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No.67 恋祝福


 終わったはずの夜の宴。

 その会場には、ヴァイオリンの音が響いていた。


 耳に届いた瞬間、貴族たちはおしゃべりをぱたりと止める。どこからともなく聴こえてくる優美な弦の音。その源泉を探ろうと、食べかけのフォークや飲みかけのグラスをテーブルに置く。


「あら……この曲、恋祝福ですわね。私、大好きですの!」

「とても流行っているよね」

「今年度の王立学園コンクールの優勝曲だからだよ。あれには胸を打たれた」

「では、中央で弾いてらっしゃるのは……スプリング子爵家の――優勝されたご令嬢ではございませんこと?」

「いやあ、ご本人の音とは! 素晴らしいフィナーレだ」


 音に惹きつけられるように、人々の足は中央へと向かう。カノラを囲むように大きな輪が作られていく。

 同時に、ヴィントを囲っていた人だかりは、音によって解かれ、崩されていった。


 そうして会場はやっと均衡を取り戻す。人と人との距離が心地良いものに変わり、籠っていた熱気も外へと追いやられる。

 

 彼は碧眼を少し細め、"やられた"と悔しそうな顔をしていた。この賭けに、勝敗がついたのだ。

 カノラはにんまりと笑い、指先を弾ませる。恋祝福の中盤にある、浮かれまくりの連続スキップだ。


 ヴィントは、この曲が好きだった。


 手の届かない貴族令嬢に恋をして、ヴァイオリンを弾いて彼女を得ようとした音楽家。その恋の曲。


 男女逆転。今のわたしたちそのものね、とつい笑ってしまう。彼もそう思っているのか、シャンデリアの光を嬉しそうに浴びていた。


 最後に弾いたのは……そう、コンクールのときだ。

 あのとき、彼はどんな気持ちでカノラのヴァイオリンを聴いていたのだろう。あれ以来、彼が恋祝福を聴きたがることはなかった。


 きっと悲しいことがあるたびに、こんな風に好きなものを手放して生きていくしかなかったのだろう。痛みも我慢して、涙もぐっと堪えて、なんでもないふりでごまかして――。


 弾き終えると、大きな歓声と拍手が巻き起こる。長い夜会の最後に灯された熱は、なかなか覚めやらない。


 当然、ヴィント・スノラインは奏者に言葉をかけざるを得ない。


 二人の視線が交わった。

 間にいたはずの人々は、拍手と共に退けていく。二人を阻むものは、もう何もない。


 負けを認めるかのように小さく笑った彼だが、すぐに侯爵らしい微笑みを浮かべる。

 カノラが華麗なる淑女の礼でご挨拶をさしあげると、彼は満足そうに頷いた。


「素晴らしい演奏をありがとう」

「勝手な振る舞いをしてしまったこと、深くお詫びいたします」

「フィナーレを飾ってもらえてうれしいよ。相応の形で、スプリング子爵家に御礼を届けることにしよう」


 カノラは一歩近づいて、もし恩典をいただけるなら、と続けた。


「閣下。今宵のダンスを一曲、どうかお許しいただけませんか?」


 彼は少し眉をひそめ、柱時計に目をやった。


「お願い、ヴィンくん。一度だけでいいから……踊ってほしいの」


 彼だけが聞き取れるくらいの、か細い声。もう顔から火が出そうだった。男性をダンスに誘ったことなんてなかったし、周りはカノラの仕草一つ一つを凝視してくる。恥ずかしくてたまらない。


 目をぎゅっと瞑って返事を待っていると、彼の腕が高くあがった。それを合図に、カノラの手にあったヴァイオリンが音楽団へと戻っていき、軽やかな音楽が流れ始める。


 大歓声だ。たったひとりの子爵令嬢が、夜の宴を生き返らせ、ラストダンスを勝ち取った。


 セイルドとルーナが手を取り合い、訳知り顔のにんまりスマイルでフロアに出てくると、それに続いて踊りたがりの貴族たちがラストダンスに参戦してくる。カノラたちを中心に、男女数組がぴたりと身体を合わせた。


