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No.36 見せない心、見てない心



 一見すると、それは完璧な作品だった。画商も素晴らしい絵だと称えている。それなのに。


 ―― ……足りない


 ヴィントは、どこか共鳴できなかった。


 画家ドワルコフの作品【ランチタイム】を別視点で描いた絵。彼の絵に必ずあるべきものが、この絵にはない気がしたのだ。


 それを確かめようと、動く左腕でスケッチブックに絵を描き始める。


「ヴィンくん、左手でも描けるの?」

「カノラの右手よりは上手く描けるよ」


 海に潜り、深くまで探るように模写していく。


 右手で描くよりもずいぶんと時間がかかる。

 だが、名もなき画家の筆先は人の心をくすぐる。カノラも画商も感嘆の声をあげるほど至妙だ。


「うーん、やっぱり分からない。――あれ? そういえば、ダンは?」

「ここにいるぜー」


 ゆるい挨拶で部屋に入ってきたダンテ。


「お兄ちゃん、大遅刻よ。どこでなにしてたの?」


 本当に、どこでなにをしていたのか。悪党三人と対峙しているときも不在だったし、何も知らないカノラが不満に思うのも仕方ない。


「んー? 書庫で寝てた」

「寝すぎよ」もう昼すぎだ。

「寝る子はグローアップ! あ、それが例の絵?」


 遅れてやってきたくせに、ずいずいと割って入るダンテ。ものの三分で画商と親友になり、仕事道具の高級ルーペまで貸してもらっていた。即席三分、インスタントベストフレンドだ。


 ダンテは許可もなくテーブルに寝かされていた絵を持ち上げる。


「ちょっとお兄ちゃん! 勝手になにしてるの。今、なにか引っかけて落としたでしょ?」

「は? なんも落としてねえけど」

「ぽつんって音が聞こえたけど……」


 ヴィントも足下を覗き込んだが、何もない。雑に扱わないでもらいたい。親子の思い出の品物だ。


「へいへい、気をつけりゃいいんだろ」


 やる気なく答えるダンテに、少し不安げな視線を送る画商のおじさん。

 しかし、その視線はすぐに尊敬に変わる。ダンテは絵をひっくり返して裏を見て、表にしてからルーペを覗いて五秒。


「贋作」


 その言葉に人の良い画商も口を大きく開けた。ダンテは「ドンマイドンマイ!」と画商の背中をバンバン叩きながら続けた。


「このキャンバス、麻から作られてるっしょ。ドワルコフが好んで使ってたやつと一緒。独特なアンダーペインティング。ブラッシュ・ストロークなんて本人そのもの。騙されてもしかたねーよ」

「ごめんね、お兄ちゃん。なにを言ってるかわからないわ」

「うん、カノラは黙っててね」


 むすっと閉じてしまう小さな唇。ちょっと笑いそうになってしまう。


「コホン。ダン、どうしてこれが贋作だと思った?」

「なんっつーか、臭いが違う? コレジャナイ感がした」

「出たよ、コレジャナイ感……」


 ヴィントが圧をかけると、ダンテは赤髪をぐしゃぐしゃにして、しばらく間を置いてから指を三本立てた。


「一つ、絵の具の亀裂がキレイすぎる。二つ、黄色の部分の鉱石がちがう! これでどーだ!」

「指の本数と違うね。……亀裂と鉱石?」


 それを聞いた画商は、より深くルーペを覗き込む。その肩に手を置いて、ダンテはえらそうに話をする。

 

 ドワルコフは二百年も前の画家だ。絵の具はすでに硬化し、そこに小さな亀裂が入る。だが、目の前の絵の亀裂は不自然なほど規則的だった。これは画商も見落としていた部分であり、すぐに納得していた。


 一方で、鉱石が違うという話には、画商も首を傾げてしまう。


「ふーむ、見た目ではわかりませんなぁ」

「おっちゃんも知ってるっしょ? 昔は顔料を細かくすり潰して、自分で絵の具を作ってた」


 今もヴィントは自作しているが、完成した状態の絵の具も多数売られている。貧乏画家が小遣い稼ぎで作ると聞く。


「ドワルコフの黄色は、鉛と(すず)がベース。でも、この絵の黄色はアンチモンじゃん?」


 横で聞いていたカノラが小さく笑う。


「あんちもんってなに? 小さなお猿さんかな。ふふっ、かわいい」

「カノ、ちがうよ。鉱石だよ。かわいい生き物をすり潰してたら怖いでしょ」


 ドワルコフがとんだ鬼畜画家になるところだ。


「ダンの目はすごいね。普通、ルーペだけで鉱石の同定まではできないよ」

「私もわかりませんなぁ」画商は唸る。

「さすがはアゼイのお孫さんですな! 良い目をお持ちだ」

「まーな! おっちゃんも良いルーペをお持ちだ」


 失礼な男だ。


「でも、俺もこの絵にはちょっと違和感あったから納得かも」

「え? こんなステキな絵なのに?」

「カノも習ったでしょ。芸術学の課題。ドワルコフが描くテーマは?」


 ヴィントは教師のように指を立てた。彼女は一瞬だけ記憶を漁るように上を見たが、すぐに答えた。


「ドワルコフの心の一部。心情を描いたのよね?」


 ヴィントは拍手を送る。


「彼が絵画【ランチタイム】を描いたのは、恋人と別れた直後らしいよ。豪華な昼食が夕日に照らされている描写は、楽しい時間も愛しい恋人も訪れることはなかったという……って、そんなことはどうでもいいんだけね」


 ついつい、絵画オタクの早口が発揮されてしまう。隣でちんぷんかんぷんと音を立てるカノラの頭を撫でる。


「この絵には、彼の『心』が見えない。贋作だ」


 葛藤も痛みも、何も。

 美しい絵ではあるけれど、美しいだけの絵だ。


 それを聞いて、画商もダンテも深く頷く。だが、カノラだけは納得がいかない様子で角度を変えて何度も絵を見ている。


「なにか気になる?」

「いえ、模倣作として描いただけかもしれないのに、贋作って呼ばれるのかなと思って」

「うーん、難しいね」


 ヴィントは額縁に触れた。下の方だけが、やけに黒ずんでいた。


「でも、その範疇を踏み越えてる。人を騙そうとして描いたんだと思う。持ち主の母親に話を聞けたらいいんだけど」

「そうですか……」


 カノラはかすれた声で呟いた。

 亡き母親が大切にしていた絵が贋作だと知ったら――あの親子はどう思うのだろう、と。





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