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No.55 いちばん好きなもの


 ヴィントは、頑なに贋作製作を譲らなかった。


 他にもフークリンを捕まえる方法はあるはずだと、カノラは何度も考えた。だが、あの素晴らしい橋の絵を思い返すと、なかなか思考は深まらない。


 思考停止に追い打ちをかけたのは、時間のなさだ。この春までに、一流の鑑定士たちを欺くような作品を描き上げなければならない。


 その第一歩が、材料集め。それらしい理由を添え、アゼイが残したキャンバスや鉱石などを大急ぎで取り寄せる。すでに下地が塗られているものを使えば、時間も短縮できるはず。


 アトリエは、学生寮の空室を使う。

 大きな布で床やインテリアを保護し、イーゼルを数台用意する。まるで秘密基地。学園の生徒がいなくなった夜遅くにこっそりと運び入れるのは、不謹慎ながらスリルがあって少しわくわくしてしまった。


 アトリエ作りの最中、兄ズは贋作製作のポイントを話し合っていた。二度と役に立たない知識であれ、と願いながらカノラも耳を傾けた。


 ポイントは、三つあるそうだ。


 一つは、絵の具が硬化するときに入る”亀裂”だ。

 例えば、キャンバスを曲げれば簡単に亀裂を入れられるが、規則的かつ作為的に加えられたものにしか見えない。自然な亀裂はランダムで、そこから何年前にかかれた物なのか鑑定するらしい。


 幸いだったのは、アゼイが死去してから数年しか経っていないこと。


 晩年に描かれた絵画の亀裂なら再現できそう。暖炉を使い、熱と乾燥を調整しながらじっくり乾かしていく。これはダンテが実験で確かめてくれるらしい。

 ただ、この調整を間違えれば、せっかく描いた絵画も失敗作になり、振り出しに戻る。時間がない中で、どれだけ追い求められるのか。


 でも、救いもあった。

 同じく晩年期に描かれたものであれば、絵の具の表面は触れるくらいに硬化していても、まだ内部は柔らかい。アルコールで損傷してしまうため、鑑定でアルコールテストは実施されないそうだ。

 だが、他の鑑定項目で少しでも引っかかれば、画家生命は絶たれる。決して安心できなかった。


 そして、二つ目のポイント。これがひどく悩ましい。


 どんな絵を描くか、だ。橋の絵を超えるような題材を決めなければならない。


 橋の絵には、一つ弱点がある。予知が描かれていないこと。

 もし、ヴィントが描く幻の五番にわかりやすく予知を盛り込めたら、確実にこちらが勝つ。『絶対に負けられないジャンケンは後出しで勝つんだよバーカ』と、目の良いダンテが言っていた。


 だが、しかし。


 予知っぽい予知ってなによ?

 全くわからない。大問題だった。


「予知って、後出しジャンケンみたいですよね」


 朝食前のアトリエ部屋。カノラはゴリゴリと削る鉱物の音を聞き分けながら、その比率を調整する。

 これが贋作製作の三つ目のポイント。アゼイの使用していた絵の具の完全再現だ。


 大まかな調合比をダンテが教えてくれたので、あとはカノラの耳で調整していく。ゴリゴリと鉛白を粉々にし、そこに少量のコバルト顔料を入れる。すでに七色目だ。


 一方、彼はスケッチブックに下絵を描き続けている。どれも納得できないらしく、とうとう筆は口に加えられてしまった。

 おさぼり厳禁ですよ、と言いながらカノラがそれをひょいと取りあげると、次は唸る。むー。


「むずい。難しすぎる。描いた順番と作品ナンバーがばらばらで、アゼイ作全部が予知に見えるし、予知に見えない。つらい……」


 彼はまたテーブルに突っ伏してしまう。これでよくフークリンに啖呵を切ったなと、ちょっと笑ってしまうカノラ。


「予知体験者に話を聞きたいですよね」

「そんな人、いないでしょ。ふあ~、ねむ……」


 彼は背伸びをして立ち上がり、ふらふらとソファに着地する。


「二度寝も厳禁。今日はルーナさんとデートの日でしょ? あ、もう朝食の時間。ダイニングルームに行きますよ」


 この日は延期になっていたルーナとの触れ合い練習デートの予定だそうだ。そりゃあカノラだって落ち込むけれど、気にしない、気にしない。


 もそもそと白衣を脱ぐヴィント。

 床には昨日の白衣、一昨日の白衣……。点々と落ちている白い塊は、まるで脱皮だ。


 普段はしっかりしているヴィントだが、コンクール前など佳境に入るとだらしない一面を見せる。なんだかスプリング家が懐かしくて、カノラはそれらを拾い集める。

 この状況のおかげか、祖父のことを思い出すことが増えた。また心がほっこりと温かくなる。


「懐かしい」

「んー? なに? ……あ、白衣ごめん」

「ううん、大丈夫。ふふっ、この白い抜け殻。おじい様もこうだったなぁって思い出したの」

「アゼイが?」


 ヴィントが急にシャキッとする。わかりやすい。


「ほら、子どもの頃に大雨で洪水が起きたことがあったでしょ?」

「俺は領地にいたから。でも、王都で災害があったのは知ってるよ」


 ありがとうと言いながら、カノラの手から白衣を取り上げ、彼はハンガーにかけていく。


「こんな風に、おばあ様が白衣を拾って集めてたの。でも、大雨が何日も続いて、お洗濯ができなくて。やっと晴れた日に大洗濯。頑張って干して、ずらーっと並んだ白衣に、おばあ様の赤い髪が映えて……すごく綺麗で、わたしもよく覚えてる」