 ヴィントは侯爵らしい微笑みを携えたまま、カノラの耳元で囁く。


「カノはずるい子だね。一曲だけだよ?」

「……っ! はい!」


 たくさんの手拍子で始まったダンス。ドキドキと早まる鼓動でリズムを刻む。ルーナにたたき込まれたステップは、翻るドレスの裾まで美しい。


「すごいね。上手に踊れてる」


 表情こそ侯爵らしい凛としたものだが、ゆるーい喋り方で耳打ちしてくる。そのギャップがおかしくて、可愛くて。カノラは小さく笑ってしまった。


「ルーナさんに教えてもらって練習したの。もう死に物狂い。驚いた?」

「まさか。ルーナ嬢が留学してきたのは知ってたから、想定してた」


 先読みの鬼。驚いてはくれない彼に、カノラは片眉をあげて不満を伝える。

 彼は口の端を少し緩めて、笑うのを堪えていた。


「ごめんごめん。でも……正直、見違えたよ」

「ありがとう。ヴィンくんも見違えちゃった。ダンスも踊れるのね、すごいね」


 カノラなりの言葉で誉めてみたが、彼は目を丸くして、思わずと言った様子でぶふっと吹き出した。その侯爵らしからぬ笑顔に、観客がざわめく。

 

「な、なんで笑うの!?」

「だって、俺は侯爵だよ? ダンスなんて子供の頃から叩き込まれてるのに」

「……ははぁ、なるほど」


「踊れてすごいね~、なんて初めて言われた。――俺にそんなこと言うの、カノだけだろうなぁ」


 所作が美しくなっても、中身はカノラのままだ。もっとポイントを稼ぐ予定だったのに、なんたる失態。カノラは、ちょっと焦りつつもステップをダダダン!と踏んで、さらに誉めることにした。


「でも、見違えたのは本当よ? 今夜のヴィンくんはかっこいいし、なんか侯爵っぽくて素敵です」

「侯爵っぽいっていうか、まさに侯爵なんだけど。この夜会の主旨、知ってる?」

「……話題を変えましょう。最近どうしてました?」

「雑談下手すぎ」


 彼はくすくすと笑う。


「っていうか、カノは何か話したいことがあってここに来たんじゃないの?」

「あ、そうなの! 会いたいって気持ちでいっぱいだったから、ヴィンくんがいるだけで嬉しくて全部吹っ飛んじゃった」

「……まったく何しに来たんだか。笑っちゃうね」


 当初の目的を思い出すように、くるりと頭と身体を回転させる。


「実はですね、結婚してほしいって言いに来たの。ヴィンくん、結婚してください」

「嘘でしょ。そんなぽんこつプロポーズある?」

「ぽんこつプロポーズ」

「本当に……くっ……もう無理、あはは! 下手すぎるでしょ」


 決死の覚悟に変な呼び名をつけないでほしい。

 でも、彼はいつもの表情で楽しそうに笑うから、まあいいかなって思えた。


「はーあ、最高にカノって感じ。挨拶待ちしてるときも、ずーっとそわそわしっぱなし。カノらしいなと思ったよ」

「え? わたしがいること気づいてたの?」

「入室してきたときには気づいてた。菜の花色のドレスも似合ってるなぁって。すごく可愛い」

「……イジワル」


 彼は悪びれずに、ごめんねと言う。


「でも、せっかくダンを招待客から外したのに無駄だったね。悪いことしちゃったな」 


 やっぱりそうだったのね、と彼の手をギュッと強く握る。


「そんなにわたしに参加してほしくなかったの?」

「そりゃあ『諦めないからね』なんて言われたら、そうなるでしょ。でも――さすがにセイルドは外交面から外せなかったから。カノはセイルドを断る方に賭けたんだけどなぁ。残念」


