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No.66 午前零時に駆け出して


 そうして迎えた、叙爵奉告の夜会。


 カノラは菜の花のようにふわふわとした春色のドレスに袖を通した。


 唇を軽く結ぶと、夕焼け色のルージュが度胸をくれる。

 足を動かせば、ドレスの裾にあつらえた淡い月色のチュールが揺れ、とびきり美しく見せてくれる。

 栗色の髪に添えたのは、ヴィントの瞳の色によく似たアクアマリンの髪飾り。

 身にまとう物は、すべて自分の味方だ。


 ヴィントと出会って三年ほど経つが、王都のスノライン家を訪れたのは初めてだった。

 黒い空を突き刺すように伸びた柵門。青白い外灯は、カノラの顔をもっと青く染める。


「ここが、スノライン侯爵家」


 ―― ずっと……ヴィンくんが、たったひとりで戦っていた場所


 こぼれそうになる涙を堪える。

 月夜の晩、その固く閉ざされた扉が開いた。


「カノラ嬢、心の準備は大丈夫ですか?」


 隣にいるフォル・ハーベスに問われる。


「もちろんです。行きましょう」


 カノラは背筋を伸ばし、スノライン侯爵家の巨大な洋館に足を踏み入れた。


 つつがなく受付は済まされ、カノラはそこでフォルから一歩離れる。


「ここまでで大丈夫です」

「いえ。リエータ嬢からも全力でフォローしろと言われているので、お供しますよ」


 カノラは周囲をちらりと見る。誰を伴って出席しているのか、探り合うような視線が交わされている。噂話を拾うには便利な耳が、警告を鳴らしていた。


「あらぬ噂が立ちますよ?」

「……なるほど」


 フォルは苦笑い。会場内にはいるから、何かあったら必ず声をかけてください、と言ってくれた。


 そのまま一人で歩を進める。全く無駄のない動線で案内された大広間。その中央に、彼は立っていた。


 ―― ヴィンくん!


 あぁ、いた。やっと会えた。

 だが、目は合わない。頭上のシャンデリアが眩しくて、カノラは目を細める。


「スノライン侯爵閣下」


 彼はそう呼称され、招待客の前で口を開く。


「このたびの叙爵は、ひとえに国王陛下のご高恩によるものです。本日、皆様と杯を交わせる光栄に――感謝いたします」


 いつもの声より、いくらか低い。悠然とした穏やかな彼の口調とも別人だ。カノラは唇をきゅっと結ぶ。近づくほど遠くなるな、って。


 彼の隣に立っているのは、王族らしき人物。ルミアよりも薄い瞳の色――あれは王弟だ。その息子たち、そしてロスカやルミアが並び、王弟の杯によって夜会の始まりが告げられる。


 よし、と気合いを入れて中央にずんずん進むが、あれよあれよという間に、彼は人の波にのまれてしまった。

 どうやら挨拶の順番があるらしい。カノラは人集りの端っこをうろうろしてみた。


「人が大盛りね」


 音楽団が奏でる音に合わせ、広間の真ん中でワンツースリーと踊る人々。その反対側には所狭しと並べられた料理たちと、それをつまみにグラスを傾ける陽気な人々であふれている。


 人集りから一歩引いて、カノラは大理石の柱に映った自分を見る。こんなすごい夜会の主役に無謀にも告白して、さらに断られたのに招待客にまぎれこんでいるわけだ。普通の感性だったら、扉が開いた時点でもう帰っている。


 そこで、ロスカとルミアの周囲にあった人集りが急に開かれる。先にご挨拶を差し上げようかと思ったが、どうやらルミアは退室するようだった。遠目から見ても、顔色が悪い。

 彼女に寄り添うように、ロスカも一時退室してしまう。なんだか胸騒ぎがして、カノラはその背中を目で追った。


 すると、ふと視線が遮られ、目の前に煌びやかな二人が現れる。


「やあ、カノラ嬢。久しぶりだね」

「無事に出席できましたのね」


 ノルド兄妹だ。カノラは少しホッとして、二人に挨拶を返す。

 美しい所作を見せると、セイルドは感心した様子で小さくウインクをしてくれた。眩しい。


 二人はすでに飲み物を片手に夜会を楽しんでいるようだった。


「お二人は、もうヴィンくんと話しました?」

「ええ。案内されてお会いしましたわ」

「我がノルド侯爵家はノーザランドの代表として出席しているからね」

「プライオリティなパスですね」


 カノラなんて招待も受けてない子爵家の人間だ。加えて彼は回避魔。このまま話せない可能性もあるよね、とカノラは少し俯いた。 


「本当に遠い……どうして、こんなにも距離があるのでしょうね」


 ルーナはヴィントの方を眺め、そう言った。ふと彼女の目元に視線を向けると、いつもは落ち着いたブルーベースのアイシャドウを好むのに、今日は淡いピンク色。声に陰りがある。