 『この美しい光景はあなたのだらしなさの産物です』って、祖母が嫌味を言っていた。祖父は平謝り。


「並んだ白衣……?」


 ヴィントは白衣をガシャンと乱暴にかけ、本やスケッチブックを何冊も取り出す。届いた荷物を整理しきれていないのだ。

 ようやく見つけたのは、スプリング家に保管されていたアゼイの画集だった。


「カノラが見た光景って、もしかしてこれ?」


 見せられたのは、白い服たちが踊っているような絵画だ。


「あ、そうそう! 絵になってたのね」

「背景は大きな雨雲、地面は水に浸かってる。あの大洪水の予知だと言われてる絵画だよ」

「じゃあ、洪水が起きる前に描いたのかしら。覚えてない。でも、肝心のおばあ様が描かれてないのね」


 カノラはちょっと眉をひそめる。功労賞はおばあ様ですよ、と。


「へぇ、おもしろい」彼は画集を指でなぞる。

「ずっと服が踊っている絵だと思ってた。でも、白衣を干している絵なら、この裾の翻り方は自然だよね。干してる人間だけを省いて、見たままを描いたのかも」


 省いて描く。そのキーワードは、カノラの記憶をこじ開けた。たしか、あれはアゼイが死去する少し前のことだった。


「そういえば、おじい様がそんなようなことを言ってたかも」

「なに?」

「絵を描くときの話。絵画の話をわたしにするなんて珍しくて……なんで忘れてたのかしら」


 カノラは、アゼイ・スプリングの声を思い浮かべた。あまりはっきりとは喋らず、少しくぐもった声。丁寧だけれど聞き取りにくく、それなのにスッと心に染みこむような不思議な声だった。


『人生の中で、心に刻みたいと思えるような景色に遭遇するのは稀なことだよ。僕の場合は、ぴったり百回しかない。


 それは作品というよりも思い出に近く、その一つ一つを忘れたくなくて、ダダをこねるように描いているだけなんだ。


 でもね、僕はとても狭量で意地悪な人間でね。他人にすべてを見せるのは気が進まない。だから――』


 カノラは目を閉じる。祖父がそばにいるような気がして、不思議と言葉が出てくる。


「その光景の中で一番美しいものを取り出して、僕の心の中にある宝箱にそっと入れてしまうんだ。これなら、僕だけが思い出を楽しむことができるからね」


 ぱっと目を開ける。


「――そうよ。おじい様は、そう言ってたわ。この絵におばあ様が描かれていないのって……もしかして?」

「アゼイにとって、一番美しい部分――宝箱の中に入れたからだ。これがアゼイの叙述ルール……? 正確に言えば、欠如の法則だ」


 ヴィントは四連作を例にとる。


 【海水】美しい海の群青色を隠すように、夕焼け色で染めている。


 【満月】綺麗な月を雲で覆い隠している。


 【深雪】最も目を引く美しい雪原の大地を省き、見上げる構図で降雪が描かれている。


 【菜の花】晴れ渡る青空を見せないように、大地を見下ろす構図を取っている。


 全て、アゼイの宝箱に入れられた”一番たち”だ。


 彼は画集をすごい速さでめくり、欠如している部分を指でなぞっていく。次第にそれは遅くなり、とうとう画集から手を放した。



「一番好きなものは、描かない――」



 ヴィントは小さく呟き、目を見開いた。


「ヴィンくん……?」

「だから、描かれていなかったってこと? ……いやいや、そんなことありえる? カノラ、ごめん。ちょっと混乱してるかも」


 珍しい。素直に頭の中をさらけ出すなんて。

 彼は本当に混乱しているようで、カノラを見つめて――いや、カノラの先にある何かを見ているのか、焦点の合わない目をしていた。


「……ダイニング」

「え? あ! そうでした、ダイニングルームに行かないと! ルーナさんとのデートに遅れちゃう」


 ぼんやりしてるヴィントを引っ張り、さらにダンテをたたき起こし、ぽんこつ兄ズをぐいぐい押しながら一階へ向かう。


 ヴィントはもそもそと朝食を口に運んでいるが、心ここにあらずといった様子だった。よく見たら部屋着のままだし。


「ヴィンくん、ぼーっとしてるけど大丈夫? 着る服は決めてあるんですか?」

「んー……服は着るって決めてある」


 朗報だ。


「まったくもう。デートを楽しませるための話題リストとか用意しました?」

「なにそれ。そんな面倒なものを用意されて楽しめる人なんていないよ」


 なんという悲しい回収だろうか。カノラはフォルとのデートで蓄えた話題リストを頭の中で破り捨てた。だからダメだったのか、と。


「どーせ楽しくないですよーだ。ねえ、お兄ちゃんはルーナさんと酒場にいったのよね? どういう話をしたの?」

「あー? あんま覚えてねーな。あいつ、話がなげーから」


 なぜこの二人がモテて、頑張っているカノラがモテないのか。世の中は理不尽だ。ナイフを握りしめて、目の前のハムを切ってやろう。ギーコギコ。


「あー、でもじいちゃんの話は出た」


 ダンテは赤髪をくしゃくしゃと乱す。


「なんだったっけかなー。アゼイの予知で助かった的な?」

「え!? ルーナさん、予知を体験したことがあるの?」

「しらねーよ。本人に聞けば?」


 カノラとヴィントは目を合わせた。こんな身近に予知体験者がいたとは。贋作に活かすために、ぜひとも話を聞いてみたい。動機が不純すぎるが、本当に困っているのだ。


「ダン、はやく食べて。ルーナ嬢に話を聞きにいこう」

「え? オレもいくの?」

「待って待って。今日はデートでしょ? わたしたちはお邪魔だからヴィンくんだけで行って」

「デートはデート。予知は予知。とりあえず三人でいこう」


 えええ、と思いながら、とにかくパンを飲み込んだ。





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