No.43 今夜も可愛い予言を
その絵画は、ノルド侯爵家の最奥に保管されていた。【幻の五番】とされる一枚だ。
当然、絵画音痴であるカノラが見たところで贋作とも真作ともわからない。
ヴィントとダンテの表情を見ると、薄く口を開いているだけ。おしゃべり兄ズが、一言も発しない。もう絶句。
セイルドは片眉をあげて微笑み、ヴィントの肩に手を置いた。
「どうだい? 僕の父親が購入したのも理解できるだろう?」
ヴィントは軽く咳払いをした。
「正直、言葉が出ない。これが贋作だとしたら、スプリング家にある美しきアゼイの中に偽物がまぎれていてもおかしくはないね。詳しく見ても?」
「もちろん。さぁ、カノラ嬢もどうぞ」
兄ズはセイルドから差し出された綿手袋をはめる。
どうせ見てもわからないカノラは、ダンテの鞄を預かって部屋の隅っこでスタンバイしていようと思ったが、セイルドに手をとられ、手袋を渡されてしまった。
おほほと笑いながら、なめらかな手袋に指を通してみる。同じ色、同じ素材だろうに、気品あふれるルーナの手袋に比べたら……溢れ出すプロの仕事感。なぜだか羞恥心をあおられる。
なんとなくはめてしまった手袋で、なんとなく兄ズに混ざって絵画を見ていると、隣から感嘆の声が響く。
ルーペに光が反射して、ヴィントの瞳がぎらりと光っていた。その楽し気な様子に、カノラも少しだけ心が踊る。
「そんなにすごいの?」
「うん、すごい。アゼイそのものだよ。絵の具も筆も。少しほこりっぽいから、描かれてから数年は経ってるのかな。ダンはどう見る?」
ダンテはヴィントから差し出されたルーペを一度受け取り、絵ではなくルーペ自体を眺めてからそれを突っ返した。
「ヴィンのルーペじゃ見えねぇな。おい、カノラ。俺のやつ出して」
「はいはい。どのルーペにするの?」
「一番お気に入りのやーつ」
えらそうに命令ばかりして……とは思ったが、仲の良さそうなノルド兄妹の手前、どうにも悪態をつきにくい。ダンテの鞄から化粧箱を取り出し、そこに並べられたものから、金縁で彩られた黒色のルーペを手渡した。
ダンテはいつになく真剣な眼差しで覗き込む。
「……」
めったにない、ダンテの沈黙。ヴィントは吹き出しそうになっていた。
「……やべーわ。じいちゃんのっぽい。でも、なーんかヤな感じ」
相変わらずの語彙力。いつものコレジャナイ感というやつだろう。
「セイルド、額縁から外していい?」
「ああ。隅々まで見てくれ」
もうそこからは飛び交う専門用語と議論に、カノラの頭は無事に爆発した。もはやついていけない。
それを見かねたのか、いつの間にかカノラの隣にルーナが寄り添う。スズランのような香りを携え、ふんわりと空気が変わる。
「ふふっ、殿方が張り切ると会話に入れませんわね。少し休まれてはいかがでしょう? あちらのソファへどうぞ」
「あ、ありがとうございます。ルルルルーナ様」
淑女の礼という文化を忘れてしまったカノラは、勢いよく頭を下げる。視界いっぱいに赤い絨毯が広がる。綿手袋よりも恥ずかしい。
でも、ふわりと肩に置かれたルーナの手が『お気になさらずに』と言ってくれた。
「わたくしたち、歳も同じですもの。ルーナとお呼びください、カノラさん」
「は、はい、ルーナ、さん……?」
「はい、よろしくお願いしますね」
カノラはソファに座りながら思った。とんでもなく性格が良いじゃあないですか、と。
リエータにだって裏の顔があったのだから(彼女の場合は裏がありそうではあったけれども)、ルーナだってそうだと思っていたのに! 本当に彼女がヴィントの婚約者でいいのだろうか。
汚い白衣で屋敷をうろうろしてみたり、汚い人間の心理を利用して思惑通りに事を運ぼうとする、あのヴィント・スノラインの婚約者が、まさかの善人令嬢。なにかの間違いでは。
しかし、カノラから事細かに事実をお伝えすることもできない。彼の汚れをなにも知らないだろう真っ白な彼女に愛想笑いで答えて、ふっかふかのソファに沈んだ。
そのまま黙って床を見つめていると、そこに影が落とされる。
「……ルーペ、だっけ?」
「え? なに、お兄ちゃん。またルーペが必要なの?」
まだ鑑定の途中だろうに、いつの間にかダンテが目の前に立っていた。カノラに用事があるのかと思いきや、その視線は隣にいるルーナに向いている。
「名前。ルーペだっけ?」
「わたくし、ですか?」
ルーナは目を丸くして、頬に手を当てる。
「ルーナ・ノルドと申しますが」
「あっそ。質問するから簡潔に答えろ」
なんたる無礼。もはやカノラは口を挟めずに顔を青くして息を止めるしかなかった。打ち首へのカウントダウン。
命令形は当然ながら、さすがにルーペ呼びなんて許してもらえないだろう。特に『ペ』という間抜けな音がいただけない。
「ルーペはさ、あれを初見で贋作だと思って、セイルドに連絡したっつー話だったよな?」
