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No.41 きみが幸せなら




 大丈夫、まだ恋は始まっていない。


 ときめいたのも、なんとなく目で追ってしまうのも、きっと気のせいだ。

 

 男の人に全力で守ってもらって、指先まで大切に扱われたのは初めてだったから……少し勘違いしてしまっただけ。


 誰にでもあるでしょう?

 心にブレーキをかければ忘れられる程度の、淡い感情。


 まだ大丈夫。

 彼の幸せを願って、今まで通りでいれば元に戻れる。



「婚約、おめでとうございます。ヴィンくん」

「ありがとう」


 二人が微笑み合う姿を見て、カノラはポケットに忍ばせていた手紙を服の上から押さえ込む。


 ―― ヴィンくんって、好きな人にはこんな風に笑うのね


 ルーナに寄り添う彼は、まるで遠い国の王子様みたいだった。銀色の髪には気高さが備わっているような気がしてしまう。


 手が届かないような高いところに彼はいるのだ。よくも今まで、くだらない話題で何時間もおしゃべりができたものだと、カノラは自嘲する。


 ―― 手紙のこと、言わなくてよかった


 ポケットの中で、くしゃりと音が鳴る。カノラの耳でしか拾えないくらい小さな音だった。




 挨拶を終えたカノラたちは、また馬車に揺られ、ノーザランドの国立貴族学園に到着した。


「じゃあ、ランタはここまでだね」


 ヴィントは清々しい笑顔で、そう言った。学園内は、侍従の立ち入りが禁止されている。


「すぐ近くの侍従用宿舎に寝泊まりしております。おでかけの予定があれば、前日の夜までにお知らせください」

「……夜、部屋にいるという確約は?」


 ランタは目をそらす。いるに決まってるじゃないですかぁ、とぼそぼそ喋る。賭事の匂いがする。


「不真面目侍従。あまり羽目を外さないようにね。そのうち父さんに怒られるよ?」

「ええ、肝に銘じておきます」


 馬車から荷物をおろし、大きな柵門の前に立つ。


「ヴィント様も、あまり羽目を外さないように。ご当主様に怒られてしまいますから」

「はいはい、肝に銘じておくよ」


 主従のいつもの掛け合いだ。カノラはくすりと笑いながら、汚れなき銀色の柵門に足を踏み入れた。


 門を抜けると、校舎に向かってくねりと曲がった太い道が敷かれている。校舎の西側に学生寮があるらしいが、校舎の中を通って移動できるように設計されているようだ。


「っつーか、雪国のくせに校舎が遠くね? ムダじゃね? さむくね?」

「ノルド侯爵家もこんな感じだったわよね。ノーザランド国の貴族は健康志向なのかしら?」


 兄妹は寒さに身震いする。吐く息が真っ白。


「健康じゃなくて、信仰だよ」ヴィントは笑う。

「シンコウ?」

「あちゃー。その程度の知識で留学してるのかと思うと……あぁ、神よ、彼らをお赦しください」


 わざとらしく胸の前で手を組みながら教えてくれた。


 ノーザランドの国民は非常に信仰心が強い。風水的なものだったり予言や運命論などの価値観が下地にあり、こと校舎一つとっても構造だの色だの、結構こだわりが強い。利便性より宗教性。くねり道もその一つ。


 一方で、セントステイト王国はエビデンス重視の風潮が根強い。運よりも努力、そして結果が全てという国民性だ。

 フォルもリエータも祈りを捧げるより策を練るような人たちだったなぁ、とカノラは思い返す。みんなメンタルがマッチョだ。


「言われてみれば……」


 廊下に置いてある調度品の位置が、どこか不自然。邪魔じゃないのかな、という疑問を投げかけたくなる。


「文化の違いが結構ありそうね。寮生の方々と仲良くなれるかしら」

「心配いらないよ。カノラがぼっちでも遠巻きに見てあげるからね」

「不安にさせるのやめてもらえます?」


 ヴィントに生温かい目を向けられて、不安を煽られる。でも、寮に足を踏み入れて、確かに心配はいらないなと理解した。


「え、ひとりなんですか? わたしたち、だけ?」


 茶色のレンガは心を穏やかにさせる効果があるらしい。寮は古びた高級ホテルのような佇まいだった。


 その玄関扉を開けてすぐに、赤いソファが置いてある。小さなロビーに、カノラの声が響く。スタッフが申し訳なさそうに頷いて、ペらりと寮生名簿をめくるが、どう見ても一枚だ。


「ええ、利用者は三名様のみです。元々、留学生は冬期期間中、一時帰国されるのが通例でして。現在は全室空室でございます」


 スタッフが言うには、留学生の利用を想定して建てられたが、彼らはタウンハウスを借りるのが主流らしい。老朽化も進んでいて、春には取り壊しの予定だとか。

 自主自立を重んじるため、常駐スタッフすらいない。食事だけは学園内レストランから運ばれてくるそうだ。


「ヴィンくんが集団生活をしたがるなんて、どういう風の吹き回しかと思ったら。わたしたち三人だけって知ってたのね? まったくもう」

「そういうこと」彼はにこりと笑う。


 男子部屋はロビーの右側、女子部屋は左側だ。


 ヴィントたちに「またあとで」と言って、カノラは自主自立の第一歩を踏み出す。そろりそろりと、古びた廊下を進んでいった。


 ポケットの中で、彼から届いた手紙が揺れ動いていた。

 

 



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