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No.42 ただ見ているだけ


 ぎしぎしと鳴る廊下を進み、カノラは部屋の扉を開けた。


「さささささむい」


 口に出したところで寒さは変わらないのに、寒い寒いと言ってしまう。置いてあったマッチを素早く構え、すぐに暖炉に火を灯す。じんわりと熱が広がっていき、寒さと緊張が和らいだ。


「なんか……おどろおどろしい素敵な部屋ね」


 暖炉の火でいくらか明るいものの、雪国ノーザランドで日当たり良好の部屋などない。まあまあ暗い。


 それに加えて、ほぼ無音。とってつけたようなショッキングピンクのカーテンが、逆に静寂さを際立たせる。静寂というか、静かすぎて普通に寂しい。


「でも、これが自立ってことよね!」


 疲れた身体をベッドに沈ませる。カサッと小さな音を拾って、ポケットに入れていた手紙のことを思い出す。


 ヴィントが右肩を刺された数日後、カノラ宛てに届いた手紙だ。


 差出人も筆跡もフォル・ハーベスのものだが、中身はリエータ監修のようだった。

 世話焼きの彼女らしく、雪深い場所での暮らしを心配するような文言が並ぶ中、その最後の文面に、カノラの心は掴み取られた。


『音楽コンクールの日、カノラ嬢から気持ちを伝えてもらったとき、実は気にかかったことがありました。いち早くお伝えすべきだと思い、筆をとった次第です。


 昨年のコンクール直後、東校舎の階段から突き落とされた貴女を、たまたま居合わせた僕が助けた。これは僕にも覚えがあります。


 ですが、学園に報告したのは僕ではありません。あの日、確かに僕は犯人を取り逃がした。いまだに犯人の顔も名前も知らないのです。


 リエータ嬢にこの話をしたところ、彼女はすぐに教師に確認してくれました。頑なに答えてくれなかったそうですが、どうにか聞き出し、僕も彼女も驚きました。


 貴女はもっと早く知るべきだった。

 犯人を見つけ出し、話をつけ、貴女を守ったのは――』


 カノラは、その一文を指先でなぞり、言葉に出した。


「ヴィント・スノライン、だと……」


 この手紙を受け取ったとき、カノラは大きく動揺した。フォルへの恋心が間違いだったとか勘違いだったとか、そんな簡単な感情じゃない。カノラにだってわかる。あれは確かに恋だった。


 でも、そのきっかけは思い違いによるものだった。


 思い起こせば、教師に聞いてもなかなか教えてくれず、『犯人を退学処分にするよう働きかけたのは男子生徒だ』とだけ聞かされたのだ。フォル以外にいないと思ったし、疑いもしなかった。思い込みって本当に怖い。


 一つを知ると、知りたいことが増えていく。ヴィントはどうして犯人を捕まえてくれたのか。なぜそれを黙っているのか。

 恋が終わった今、盲目的だった視界は開けたはずなのに、彼のことを考えれば考えるほど霧の中へと迷い込む。


 だって、彼を知る機会が増えたのは数か月前、恋の相談をし始めてからだ。昨年のコンクールのときは、親友の妹というだけで、本当に……そんな関係ではなかったはずだ。


 だから、とても驚いて――その拍子に、心が弾んでしまった。許しを与えられたような気がしたから。

 

 これから先、恋の相談相手だったヴィントを好きになったとしても、それは必然で、運命で、避けられないことで。いつかそうなると決まっていたのだから……このまま進んでもいいよ、と神様に背中を押してもらえたのだと思った。


 でも、押されるがまま、流されるがままに恋をしてはならない。


「婚約するんだもの。あぶなかったなぁ。ギリギリセーフね」


 彼のことはわからないままだけど、きっと深く考えてはならない。手紙を封筒に戻し、鞄の奥にしまった。




 翌日。カノラたちはノルド侯爵家を再訪した。


 セイルドが巻き込まれた【幻の五番】の件と、フークリンによって描かれた贋作【菜の花】を確かめるためだ。


 応接室に通され、まずは幻の五番の話を進める。


 ヴィントがルーナの向かいに座ったのを見て、カノラは少し悩む。ダンテをつついて先に座らせ、その隣――同じソファの端っこにちょこんとお邪魔した。いつもは兄ズに挟まれる形で座ることが多いけれど。


