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No.74 死に物狂い



 昨日まで春だった空気は、夏を感じさせる湿度を帯びていた。真っ直ぐな日射し。そして、人々の熱気。


 ヴィントが死に物狂いで描いた絵画と、向き合う日。


 セントステイト王国の至宝、画家アゼイ・スプリングの抜け番【No.005】――幻の五番の最終審査日だ。



 カノラは馬車の窓から外を眺めていた。


「まだ開館時間の前なのに、すごい人だかり。おじい様の五番を目当てに来てるのかしら?」

「んなわけねぇだろ」


 ダンテは手をひらひらさせ、カノラを小馬鹿にする。軽く言い合いをしていると、ヴィントが「はいはい」と仲裁に入った。


「品評会にアゼイの五番が提出されていることは、まだ公表されてないんだよ。知ってるのは、提出したノルド侯爵家関係者と鑑定士である審査員たちだけ」


「じゃあ、この人たちはなんでここに?」


 美術館の前を通ることはあるが、いつもはもっと静かだ。


「審査日はいつもこうなんだよ。まだ見ぬ真作の展示があるんじゃないかって期待して、みんなが押し寄せる。サプライズですごい作品が見られるかもしれないからね」

「へー、知らなかった」

「うん、全く興味ないところがカノの良いところだよね」


 馬車を降りて、美術館前の広場に立つ。


 さすがは芸術大国だ。ストリート音楽団が陽気な音を奏で、そこかしこで画家や画商が絵を並べている。これは絵画市場だろう。屋台に売り子。まるでお祭りのような賑わいだった。


「あら? あれって……」

 

 そんな群衆の中でも一際目立つ人たちがいた。一角だけ雰囲気が重い。黒服の屈強な男たちが塀のようにそびえ立つ。その中心には月明かりのような金髪をなびかせる男がいた。


「カノラ嬢!」

「セイルド様もいらっしゃってたんですね」


 セイルドは黒服のボディーガードたちに下がるように指示を出しながら、カノラたちを内側へと招き入れた。


「先日の夜会での演奏、とても素晴らしかったよ。また一つ、カノラ嬢が欲しくなってしまった」


 そう言って、セイルドはカノラの手に口づけを落とそうとする。

 だが、ここでとうとう銀髪碧眼男が動いた。不機嫌丸出しで、それを止める。


「はい、そこまで」


 ヴィントはカノラの手をするりと取り上げ、背中の後ろに隠し隠し。触るな見るなと、彼の背中にすっぽり収められてしまう。


「ずーっと思ってたけど、いちいち距離が近い。カノはもう簡単に触れていい相手じゃないから」

「……ほう?」

「あー、やっと言えた。すっきり」


 セイルドはくすくす笑いながら、カノラに目配せを送る。上手くいったようだね、と。


「とは言え、僕はまだ諦めていないよ。ヴィントに愛想を尽かしたら、真っ直ぐに僕のところに来るといい」

「おほほ、お断りいたします」


 即答でお断りを入れておく。ヴィントがあからさまに苦々しい顔をしているので、早いところ話題を変えなくては。

 