 カノラは悔しくて、むむぅと軽くうなる。


「正解です、セイルド様はお断りました。フォル様に連れてきてもらったんです」


「……フォル?」


 優しかった彼の声が、急に冷たくなる。

 カノラが視線を上げると、彼は冷え切ったアイスブルーの瞳で見下ろしていた。


「フォル・ハーベスと来たの?」

「え、だめでしたか……?」


 彼は唇の端を軽く噛む。くるりとターンするのに合わせて、強い力で腰を引き寄せられた。普段見せるへなちょこぶんぶんからは想像もできないほどの強さだ。


「――『諦めないからね』って言ったくせに」


 とても小さな声だった。こんなに近くにいても、カノラの耳でやっと拾えるくらいの、彼の小さく拙い本音。


「わたしに、諦めてほしくないの?」

「いや、諦めてほしい」


 でも、と彼は続けた。


「フォルくんと一緒にいるのは面白くない。本当に嫌だ。カノはフォルくんに頼るわけないって……思い込んでたし」


 ごめん、矛盾してるよね――と言いながら、彼はカノラの肩口に頭を預けるようにしてうなだれた。その重みで、二人の足は止まる。


「はぁ、頭ん中がぐちゃぐちゃ。これだから嫌なんだよ。そんな簡単じゃない。カノが諦めてくれないと困る。俺も諦められなくて……きつい」

「うん、でも、わたしは諦めないよ」


 二人の会話は、他の誰にも聞こえていない。それくらい小さな声で交わされていた。

 でも、その感情は音にならずとも伝わっていく。一石を投じられた水たまりのように、その波面は観衆を揺らす。


 ヴィントは背筋を伸ばし、止まっていた脚をもう一度動かした。引っ張られるようにリードされ、カノラも負けじと胸を張って美しく踊る。


「卒業式の日、カノを巻き込みたくないって言ったのは本心だよ。でも、それだけじゃなくて……俺はカノがいると『俺』になりきれない」

 

 カノラは少し俯いた。名もなき彼にとって最も大切な存在は、カノラではない。死人でありながら生きている、ヴィント・スノラインだ。


 誰が自分自身を捨てられる? 彼はヴィント・スノラインかカノラ・スプリングのどちらか一方しか選べない。


 カノラは彼に身体を寄せ、ぴたりとくっついた。


「……もう一度、話したいの」

「答えは変わらないかもしれない」

「でも、ふたりで考えたい」


 もしカノラが一人だったら、今夜、ヴィントの前に立つことはできなかった。彼の腕の中にいる自分こそが、その証明だ。


 迷うように、くるくると回る。何度も何度も自問してきた問いを繰り返すように。

 カノラは手を握り続けた。ふりほどかれないように、彼に遅れを取らないように、ひたすら華麗に踊るのだ。


 そうして曲が終わる少し前に、彼は一瞬だけ手を握り返してくれた。


「……わかった。カノはこのまま会場を抜けて上の階で待ってて」

「え? すぐ?」

「”ラストダンスで親密に寄り添う令嬢”――父さんは当然だし、王弟にも呼ばれかねないよ?」


 うっかりしていたが、この中には王弟やその息子たちもいるのだ。

 そろりと目を動かすと、誰も彼もが興味深そうにカノラを見ている。ロスカ・スノラインの眼光がすごい。あらら、いつの間にお戻りで。


「ランタに案内させる」

「あ……待って。フォル様に伝えなきゃ。着替えのワンピースも荷物も、全部フォル様の家に置いてきちゃったから」


 今夜の身支度はリエータに手伝ってもらった。フォルの家にドレスを運び込んで着替えをし、そのままスノライン家に移動してきたことを思い出したのだ。


 ふと冷ややかな空気を感じて、目の前のヴィントを見る。


「なにそれ。わざと言ってる?」


 目が怖くて可愛い。

 またやっちまったらしい。


「ンンっ、ゴメンナサイ」

「カノが悪い。『フォル』は禁止」


 耳元で告げられ、二人は身体を離した。

 見つめ合って、貴族らしいお辞儀で解散。


 すぐさまランタに回収され、カノラはスノライン家の二階へと足を踏み入れた。






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