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No.50 へなちょこなのに強くて


 翌朝、学生寮の空き部屋。

 カノラは足がつりそうになっていた。


「ねぇ、ヴィンくん。お願い、ちょっと休ませて」

「んー。ごめん、もうちょっとだけ」

「もう無理。だめ、足が……!」

「はい、おつかれ。楽にしていいよ」


 痛い痛いと言いながら、カノラはつった足を伸ばす。ぐいーっと伸びゆくふくらはぎに、ようやく人間としての感覚を取り戻していく。


 正直、絵のモデルなんて不相応だ。今までだって頼まれたことはなかったのに、どういう風の吹き回しか、一枚だけだからとお願いされてしまった。


 早起きさせられて空き部屋に連れられ、銅像になりきった五十分間。何の意味があるというのか。

 でも――別に仲直りじゃないけど、いつもの空気に戻るのにちょうど良い時間だった気もする。

 

 ヴィントとの間にあった謎の張りつめた空気は、カノラの右肩の痣が薄まるにつれて、少しずつ解けていった。カノラなりに自分の気持ちと立ち位置がわかったからだと思う……たぶん。


「ありがと。ナイス銅像に拍手」

「疲れた……。わたし、銅像を尊敬します」


 なぜ、銅像は美しく見えるのか。その答えをカノラは導き出した。決して動かないからだ。

 動けば醜い姿を晒すことになる。どんなに雪が降り積もっても、凍えそうに辛くても、じーっと耐える。その忍耐こそが銅像をより美しく見せるわけだ。


 あははと笑いながら、ヴィントは無慈悲にスケッチブックを閉じた。たった一枚だけ。彼がちゃんと描いてくれた、カノラの絵だ。


「……あのー、思ったんですけど、モデルならルーナさんにやってもらえばよかったのでは?」


 彼は、そうだなぁと言いながら、部屋を片付ける。


「そもそも俺が画家をやってること、ルーナ嬢は知らないと思う」

「まさか婚約しても知らせないつもりですか?」

「まさか。聞かれたら言うよ」


 ヴィント語を翻訳すれば、どうせ聞かれないから言わないよ、という意味になる。

 王都の自宅で、彼はほとんど絵を描いていないと言う。両親や侍従ランタにも画家として活躍していることは伝えていない。『どうせ調べて知ってるだろうし』とヴィントは言っている。


 彼は火かき棒で暖炉の灰を広げ、残り火の熱を逃がした。


「よし、完了。もうすぐ始業ベルが鳴るから行こ?」

「もうそんな時間? 待って、鞄を――」


 そこでカノラは思い出した。彼を驚かそうと用意していたものがあったのだ。


「おめでとうございます! 今朝の新聞、見ました?」


 カノラは鞄から新聞を引っ張り出す。配達のときに雪で濡れてしまったようで、乾いてごわごわしている紙面を広げて伸ばした。


「ほらここ! コンクールの一位、名もなき画家アノニマス!」

「あぁ、今日発表だっけ」

「二位はフークリンの筆名ですよね。また勝ちましたね」


 ヴィントは新聞を眺めながら、「へー」と言うだけだった。


「なんですか、その余裕な態度は。まあ、当然の一位ですもんね。これで何個目でしたっけ。ひーい、ふーう、みーい……」

「実は、受賞者には事前に知らされるんだよ。ちょうど熱でうなされてた時期だったから伝え忘れてた」


 スノライン領で刺されたときだ。ヴィントは右肩をトントンと指で叩きながら笑う。お揃いの右肩の傷、なんてカノラはこっそり思ったり。


 びっくりする顔を見たかったのに……と、少々残念がって見せると、ヴィントはカノラの手から奪うように新聞を取り上げ、ピースサインでにんまり顔を見せてくれた。驚く様子を見せてくれないところが、いかにも彼らしい。


