No.56 攫って
朝食後、カノラはノルド侯爵家に連れて来られた。
来訪予定のなかったスプリング兄妹にも笑顔を振りまいてくれるルーナ。正直、気まずい。
「――予知の話でございますか?」
彼女は上質なワンピースに身を包んでいた。髪は美しくまとめられ、首の細さが際立つ。オシャレすぎて泣く。
ヴィントの来訪予定に合わせて、この日は兄セイルドも在宅していた。見送りという名の釘を刺すつもりだったのだろう。ルーナの横に座り、これまた謎にお洒落なスーツを着ている。
「今日はルーナの触れ合い練習の予定だろう。なぜ予知の話を聞きたがる。何か特別な理由が?」
当然、訝しげなセイルド。ヴィントはまあまあと宥める。
「大人数で押し掛けちゃって申し訳ないね。カノラがどうしても聞きたいっていうもんだからさ」
ナンダッテ??
「ヴィ、ヴィンくん……?」
「カノラの気持ちもわかるよ。アゼイの話を孫が聞きたがるのも当然だよね」
ヴィントからの圧が凄い。カノラはガクガクと頷いた。すると、セイルドの眉がほろりと緩む。
「なるほど、カノラ嬢とダンテにとっては家族の思い出話になるのか。あるいは、予知にご興味があるのかと」
「え、ええ? ええ、興味があった方が良さそうだとは思ってます」
このためにカノラを連れてきたわけだ。さすがにちょっとイラッとしたので、ヴィントの脇腹を軽く小突いてやった。まったく人の気も知らないで。
セイルドとルーナは顔を明るくして、身を乗り出す。
黒い瞳はキラキラを通り越してギラギラしている。布教活動だ。光線を浴びてしまい、カノラは予知に興味がある顔をしてみせた。
「あれはルーナがまだ六歳の頃かな。家族で美術館に足を運んだ際に、偶然アゼイ本人に会ったんだ」
ヴィントとの出会いもそうだが、あっちこっちに顔を出すフットワークの軽いおじいちゃんだ。
「その頃、まだわたくしたちはアゼイに心酔しておらず、両親だけが喜んでいたのを覚えております。そこでお兄様が一枚の絵を渡されたのです」
セイルドは胸に手を当てて、その絵の情景を語った。
「その絵には、夕日に染まったノーザランドの街並みが描かれていた。なんだか物悲しいような、懐かしいような、そんな感覚がしたよ。それが【No.082】だ。アゼイからは『きみにこれを渡すから、きみが助けなさい』と言葉を添えられた」
たしか、ダンテが”唯一の人物画"と言っていた貴重なナンバーだ。
ダンテに視線を向けると、珍しいことに、ノルド兄妹を真っ直ぐ見ていた。青い瞳がいつもより深い。茶々を入れることもなければ、居眠りをする様子もない。
「ルーナが誘拐されたのは、その半年後だ。ちょうど両親が他国に出向いている間の出来事だった」
誘拐。カノラは胸の前で手を握る。
犯人は雇ったばかりの侍女だったという。お稽古があるといってルーナを連れ出し、そのまま監禁。
「夕刻前に事態に気付き捜索したが、連れ出されてからすでに一時間以上経っていた。聞き込みをしてみたが、何の手掛かりもなかった」
セイルドはそのときの焦燥を思い出したのか、手を強く握りしめる。
「……怖かったよ。妹はもう殺されているかもしれない、二度と会えない、両親がどんなに悲しむか。代わりに、僕を攫ってくださいと、何度も願った。少しずつ日が落ちて、夕日で染められた真っ赤な空を見たとき――思い出したんだ。アゼイの言葉を」
セイルド少年はすぐさま部屋に戻り、飾っていたアゼイの絵画をじっくりと見た。
綺麗な街並みには、なにかを必死に探すような、さまよう足跡だけが描かれていた。足跡の持ち主はわからない。隅々まで見てみても、その絵にはたった一人しか人物が描かれていないのだ。
緑色の家の窓から、金色の髪の少女が顔を出していた。それがまるで妹みたいで、セイルド少年は絵を抱きしめた。
屋敷中の大人を集めて聞き込んでみると、それが街はずれにある古びた住宅街に似ていることがわかった。
ありえない、と困惑する侍従に大声で噛みつき、騎士を連れ立って向かってみると、緑色の家の二階で寝ている妹を見つけたそうだ。
「あれは、正に予知だった。今もここにルーナが存在しているのは、アゼイのおかげだ。父上や母上は子どもの戯言だと思っているが……そうではない。僕たちは、予知に助けられたんだ」
セイルドの手に、ルーナのそれが重なる。
カノラはアゼイの叙述のことを思い出す。宝箱に入れられたのは――妹を必死に探すセイルド少年だ。熱狂的な予知派のシスコンブラコン兄妹に見えるが、人はそんな簡単じゃない。胸の奥がきゅっとなる。