「ええっと、ところでルーナさんはどちらに?」

「近くの馬車で待機しているよ。今、フークリンと顔を合わせるわけにはいかない」

「なるほど。それにしても……なんか、すごく、厳重ですね」


 カノラたちの周りを取り囲む黒服の男たちを見て、居心地の悪さを感じる。ここだけ日陰になっている。


「ははは、今日は父上がいるからこれくらい当然だよ。ヴィントは……護衛はいないのか? 侯爵当主になっても相変わらずだな……」

「それが俺の持ち味だからね」


 この会話を聞いていたらしく、少し離れたところにいた金髪紳士が笑いながら近づいてくる。ヴィントと固い握手を交わし、やたら親しげにしている。


 彼の名前は、クラッド・ノルド。

 先日のスノライン家の夜会でカノラも遠目に観測していたが、近くで見るとセイルドにそっくり。セイルドとルーナの父親だ。


「ヴィント君――いや、スノライン侯爵と呼ぶべきだな。五番の件、本当に助かった。改めて感謝申し上げる」

「いえ、どういう結果になるかはわかりませんけどね」


 閉ざされたままの美術館の大扉。それが開かれたとき、ここにいる皆の運命が決まるのだ。


「私は確信しているよ」ノルド侯爵は片眉をあげる。

「君が見つけてくれた五番こそが真作だ。デズリー男爵(フークリン)を必ず捕まえなくては。あのような紛い物を堂々と……まったく画家の風上にも置けない腐った人間だ」

「ええ、まったく同感です、ははは」


 あなたが真作だと信じ込んでいる絵は、固い握手を交わしている彼の手によって描かれたものですよ……なんて口が裂けても言えない。カノラもにこやかな笑顔で頷いておいた。


 しかし、空気の破壊神である赤髪男は、忖度した笑顔など振りまかない。


「あー、あんたがフークリンに騙されたアゼイ病の人か?」

「……は? アゼイ病? それはなんだね」

「見る目がねぇのにアゼイの絵を集めようと頑張っちゃう馬鹿のこと。ドンマイドンマイ!」

「な……っ!」


 肩をぽんぽんと叩かれ、ノルド侯爵は目をつりあげる。


「な、なにを無礼な!」

「無礼? あぁ、マジそれな。親しき仲にも礼儀あり。いくら五番が欲しいからって、ルーペが大事にしてた絵を勝手に渡すのはありえねーから。ったく、どうしようもねぇ父親だよなぁ。以後、気をつけるよーに!」


 ビシッと指を差す。圧倒的な上から目線だ。

 こんな屈辱を受けたのは初めてなのだろう。ノルド侯爵の顔が見る見るうちに赤くなる。ダンテの赤髪と良い勝負だ。


「貴様……許されるとでも思っているのか?」

「そりゃあ簡単に許されるわけねぇよ。でもさ、誰にでも間違いはあるから。おっさんも、あんま自分を責めんなよ?」


 いまいち噛み合わない会話。肩を組んで親友かのように接するダンテと怒り心頭のノルド侯爵。二人の間には通訳が必要だ。


 カノラがすがるようにセイルドを見ると、彼はなんかニヤニヤしていた。『ちょっといい気味』と顔に書いてある。なんという息子。


 ならば、とカノラは第二通訳のヴィントを見るが、彼は邪悪な笑みを浮かべていた。『とてもいい気味だ』と全身に書いてある。あー、そうだったー、彼も彼で父親という存在に思うところが色々あるもんね、うん。カノラはメンズたちからそっと距離を取った。


 ノルド侯爵の怒りは加速していく。ここは処刑台だろうか。兄の失言によって何度も立たされてきた窮地だ。


「なんという屈辱。我慢ならん! セイルド、こいつはどこの家の人間だ!? セントステイトの貴族だというのなら国際問題だぞ!?」

「ははは、父上。彼がダンテ・スプリングですよ」

「……ダンテ……スプリング?」


 ノルド侯爵は急に老眼になったのか、目を細めて上から下までダンテを見る。その視線がてっぺんにある赤毛に行き着き、一瞬で真顔になった。


「アゼイの愛した赤髪……きみはアゼイの孫か?」

「無礼なおっさんだな。逆だっつーの。オレのじいちゃんがアゼイだよ」


 侯爵は目を点にしてダンテを見ている。

 斬首か首吊りか。カノラはハラハラドキドキ、十秒間。ノルド侯爵の顔が、ぱぁっと明るくなる。アゼイ病を発症している。


「なんとなんと! きみがアゼイのお孫さんのダンテ君か! ルーナが世話になっているね。娘からも話は聞いているよ。橋の絵が贋作だと見抜くことができたのは、スプリング兄妹のおかげだと」

「ん? そうだっけ?」

「ははは、謙遜を! フランクな精神と、その中に光る舌鋒の鋭さ。まさにアゼイの系譜だ」

「オレの性格とじいちゃんはなんも関係ねーけどな」


 ダンテは「あ、そうそう」と言いながら、ポケットから名刺を取り出す。


「これオレの連絡先。次に絵画を買うときは連絡しろよ? おっさん、見る目なさすぎ。オレが代わりに見てやる。金はもらうけど」

「それは有り難い。頼らせていただこう」

「オレも有り難い。大金を頂こう」


 無礼はフランクという評価に変わって瞬時に昇華された。

 どうにか生還したカノラは、ほーっと息を吐いて元の位置に戻る。もうダンテには喋ってほしくない。


 ノルド侯爵は「絵画市場で掘り出し物の絵を見つけてくれ」とか言って、ダンテとセイルドを連れて行ってしまう。


 その背中を見送りつつ、ヴィントとカノラはその場に留まった。すると、少しずつ美術館の前が騒がしくなっていく。


 開館時間が近づいているのだ。

 人々は我先に美術館に入ろうと、大扉の前に並び始めた。


 カツン、タッタ、トン。


 そこで、カノラの耳が音を拾った。

 無数の足音。人の声。音楽団の曲。こんな喧騒の中でも、まるでそこだけ切り取られたかのように、耳に残る靴音。


 近くに、フークリンがいる。


 ヴィントの袖を引っ張ると、彼はカノラの顔を覗き込み、すぐに察する。アイスブルーの瞳を細め、右に左に視線を動かす。


「……見つけた」


 どちらともなく、二人は手を繋ぐ。

 もう二度とほどけないように、指を絡める。


 そのまま黒髪長身の男を追いかけ、人混みの中に飛び込んだ。





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