 二人は空き部屋を出てロビーに降りる。そこには、ソファに寝転ぶダンテがいた。朝食の時間からずっとこうだ。


「お兄ちゃん。まだ寝てたの? ちゃんと部屋で寝なさいって言ったのに」

「ん……ふぁあ~。眠くて寒い~」

「ダンは自由でいいね」


 ヴィントと二人で引っ張り上げ、ぽてぽてと歩かせる。カノラがぐいぐいと背中を押すと、それが思いのほか強かったらしく、ダンテはぼんやーりと目を覚ます。


「なんか腹減ってきたな。あ、そうそう、昨日いった酒場のグリルチキンがマジでうまくてさ! 今度いこーぜ」

「いいね。なんてお店?」

「ぶどう色のランプの店」

「あはは、ダンが好きそう」

「そーか? そういやさぁ、そこにフークリンがいてさ。あいつ変わんねぇのな。ルーペに引っかかってやんの。まじ笑った」


「なにその重要な話」


 できれば、グリルチキンより前に言ってほしい。

 残念ながらキーンコーンカーンコーンと予鈴が鳴ってしまったので、話は放課後に持ち越された。三人の貴族が雪の中を駆け抜ける姿は、かなり目を引いたらしい。



 放課後、学園内レストランの個室に五人が集合。


 ルーナからの説明で、カノラも流れは理解できた。その最中、セイルドがあからさまにため息をついたり、頭を抱えたり。彼は今朝早くに話を聞かされていたらしく、妹の大冒険にご立腹。


 カノラは、実兄の無謀さに平謝りするしかない。同じ兄という生き物なのに、なぜこうも違うのか。泣きたくなる。


 だが、一番気になるのはヴィントの反応だった。ルーナはとても堂々としているが、(まだ婚約前とはいえ)彼女が他の男性を引っかけていることに対して、思うところはあるはずだ。

 だが、彼の眉はつり上がってもなければ垂れ下がってもいない。


「ルーナ嬢は度胸があるね」


 カノラが「ぇえ?」と非難の声をあげると、ヴィントは穏やかに微笑む。


「まあ、声をかけてくれた方が良かったけど、セイルドと俺は不在だったし、判断として間違ってない。ルーナ嬢は無謀な人ではないし、ダンがついてくれてたなら心配はいらないよ。信頼してるから」

「……お兄ちゃんがついてるから不安なのよ」


 この兄が安心材料になることなどない。兄はへらへらしながら、昨日の話を続ける。


「んで、尾行してみたら、没落デズリーの空き家に到着。フークリンが住んでるかはわかんねーけど、まあなんか繋がりがあるんだろ」


 ヴィントは目を細め、テーブルで指先をトントンと叩く。五回鳴って、それは止まった。

 

「贋作を売り払う詐欺師なら、特定の場所や人物と何度も会うのは避けたいはず。たぶん"ルナちゃん"も、二、三回が限界だと思う」


 フークリンは一枚の絵から二枚しか複製しないと言っていた。店も二回しか訪れない。ノルド侯爵も会えたのは二回だけ。痕跡を残さないための独自ルールなのかもしれない。次を用意できない以上、むやみやたらにルナちゃんを使えない。


 ヴィントの話を聞いて、ルーナは頷いた。


「では、手紙でのやり取りのみで惹きつけるしかありませんわね。もしフークリンに行方をくらます気配があれば、すぐに逢瀬の約束をとりつけます」

「うん、そうしてもらいたい。ダンのおかげで没落デズリーの空き家に出入りしているとわかったし、そっちを探って捕まえよう」


 ヴィントの判断に対して、セイルドは不服そうに脚を組み直す。


「ルーナの安全を考えれば、手紙のやりとり自体、僕は反対だがな」


「お兄様」ルーナは眉を下げる。

「わたくしたちのアゼイを取り戻すためですわ。誠心誠意、フークリンの心を繋ぎとめるために邁進いたします」


 誠心誠意で仕掛けるハニートラップとはなんだろうか。ダンテのせいで、彼女はとんでもない方向に冒険心を発露していた。


「ルーナ嬢は面白い思考をしてるね。頼もしい」


 それが気に入ったのか、セイルドを()なすためか、ヴィントは微笑む。


「わたくしも、スノライン伯爵家に相応しい胆力を持たねばなりませんもの。……そのために、ヴィント様にお願いがございます」


 隣り合う二人が、また少し距離を近付ける。

 カノラは思わず胸のあたりをぎゅっと抑えた。銅像のように動かず、じっと耐える。


「昨日、ダンテ様に男性の心を掴む術をご教授いただきました。ですが、わたくしはあまりにも経験不足です。来たるフークリンとの逢瀬の前に、男性との触れ合いに免疫をつけておきたいのです。将来的なことを考慮しますと、やはりヴィント様にお任せするのが良いかと」