「ルーナと申します。ええ、贋作だと感じましたわ」
「ルーペ的にはどこらへんが怪しかった?」
頑なにルーペ呼び。
「ふふっ、ダンテ様はわたくしを愛称で呼んでくださるのですね。光栄ですわ」
「うざ。そういうのいらねーから。質問に答えろっつーの」
ダンテはソファに座らず、ルーナを見下ろす。誰とでも三分でベストフレンドになれるコミュニケーション能力を持っているくせに、いつになく威圧的な態度だ。
―― こんなお兄ちゃん、見たことない
しかし、思い返してみると、ダンテはセイルドに対してもどこか冷たい態度をとっていた。どうやらノルド兄妹を快く思っていないらしい。
そんな無礼な赤髪男に対して、ルーナは頭のてっぺんからつま先まで礼儀正しく、にこやかにしている。善人令嬢ってすごい。
「ご質問にお答えいたします。その絵画からは予知が感じられません。アゼイ・スプリングの作品であれば、その全てに予知が描かれておりますもの」
予知。いわゆる予言だ。降って湧いたスピリチュアルタイムに、ダンテはげんなりと肩を落とす。
「うわ、出た。予知派かよ……。おまえら、一家全員そんな感じ?」
「お兄様とわたくしだけですわ。ですが、ここはノーザランドですもの。アゼイへの支持の理由が『予知の画家』にあることをお忘れでは?」
カノラたちの住むセントステイト王国ではあまり取り立たされないが、ここノーザランドでは『予知の画家』として心酔される。
アゼイファンは大きく二つに分けられる。一つが予知派、もう一つが構図派。どちらも絵画から伝わるメッセージ性に重きが置かれるが、中身は真逆。
構図派は、例えば四連作【満月】でいえば、肝心の月は雲に隠れて見えないとか。特殊な構図や叙述的な描写を賞賛している派閥だ。
一方で予知派は、描かれた絵が”現実に起きている”と主張する派閥。洪水、飢饉、市井での流行品など、絵画と一致するというのが予知派の言い分だ。
ノーザランドはスピリチュアルな文化があるため、予知派が主流なのだろう。
―― お兄ちゃんったら、それでセイルド様やルーナさんに無愛想なのね
ダンテは、昔から予知派を毛嫌いしている。
「予知なんてクソくだらねぇ」
「思想はそれぞれです。わたくしは誰よりもアゼイの予知を信じております。あの絵は、アゼイ風に描かれただけの贋作に相違ありません」
ルーナの断言を聞いてしまうと、確かめたくなる。ヴィントとセイルドの邪魔にならないように、カノラはそうっと絵画に近付いた。
絵画は額縁から外され、テーブルに寝かされていた。
ヴィントとセイルド、どちらの隣に行くべきか迷ったが、そこでちょうどヴィントが側面を見ようと立ち位置を変えた。そのスペースに入り、絵画を覗き込む。
それは【橋の絵】だ。
橋の裏側を真下から見上げるようにして描かれた絵。欄干からはヴァイオリンと思わしき楽器の一部や、紙吹雪が見え隠れしている。きっと橋の上には煌びやかな世界が広がっているのだろう。あえて叙述して想像させるのがアゼイの構図だ。
―― おじい様っぽい絵。でも、予知は……うーん、確かにわからないかも
でも……と、カノラは首を傾げる。全ての絵に予知が含まれているのだろうか。例えば、四連作を思い浮かべたところで、カノラにはわからない。
すると、テーブルの反対側から高貴なため息が聞こえてくる。セイルドだ。
「残念ながら、絵画の側面にも贋作らしき箇所はないようだな。だが、ルーナの言うとおり、確かに予知らしき描写も感じられない」
ヴィントは腕を組んで反論する。
「俺もアゼイの予知は否定しないけど、でも予知って分からないから予知なんでしょ? 予知が描かれてるかどうかなんて、普通は判断できないと思うけど」
「ほう?」セイルドは口の端をあげて笑う。
「では、僕も予言しよう。我が妹はアゼイの予知に関する知識者だ。今のヴィントの言葉を聞いたら仲違いすることになるだろうな。生涯を共にするパートナーとして、それで良いとでも?」
「……素晴らしい予言をどうも」
ヴィントは肩をすくめる。
「おーい、ダン。鑑定の続きをするよ。次は裏側を見るから」
先程から変わりなく、ダンテとルーナは静かに視線を交わしているようだった。うん、確実ににらみ合っている。
ヴィントも二人の険悪な雰囲気に気づいた様子で、目を細める。
「へぇ――珍しいね」
なにしてるんだか、と苦笑い。もう一度、ダンテに声をかけ、裏側を見るべく寝かせていた絵画を垂直に立てた。
ぽつん。
「あら? ヴィンくん、今なにか落とさなかった?」
「え? なにも……落としてないと思うけど」
「気のせいかしら。ぽつんと落ちる音が聴こえた気がして」
「音?」
その瞬間、ヴィントの表情から笑みが消えた。
突然、向けられたアイスブルーの瞳。
久しぶりに交わる視線に、カノラは動けなかった。




