No.37 なぜ出会ったのか
応接室のシャンデリアが、カノラの顔に影を落とす。親子を慮る彼女がらしくて、ヴィントには少し眩しい。
「カノ? ……大丈夫?」
顔をそっと覗き込む。彼女は遅れて視線をあげ、弱々しく微笑んだ。
「……うん、大丈夫。ドワルコフの【ランチタイム】ってどんな絵でしたっけ? 画集をお借りしますね」
カノラは頷いているのか、俯いているのか分からないような仕草で首をもたげ、ソファに沈みこんだ。置いてあった画集を手に取り、それをパラパラとめくる。
そこにドカッと乱暴に座るのが、ダンテだ。
「よーし、ここからオレのお喋りタイムだな。昼寝をしていた理由を教えてやろう」
画集に視線を落としたまま、なに言ってんのよ、と彼女は取り合わない。
「どうせ、ただの夜遊びでしょ。お兄ちゃんが毎晩出かけて朝方に帰ってきてること、わたしが知らないとでも?」
「ちっちっち、浅いな妹よ」
兄妹ケンカが始まる予感がしたので、ヴィントはわざとらしくスケッチブックを閉じる。パタン。
ここから先は誰の耳にも入れたくない。部屋の外にいたランタに画商の見送りをお願いし、きっちりと扉を閉める。
「実はね、ダンにも働いてもらってたんだよ」
「この無責任な兄に? 一体なんの仕事なら任せられるって言うの?」
ダンテのことになると辛辣さが増す彼女。ヴィントは少し笑いながらフォローをしてあげる。
「調査だよ。不思議だと思わなかった? なぜ、母親はドワルコフの絵画に出会い、高額であるはずのそれを購入できたのか」
どうにも疑問が晴れず、亡き母親と贋作ランチタイムの出会いを知りたかった。
だが、侍従ランタは動かせない。当主である父ロスカに刺傷事件のことが知られてしまったのだ。二週間後、領地に来るという知らせが入っている。お見舞いという名の監視と制御だろう。
ランタを調査に使えば、父親にそれが伝わり、あるいは留学が白紙になるかもしれない。そうなると――ニセ菜の花の解決が難しくなる。
「だから、今回はダンに調査をお願いしたんだ」
仕事をこなしてきたダンテは、いつもに増して踏ん反り返る。
「オレは毎晩街を練り歩き、友達を増やし、たくさんの女の子ともデートをした! よって昼寝をしていたわけだ」
「安定して最低ね」
「まあそう言うなって」
本題なんてそっちのけ。ダンテはへらへらと笑う。先日までリエータといい感じだったくせに、軽くてペラペラ。
「いやー、スノライン領の女の子って、みんなすげー可愛いくてさー。ここにいたとき、ヴィンはどんな娘と付き合ってたー? 可愛い系? キレイ系?」
相変わらず下世話なやつだ。王都ならまだしも領主館で低劣な話題を振られましても。未来の領主として、上品な対応で黙らせるしかあるまい。
「ダン、あのさ――」
ガタン、ドスン、ガラガラ。物音が響く。ソファから落ちたのは、ドワルコフの画集とカノラだ。
「びっくりした。カノ、大丈夫?」
「いたたた。画集を片付けようとしたら……。ごめんなさい、大切な画集がっ!」
「そっちの心配はしてないよ。まったくスプリングさん家のカノラちゃんは分からず屋だね」
ヴィントは床に膝をつき、カノラの手をそっと取る。細部に至るまで全身を大事にしてほしいのに、本人の自覚が薄いのでは守りようがない。
指を怪我していたらどうしようかと思ったが、彼女のそれは美しきゴツゴツのままだった。ヴィントの好きな、彼女の固い指。
「怪我はないね」
「ハイ、スミマセン」
まるでお姫様をエスコートするように彼女の手に優しく触れ、座り直してもらう。「カノ犬、おすわりだよ」と余計な一言を添えて。彼女はじとりと睨んでいた。
「それで、ダンの収穫は? 亡き母親がどうやって絵を手に入れたか聞きたいんだけど」
「あ? まだ報告してなかったっけ?」
そう言って、ダンテは収穫話をする。
まずは生前に母親が働いていたというレストランに赴き、同僚と三秒で友人になる。同僚からは、母親が出入りしていた店を教えてもらった。
その店を訪ねて、店員や常連と友達になる。それを繰り返していき、ときにはする必要のないデートをして、不真面目に情報をかき集めたそうだ。
母親は結構な美人で人目につきやすく簡単だった、とダンテは言う。
「ちょうど七年半前。母親が通っていた酒場に、しつこく言い寄る男が現れた。絶対に諦めないガッツある軟派野郎。母親の趣味とそいつの職業がピッタリ合っちゃって、話は弾んだらしい」
ヴィントは、男の職業を察した。
「画家か」
ダンテは口の端をあげて頷く。
「そゆこと。母親は適当にあしらったけどな。でも、ガッツありまくり。また半年後に酒場に現れたんだよ。――大きな絵を抱えて」
男は母親に言ったそうだ。『ドワルコフの絵を家に飾るのが夢だって言ってたよね。この絵をあげるから、おれとデートしてくれる?』と。
「じゃあ、そのデート代がこの絵だってこと!?」カノラが噛みつく。
「それで、結局デートできたのかしら?」
「すっぱりフラれたってさ。うけるわー」
「ドワルコフの絵まで用意したのに? かわいそうな人ね」
カノラの下がった眉を見ながら、ヴィントは絵画を指差す。
「これ贋作だけどね」
「あ……。そうよね、そういうことになるのね」
ダンテは手を叩いてケタケタと笑う。
「食えねぇ軟派野郎だよな。失恋記念だとか言って、ぎりぎり買える値段をふっかけて母親に売りつけたらしーぜ。店に来たのは、その二回だけ」
「立派な詐欺じゃない!」
カノラは目尻を釣り上げる。しばらく唸ったあと、釈然としない様子で絵を見つめる。
「これ、好きでもない男性に口説かれたときの絵ってことでしょう? いくら貴重な絵だとしても、ダイニングに飾るかしら?」
賛否はあるだろう。物に罪はないと考える人、物には思い出も付随するという人。
「飾っていた、理由か……」
母親は幸運にもドワルコフの絵を低価格で購入できた。彼女はそれが贋作だとは知らないまま死去。でも、大切に飾っていた理由は――他にあるのかもしれない。
「仕事終了。ねむい!」
向かいのソファにごろりんと転がる。深い海のような瞳は、ぐーすかぴーと音を立てて閉じられていく。とても寝つきが良い。
「あ、ダン! ちょっと待って。その画家の名前と風貌は?」
「んー? ふーぼー?」
「……もしかして、黒髪長身の男?」
赤い頭を軽く小突いて問い詰める。ダンテは薄目を開けて答えた。
「なんで知ってんの? でも……名前は、わからん」
そこでまぶたはゆっくり閉じられた。
代わりに、ヴィントのアイスブルーの瞳が見開かれる。
深い眠りから一気に目覚めさせられたときの、気色の悪さ。騙される側に立たされた屈辱。
あの野郎。口汚く罵りそうな唇を噛む。
「描いたのは――画家フークリンか」