「あー……そういう話かぁ」


 ヴィントはちらりとダンテを見る。当のダンテは眠そうにあくびをしていた。


「そういうことなら、今度の土曜日に練習しましょうか」

「ええ! よろしくお願いいたします」


 間髪入れず、セイルドが釘をさす。


「ヴィント。ルーナに変なことはするなよ?」

「はいはい。ダンじゃないんだから安心してよ」


 カノラはカップを覗き込み、その琥珀色の水面に表情を映す。思ったよりも上手に笑えている。

 

 ―― うん、大丈夫!


 息を止めて、紅茶を飲み干した。

 ついでに、茶色の頭を叩いて全部リセット。



 学園内レストランから帰るとき、ルーナに声をかけられる。

 男性陣には聞かれたくない話なのか、顔を近付けてくる彼女を見て、街中に飾られている銅像が動いたとしても美しいはずだ、と今朝の考えを改めた。


「カノラさんは、ヴィント様と仲が良いですわね」

「ぇえ? いや、あの、そこまでそんなにあんまり仲は普通くらいですよ、本当に」


 これは、いわゆる私の婚約者に手を出すんじゃないわよ泥棒猫的なやつだろうか。突然、泥沼に浸かりそうな予感。今朝のカノラの絵が証拠となって訴えられるところまで想像が進んでしまい震えあがる。


「ヴヴヴヴィンくんは兄の親友で、かみ合わない会話を楽しむ程度の仲です!」

「ふふっ、ご謙遜なさらないで。昨日ダンテ様に教えていただいたのです。自由恋愛の素晴らしさを!」


 おっと、風向きが変わってきたぞ。とりあえずカノラは震えを止める。


「ルーナさん、うちの兄に影響されちゃダメですよ」

「いえ、ダンテ様の感性は独特で斬新ですわ。ですが、わたくしには定められた相手がおります。であれば、ヴィント様と自由恋愛をするのが合理的だと思うのです」

「合理的」

「彼の趣味や好きな女性の情報などあれば、ぜひ共有をさせていただけないかと」

「情報共有」


 なんかちょっと違う。この『そうじゃない感』をどうお伝えして良いものか。


「あの……わたしの場合なのですが、恋愛ってもっと突発的というか……」


 好きな人は予期せずできてしまうし、見込みのない相手であっても気持ちは止まってくれない。叶う恋もあれば、散る恋もある。叶えたいなら頑張るしかないし、頑張ってもどうにもならないのが恋であるということ。


 そして、情報は集めるものではなく、会話を重ねて少しずつ知っていくもの。もっと知りたいと思う人ができたとき、それが恋のはじまりなのだということ。

 フォル・ハーベスとの恋で学んだことを、カノラは拙い言葉で伝えた。


 ルーナは真剣な眼差しで聞いてくれたが、まだ感覚を掴み切れない様子だった。


「きっと大丈夫ですよ。ヴィンくんは素敵な人だから、すぐに好きになっちゃうと思います」

「ええ。そうなれると、わたくしも信じております」


 ―― うん、きっと大丈夫


 彼は意地悪だけど優しくて、へなちょこなのに強くて、歪んでいるのに真っ直ぐで、なんでもできるくせに人よりもずっと頑張り屋。


 誰よりもかっこいいのに、どこか放っておけない可愛さがある。


 時折、澄んだアイスブルーの瞳が心もとなく陰る瞬間があって、なんだか無性に抱きしめたくなってしまう。


 世界中探しても、そんな素敵な人は他にいないから。


 ―― だから、きっとルーナさんも大好きになっちゃうよ。わたしみたいに


 早く好きになって。

 そうじゃないと、止まらなくなるから。


 好きになっちゃいけないと思っている時点で、もう恋ははじまっているということ。一度生まれてしまった感情は、蓋をしたってかき消したって、なかったことにはできないということ。


 ヴィントとの恋で学んだことは、ルーナには言えなかった。

 


 


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