにかと思って見てみると、彼の視線の先には金髪の女性がいるではないか。女好きの視線はロックオン。
「おひさしぶりですわね、フークリンさん」
「って、ルナちゃんじゃん! え、え、どうしてこんなところに?」
フークリンは困惑しながらもルーナへと近付く。
「オレね、ちょっと逃げなきゃいけない状況なんだよね。わけは後で話すから、とりあえずルナちゃんの人生、オレにかけてくれる? 一緒に逃げよう!」
先ほどのカノラの発言が相当うらやましかったのか、事もあろうにルーナの人生をかけてもらいたがるフークリン。とても軽い。
「あら、わたくしの人生は重いものでしてよ?」
「……なんか今日の雰囲気、ちょっと違うね。とってもお貴族さま~って感じがするね」
フークリンの視線は、そろりと横に移動する。
「隣にいる金髪君って、セイルド・ノルドだよね? そういえば二人の髪はすごく似てるよね、満月の月明かりの色みたい。あー、なんで気付かなかったかなー。あのさ、まさかと思うけど、ね?」
「ああ、僕の妹だ」
「じゃあ、あんなに愛にあふれた手紙も……?」
うなだれるフークリン。呆れかえるルーナの隣で、ダンテが腹を抱えて笑う。
「ぶはっ、まじうける。その手紙、途中から中身オレだったからな?」
「ウソだろ……」
絶望しきったところで、セイルドが静かに合図をする。客に扮した騎士たちがフークリンの両腕を掴んだ。
フォルの父親であるハーベス伯爵がヴィントに敬礼をして、捕縛完了。厳しい取り調べを受けることになるだろう。
フークリンは「まじかよ!」と騒いでいたが――騎士に引きずられながらも、その視線は壁に飾られている幻の五番。ずっと、それを追い続けていた。
「終わったね」
引きずられていくフークリンを眺めながら、ヴィントたち五人は幻の五番の前に集う。本当なら全員で握手を交わし、喜びを分かち合いたいところだ。
しかし、周囲の客が異変に気付き、少し騒がしくなり始める。フークリンが絵画泥棒に見えたらしく、幻の五番を盗もうとした不届き者が騎士に捕まった……と噂になっている様子。
「あまり長居はできないね。セイルド、これ渡しておく。三枚のアゼイが入ってる貸金庫の鍵だってさ」
「感謝する。帰国前にまた会おう」
ヴィントたち三人は足早に美術館を出て、明るい日差しを浴びた。夏の始まりを予感させる日射し。広場で奏でられる陽気な音楽が、心地良く胸に響いた。
でも、今日の太陽は――少しだけ温かすぎる。日陰を探して、わずかに視線が落ちる。
「ヴィンくん、大丈夫? お腹へった?」
顔をあげると、カノラが笑っている。
「あー、まじで腹減った。なんか食ってかえろーぜ。勝利の祝杯だー!」
軽い調子でダンテが騒ぐ。
まったく、これだからスプリング家は温かすぎるのだ。ヴィントはいつも、彼らにつられて笑ってしまう。
「そうだね。たくさん食べたい。ずっと――空腹だったから」
好きな食べ物はないけれど、今なら何でも食べられそう。
そう思って、一歩足を踏み出した瞬間、背中がぞくりと冷えた。目の端に、赤茶色の髪が見えた。
「その勝利の祝杯とやらに、私も参加させてもらおうかな?」
胸に携えたのは、絵画品評会審査員の証――国家鑑定士の記章が輝く。
彼の名前は、シンス・スプリング。
カノラとダンテの父親であり、アゼイ・スプリングのたった一人の息子。ヴィントに名もなき画家の道を示し、形作った人物だ。
「ヴィント君、久しぶりだね。――祝杯をあげるなら、我が家のダイニングが良い。聞きたいことがある」
参考までに、スノライン領の親子は39話。
https://ncode.syosetu.com/n4481iv/39




