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No.44 音を飲み込む



「カノ。今、なんて言った?」


 ヴィントに詰め寄られ、そこでようやくカノラは半歩下がった。彼は一瞬だけ視線を床に落とし、すぐに顔をあげる。

 

「カノラの耳。なにか音を拾った?」

「う、うん。なにかが落ちた音がしたの。でも――」


 二人で同時に、視線を落とす。床は赤い絨毯だ。


「絨毯に落ちた音じゃないわ。気のせいだったみたい」

「気のせいじゃない。前にも言ってた。『ぽつん』と音がしたって」


 え、そんなこと言ったっけ、とカノラは思った。正直、全く覚えていない。でも、それを言いにくい緊張感。


「……その顔。どうせ覚えてないんだよね?」

「ええ、覚えてないわ。ごめんなさい」


 もはや思い出すことを放棄して、続くヴィントの言葉を待つ。なんとなく局面に達していると感じ取ったのか、そこにダンテとルーナも加わった。


「俺は覚えてる。同じ言葉を二回、言ってた」


 ヴィントは指を立てる。


「一回目はサンライト男爵家から持って帰ってきた贋作【菜の花】を、ダンが乱暴に持ち上げたとき」


 まるで勝利のサインのように、その指を増やす。


「二回目はスノライン領で盗まれた絵画【ランチタイム】を……やっぱりダンが乱暴に持ち上げたときだ」

「持ち上げたとき?」

「カノラ、今から絵画を動かすから同じ音がするか教えて」


 布の擦れる音すらしない、無音の中。テーブルに寝かせてあった絵画を、先程と同じように垂直に立てた。


 ぽつん。


「あ、音がした。ぽつんって。間違いないわ。今、音がしましたよね?」

「申し訳ないが、僕にはなにも聞こえなかったよ」セイルドは首を振る。


「わたくしも聞こえておりません」

「おまえ……耳よすぎてこえーよ」


 目が良すぎる兄に言われたくない。


「あはは、本当にカノラの耳はピカイチだね」


 セイルドの許可を得た上で一部の留め具を外し、木枠からキャンバスを少しだけ剥がす。よく見ると、木枠にキリで開けたような小さく細い穴が開いている。絵画を傾けると、その穴からころころと極小のガラス玉が出てくるではないか。


「ガラス玉……? なぜ木枠の中にこんなものが?」


 セイルドはガラス玉をシャンデリアに向けて掲げる。直径数ミリ程度ではあるが、まるで衛星のように確かに輝いている。


 それをどこか遠い目でみながら、ヴィントは言う。


「このガラス玉が木枠の中で転がって、キャンバスの布地にぽつんと落ちた。芸術家は――いや、贋作者であっても、自分が描いた作品に痕跡を残したいと思っても不思議じゃない。まさか木枠の方に残すとは思わなかったけど」

「ははっ、マーキングかよ」

 

 ダンテが楽しそうに木枠の穴を覗く。


「っつーことは、これはマジの贋作。【菜の花】と【ランチタイム】の贋作野郎と同一人物ってことか」

「きっとすべてにガラス玉が入ってるはず」


 セイルドは菜の花という言葉を聞いて、こめかみに指先を当てる。彼の中で、やっと繋がったのだろう。セントステイト王国の絵画市場で会った黒髪の男が、贋作者だと。


「そうか。贋作【菜の花】……そういうことか」

「そういうこと。もったいぶってないで、そろそろ見せてくれない?」


 セイルドは軽く肩をすくめて、駄々っ子をいさめるような仕草をする。


 カノラたちがここにいる目的は、贋作【菜の花】の完全消去だ。やっとお目見えになるのだから、カノラも少し高揚していた。

 きっとヴィントもそうなのだろう。彼は鋭い瞳でセイルドの動きを追う。


 贋作【菜の花】は同じ部屋に保管されていた。

 それを見た瞬間、カノラはヴィントに視線を向ける。ダンテも同じく、彼を見ていた。


 視線の先にいるヴィント――いや、名もなき画家は、愉悦交じりのアイスブルー。口の端を上げていた。


 一枚目の贋作【菜の花】は、画家ドワルコフのタッチで描かれていた。二枚目が、誰の模倣なのか。カノラでさえ、一目でわかってしまう。


 何回も、ずっと、見てきたから。


「ヴィンくん。これって……」


 画家アノニマスの描き方だ。

 その類似性は、一枚目の比ではない。完璧だった。


 ―― やだ、なにこれ……怖い


 本物を丸ごと食って、それにとって代わろうとしているような。捕食者の執念。鳥肌が立った。


 しかし、騒ぐわけにはいかない。ノルド兄妹は画家アノニマスの正体を知らない。三人は目配せをするだけに留めた。


 確認したところ、セイルド所有の贋作【菜の花】にも同じガラス玉が入っていた。やはりフークリンのマーキングなのだろう。

  

「もったいないな。素晴らしい絵だと思っていたが……。しかし、橋の絵を描いた人物と同一というのも理解しがたいな」


 セイルドの美しい眉が大きく歪む。彼自身、この素晴らしい絵がどちらも贋作者によって描かれたものだと信じられないようで、二つのガラス玉を手のひらで転がしている。


「手掛かりは小さな粒のみ、か」


 そう言って、眉を歪める。


「アゼイの真作に後からガラス玉を入れられたら、真作なのか贋作なのか、分からなくなりそうだ」


 そうだね、とヴィントは相槌を打つ。


「アゼイに限らず、美術館に並ぶいくつかはフークリンが描いたものかもしれない。必ず捕縛して自供させる」

「当然だ」

「ええ、わたくしも解決のために全霊を捧げますわ」


 ヴィントは静かに、そして深く頷く。ノルド兄妹と利害が一致したことを示すような仕草だ。


 彼は銀髪をかき上げた。きっと、どうやって捕縛まで持って行くのか頭の中で計算しているのだろう。


「橋の絵を持っていた没落貴族デズリーと、贋作者フークリン……かぁ」彼は目を細める。

「セイルド、その没落デズリーを呼び出すことはできる?」


 セイルドは小さくかぶりを振る。


「これも橋の絵が贋作なのではないかと疑った理由の一つなのだが、父上はデズリー男爵に二回しか会っていない。僕からも手紙を送ったが、私書箱からどこかへ転送されているらしく、所在を掴めていない」


 やっと帰ってきた返事も、金が支払われた後なら会ってもいい、という内容だった。金の切れ目が縁の切れ目。実質、無理だろう。

 風貌は金髪で背の高い男。所作も貴族らしく、デズリー男爵本人なのは間違いないという。


 ヴィントはやたら大きく頷いて、セイルドの話を愛想笑い……というか、もはや半笑いで聞いていた。失礼な男だ。


「なるほど。没落デズリーはそういう感じか」

「うーん、没落デズリーさんの私書箱に張り付いて転送先を探ってみますか?」


 彼を真似て、カノラも必死に策を出してみる。


「いや……フークリンを見つけ出して、直接話をする方が早い」


 あれ? 前にも同じことがあったような。リエータの活躍が頭を過る。


「ねぇ……ヴィンくん、悪いこと考えてない?」

「まさか」


 余程腹に据えかねているのか、王子様のような雰囲気は忘却のかなた。ヴィントらしい、わるーい笑みを浮かべていた。


 ―― あ、ヴィンくんって感じの顔


 ルーナは、彼のこういう表情をどう思うのだろう。見せたくないような、知ってほしいような。


 しかし、ルーナは幻の五番を見て、なにかを考え込んでいるようだった。




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