すると、隣に座っているダンテが「No.082」と呟きながら身を乗り出す。
「そういや実物は見たことねーな。どこに――あ、ねぇのか」
ルーナが小さくうなずく。
「お父様が、フークリンに渡してしまったのです」
「本当に、勝手なことを」
セイルドとルーナの瞳には、珍しく父親への非難の色が見て取れる。カノラたちがノーザランドに来たばかりの頃は、見せてくれなかった色だ。
命を助けられた絵画を【橋の絵】と引き換えに渡したとなれば、セイルドは当然ながら温厚なルーナが怒るのも無理はない。それでも、二人は怒りを口にしない。
「すげぇ悪い父親じゃん。っつーか、相当なバカ? そんなのでも当主やれんのな。フークリンに騙されたってのも納得」
代わりに、ダンテが物を言う。侯爵相手に罵詈雑言。部屋にいる誰もが思っていても、絶対に口に出せなかった言葉をすらすらと言ってのける。
ルーナは目を丸くする。美しい手で頬に触れ、唇をきゅっと結び、そして――笑った。
「ふふっ、本当に真っ直ぐな方ですわね。弁解の余地はありません。代わりに怒ってくださって……嬉しいです」
「いやいや、自分で怒れよ」
心底理解できないと言った様子のダンテ。
ルーナとセイルドは困ったように目を合わせる。ヴィントに視線を向け、ご内密に願います、と前置きをした。
「実は……お母様が病を患ってしまい、あまり長くないのです。お父様なりに、何かしてあげたいのでしょうね」
「幻の五番は、母上の悲願だった。父上が『見つけた』と伝えたときは泣いて喜んでいたそうだよ。今も橋の絵がそれだと信じている」
怒りたくても怒れない。人の過ちは、多くの事情が積み重なった上にある。
ダンテが黙ってソファに背中を預けたのを見て、ルーナはふうっと小さく息をつく。
「三枚のアゼイ――せめて、【No.082】だけでも金銭と交換してもらうよう、フークリンに交渉できれば良いのですが」
「気持ちはわかるが、得策ではないだろうな」
セイルドはヴィントに同意を求めているような仕草を見せる。
だが、彼は何も言わなかった。どうしたのだろうと、カノラも視線を向ける。
何故だか、彼はぼんやりと窓の外を見ていた。降る雪を眺めているのか、それとも曇った空を見ているのか。アイスブルーの瞳が微かに揺れていた。
「ヴィント?」
「え……あぁ、ごめん。三枚のアゼイの話だよね」
彼は一瞬だけ目を閉じ、小さく頭を振る。一拍置いてから、話に入った。
「残酷だけど、できれば鑑定結果が出るまで、このままフークリンに持たせておきたい。【No.082】は、この賭けの保証――いわば、守り神になっていると思うんだ」
確かにフークリンは契約書にサインをした。やつが名もなき画家に向ける感情を見ても、逃げる可能性は低いだろう。
ただ、紙は紙だ。逃げない確約もない。
橋の絵の鑑定結果が出たとき、やつが逃げたとしても、そのときはお尋ね者。問答無用に社会的制裁が下る。
だが、金とは違い、絵画は移動が難しい。特に貴重な【No.082】は売り払えば足が着くし、確実にフークリンの重荷になるはずだ。ヴィントはそう伝えた。
「あの絵が、守り神……か」
ノルド兄妹は、その言葉に深く頷いた。
そのときちょうど、応接室の大きな柱時計がボーンと鳴る。もう正午だ。ルーナはそれに視線を向け、ヴィントに尋ねる。
「予知の話はお伝えした限りでございます。それで、あの……ヴィント様。差支えなければ予定通りに練習をさせていただきたいのですが、いかがでしょうか?」
「あぁ、そうだったね。カノラとダンはどうする?」
どうするもこうするも、二人がデートするのに一緒にいられるわけもない。
「えっと……そしたら、わたしとお兄ちゃんは帰ります。ごめんなさい、お邪魔しました」
しかし、そこでセイルドが立ち上がる。
「すまないが、帰宅はダンテだけにしてもらえるか?」
そう言って、カノラの隣に立つ。なんか……前にもこんなことがあったような。非常識求婚の再来か。
「カノラ嬢、もし時間があれば、僕とデートをしてもらえませんか? 元々、誘いに行くつもりだったんだ」彼は仕立ての良いスーツを指差して、ウインクをする。
「え、デート?」
「ありがとう、うれしいよ。早速いきましょう」
復唱は了承として受け取られたらしい。とっても強引だ。
セイルドはてきぱきとダンテを帰宅させ、さっさとルーナとヴィントに挨拶をし、瞬く間にカノラを馬車に乗せる。
空はホワイトグレーの雲で覆われている。
舞い落ちる雪と共に、二つのデートがはじまった。