 ―― ヴィンくんの隣に座るのは違うよね


 ヴィントはなにも気にしていない様子で、ルーナと天気の話をしているだけだった。


 しかし、セイルドが真向かいに座っていることに気付き、少し居たたまれなくなる。ふわりと微笑まれたので、とりあえず眼力を強めにして会釈しておいた。


「では本題に入ろうか」


 セイルドは苦笑いで続けた。


「君たちに、幻の五番の鑑定を願いたい」


 スプリング子爵家が管理している約百枚のアゼイ作には、非公開のナンバリングが刻まれている。百枚のうち唯一見つかっていないのが、No.005。通称【幻の五番】だ。


 ナンバーは非公開なのに、なぜ五番が未発見だと知られているのか。それには理由がある。アゼイ・スプリング本人が新聞のインタビューで言及したせいだ。


『あぁ、誰もがまだ見ぬNo.005は、いつ現れるだろうか。きっと北の方角で見つかるはずだ――』


 北の方角と言えば、大国ノーザランド。ノルド侯爵はとうとう幻の五番が現れたのだと信じ込んでしまった。


 絵を持ってきたのは没落貴族だという。デズリー男爵と名乗っていたそうだ。

 貴族でなくなった彼は、金に困った商売人。べらぼうに高い金額を提示され、さすがのノルド家でも即金での支払いは厳しかった。


 不足分の担保として、ノルド侯爵家が所有していた三枚のアゼイ作品を預けることで、幻の五番を手元に納めたそうだ。


「ふーん」ダンテは興味なさそうにする。

「担保にした三枚のナンバーは?」

「No.018、040、082だ」

「はちじゅうに? 唯一の人物画じゃねーか。おまえらの父親、頭わるくね?」


 カノラにはよくわからないが、百枚の中でも貴重なものらしい。


 ルーナは一瞬だけ目を丸くする。金糸の刺繍が施された白いレースの手袋で頬に触れ、何事もなかったかのように唇をきゅっと結んだ。

 その肩に手をやり、セイルドは咳払いをする。


「事情があるんだ。元より、金がそろったら返却してもらうつもりだった」

「でも、まだ返してもらってないわけだ? 数か月もあれば、ノルド家なら金も用意できるはずだよね」


 そう切り込んできたヴィントに、ノルド兄妹は目を合わせる。


「ええ、お父様には支払いをしないようにお願いしております。もし贋作であれば、三枚のアゼイを返却してもらう算段をつけなければなりません」


 ルーナは悩まし気に小首を傾げる。


「ですが……お父様は、あれが真作だと言って聞かないのです。支払いをすれば三枚のアゼイも返ってくるはずだ、と。わたくしが幻の五番を見て疑念を抱き、留学先にいたお兄様にご相談さしあげたのですが……」


 そこで、言葉を濁した。


「あぁ、なるほど。ノルド侯爵とセイルドで意見が割れている。公の鑑定はできないから、鑑定眼を持つダンに秘密裏に依頼する。その結果次第で、どちらが主導権を持つか決める、ということですね?」

「ええ、ヴィント様のおっしゃる通りでございます」


 はて。どういうことだろうか。カノラは傾げてあった首をそのまま深めて考えてみる。普通だったら、一分一秒でも早く鑑定してほしいものなのでは。真作だと信じているなら、さっさと絵画品評会で鑑定すればいいのに。


 すると、ヴィントがぽつりと呟く。


「普通だったら――はっきり知りたいし、早く解決を望むのにね。こと絵画になると途端に難しくなる。贋作だったら怖いから」


 カノラの疑問に答えてくれたのかと思い、パッと横を見る。でも、赤髪越しに見えた彼はこちらを向いていなかった。

 カノラは慌てて前を向く。セイルドがにこっと笑いかけてくる。へらっと笑って返す。なんだこれ。


「では早速。我が家の【幻の五番】を見てもらおうか。真作であることを祈って――」


 セイルドとルーナは手を組んで祈りを捧げる。


 祈るほどのことか?とダンテが呟く。カノラはもちろんのこと、ダンテでさえ、所詮偽物は偽物でしかない、見ればわかる、と高を括っていた。


 彼らの価値観を、たった一枚の絵が打ち砕くとは思いもしなかった。




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