 セイルドの入国に合わせ、少し前からルーナはホテルに泊まっている。顔を合わせるのは久しぶりだった。


「あの……なにか、ありましたか?」


 カノラが尋ねると、ルーナは肩をびくりと震わせ「いえ、なにも」と微笑んだ。


「お一人ではヴィント様に近づけないのであれば、わたくしがご一緒しましょうか? ノルド侯爵家であれば通していただけるかと」

「ルーナ」


 セイルドが困ったように首を横に振る。ルーナは「そうですわね」と言葉をのみこんだ。


「気持ちはわかるが、今夜、僕たちのすべきことはスノライン家との関係が良好だと示すことだ。それが――ヴィントの力になる」


 ルーナとヴィントの婚約は公にされる前に白紙になっている。だが、噂は立ってしまうのだろう。カノラを連れていけば、何かしらの力が働きかねない。


 大丈夫です、とカノラは固辞した。


「ヴィンくんの悔しそうな顔、楽しみにしていてくださいね?」


 にやりと笑ってみせると、二人は小さく吹き出して応援してくれた。


 そうは言っても、カノラの順番はなかなか来ない。そもそも、これって何順? 背の順ではなさそう。


 彼の視線が注がれた方向に侍従がさっと動き、自然と次の挨拶が始まってしまう。相当な立場でなければ、あちらから声をかけられるのを待つものらしい。いっそのこと、近くの人気パン屋のように一列になってくれたらいいのに。


 会話だけでなく、ダンスを踊る場合もあるようだ。回数にすると、ここまでで三回。彼は見知らぬご令嬢と踊っていた。


 悔しいけれど、侯爵の彼はとても格好良い。あのだらけた姿を知っている分、出来の良い笑顔が憎らしく見える。

 あぁ、心がぐちゃぐちゃに潰されそう。あの中の誰かと婚約をし、一生を捧げるのだろうか。


 チクタクチクタク、柱時計の音が鳴る。カノラが一歩進めば、彼に一歩近づく。


 しかし、シンデレラの魔法が解けるように、夜会にも終わりはくる。


 カノラは知っていた。音楽団が奏でる音楽にはおおよその流れがある。始まりは華やかに、中盤ではしっとりと、そして終わりに近付くにつれて厳かに。曲調は――もうフィナーレに近い。


 そう思ったところで、音楽が途切れた。


 次が最後の曲だろう。曲が終われば、主役である彼が静かに退室して、夜会は終わる。


 会場は騒がしいのに、カノラの耳には心臓の音しか聞こえなかった。ドクンドクンと鳴る音で、曲の終わりが近付くことを実感する。


 ―― もう終わり……? 会えないまま?


 ううん、まだ終わらせない。


「……恋祝福」


 カノラはそう呟いて、ぎゅっと唇を噛んだ。

 

 武器は限られている。方法は一つだけだ。

 踊るような軽い足取りで、音楽団に向かっていく。


 そうして曲が終わった瞬間、カノラはヴァイオリン奏者に頭を下げ、家名を名乗った。

 

 他人に楽器を預けるなど、相当な賛美だろう。

 セントステイト王立学園、音楽コンクールの優勝者。他国の音楽科にまでその名が知られているのだ。自国の音楽団の彼らからは、敬意の眼差しと共にヴァイオリンが差し出される。


 ダンスを終えて喉を潤している人々をかき分け、カノラは広間の中央に立った。



 カノラ・スプリングは不器用だ。


 要領も悪いし、賢くもなくて悩んでばかり。

 へなちょこですぐへこたれて、そのくせ諦めは悪い。

 頑張り屋だけど、自分ひとりでできることなんてほとんどないし、いつも誰かに助けてもらってばかりいる。


 だから、今、ここに立っている。



 ―― ヴィンくん、こっちを向いて



 シャンデリアの下で輝く彼に向けて、それを震わせた。

 




 

 

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