No.68 素直な殺し屋
カノラはスノライン家の階段を上がり、二階に通された。
やたら広い客室に入って五秒後、どこからともなく大量の侍女がやってくる。
「え」
春色のドレスを脱がされ、髪をほどかれ、あれよあれよと言う間に湯浴みコース。
泊まるわけではないのに、と困惑したが、圧が強めの侍女を相手に断る選択肢はとれなかった。
「ヴィンくん、どうしてるかな」
そうやってぽつりと呟いただけで、侍女の一人が会場の様子を偵察しに行き、もうそろそろ退室しそうな頃合いだと報告してくれる手厚さ。侯爵家ってすごい。
湯浴みを終えると、見たこともない新品のワンピースと髪飾りが用意されていた。好みど真ん中で驚く。
ここまで来ると、遠慮するのは無作法だ。カノラは流されるまま、髪や肌の手入れを任せ、着心地が良すぎるそれに腕を通した。
さっぱりすっきり。客室に戻って、ふーっと息をつく。
ふと棚の上を見ると、フォルの家に置いてあったはずのカノラの荷物が置いてある。この短時間でハーベス家から回収してきたのかな。馬はぜぇぜぇいっていないかな。カノラは考えないことにした。
夜会では何も口にできなかったので、テーブルに置かれていたフルーツを少しいただく。じゅわっと果汁が広がって喉が潤ったところで、扉の向こう側から彼の足音が聞こえた。
愛しい、このリズム。ぱっと立ち上がり、扉に駆け寄る。
「ヴィンくん」
「ごめんね、お待たせ。……って、そのワンピース……」
「わけも分からず、お風呂までいただきました」
「犯人はランタだね。俺で遊んで楽しいのかね、まったく」
ヴィントは上着を脱ぎ、わずらわしそうにシャツのボタンを緩める。着替えもせずに急いで来てくれたらしい。
「侯爵オーラがすごいね。ヴィンくんもお風呂に入ってきたら? 待ってるから」
「怖いこと言わないでくれる? はーあ、カノはお気楽でいいなぁ」
テーブルの上にあった水をぐいっと飲み干し、彼はもう一度ため息をつく。
カノラも紅茶を飲もうとティーカップに手を伸ばすと、侍女が先にそれを取り、丁寧に注がれる。
「もう下がっていいよ。扉も閉めて」
ヴィントがそういうと、侍女たちはお辞儀をして退出していく。部屋の扉が閉められる直前、廊下にランタが立っているのが見えた。
そこでカノラは初めて気付く。夜、未婚の男女、密室。そして、ロスカ・スノラインの鋭すぎる眼光。
「怖い……! わたし、ロスカ様とルミア様にご挨拶しないと!」
「気にしないで大丈夫」彼は眉を下げる。
「今、二人は王城で寝泊りしてるんだ。母さんの体調が不安定で……王城の医師の管理下にいた方が安心だろうって。今日も無理して出席してくれた」
「そう……。ルミア様の顔色、とても悪かったもの。心配だよね、お見舞いとか行けるのかな」
ヴィントは目を丸くして、それからカノラの頭を軽く撫でた。カノはいいね、と言いながら。
「あ、それからシンスおじさんにも早馬で知らせを出しておいたよ。『食べ過ぎでお腹を壊したのでスノライン家で休ませます』って」
もっとマシな嘘でお願いしたかった。
「嘘つき侯爵」
「前にも言ったはずだよ。俺は簡単に嘘をつく人間だ。それが必要なことならね」
ヴィントは笑いながら立ち上がり、カノラの耳元で囁く。
「カノ、静かにこっちに来て」
手を引かれ、音もなく立ち上がる。二階の客室のバルコニーに出て、忍び足で隣の部屋へと移動する。そこでヴィントは鍵を取り出し、続き扉を開けて隣の物置部屋へ。
またバルコニーに出て、小さな外階段で三階へと上がっていく。
鍵を開けては、部屋から部屋へ。まるで屋敷を攻略していく勇者のようだった。
「はい、到着」
「ここは……?」
とてもシンプルな部屋だ。客室と違って調度品も少ない。真ん中に大きなベッドがあるだけだ。
彼はサイドテーブルの上にある小さなランプに火を灯す。
「三階、俺の寝室。扉の前にランタがいたんじゃ、落ち着いて話せないから」
「ヴィンくんの寝室!?」
謎のときめき。とはいえ、椅子の一脚もない。カノラが所在なさげにしていると、彼はベッドに座っていいと言う。
「ごめんね、他意はないよ。隣に行けばソファもあるんだけど、扉の隙間から灯りが漏れて誰かに気付かれたら面倒だから。ここで話してもいい?」
ランプの灯りだけを頼りにベッドに近付く。カノラはできるだけ距離をつめて、ヴィントの隣に座った。
「……カノ、ちょっと近いね?」
「聞かれてはならぬ話かと」
「うーん、惜しい。そっちの警戒心はあるんだね。まあいいけど」
ヴィントは大きく息を吐いた。しばらくランプを見つめた後、「手を握ってもいい?」と聞かれる。前のめりで頷く。彼の冷たい手と、カノラのほかほかの手が重なった。
「俺は簡単に嘘をつく人間だけど、今日は本当のことしか言わない。思わず嘘をついたら、すぐに謝るようにする」
「複雑ですね」
「そう、とっても複雑。正直者になるために、一つ白状しようかな」
彼は気まずそうに銀髪頭をかいた。
「カノが着てるワンピースと髪飾り。……実は、入学祝いに贈ろうと思って俺が選んだやつ」
「え!? 二年前ってこと?」
「渡せなかった」
着ているワンピースをまじまじと見て、髪飾りに触れる。ダイヤモンドが散りばめられた銀細工。
あの素っ気なかったヴィントが、カノラのために選び、しかも渡せなかったなんて。
「どうしよう、すごくうれしい。ヴィンくんって、わたしが思っているよりもわたしのこと好きなのかも」
「そうなんだよねぇ」彼は深く頷く。
「だから、今からカノに嫌われるかもしれないと思うと怖い。でも――だからこそ、全部話すよ」
彼は深く息を吐く。
春のそれは、もう白くはない。
「十三歳だった」
まるで空に放った悲しい記憶を取り戻すように、彼は窓の外に広がる星空を見つめながら話を始めた。




