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No.34 銀と碧



 震える唇から、自分の弱みがさらけ出されていく。


 過信していたのかもしれない。多少の危険があっても、言葉巧みに切り抜けられると思っていた。だから、カノラをここに連れてきた。


 いつもなら簡単にできる。

 でも、できなかった。彼女は――俯瞰できるような存在ではない。


 あぁ、形を保っていられない。

 溶ける、崩れる、消え失せる。雪のような脆弱性。ヴィント・スノラインという存在が脆く崩れていく。


 カノラだけは、ダメなんだ。

 彼女だけは――。



「はははっ、なんだこの女騎士は! えらい弱かったぜ? こいつの命と引き換えに、逃がしてもらおうか」

「……あぁ、勝手に逃げればいい」


 迷わず答えた。だが、カノラは『逃がさないで』と目で訴えてくる。


 ―― そんな目をするなよ


 心の底から自分が憎らしい。悔恨で喉の奥が焼かれそうだ。

 窃盗事件に首を突っ込んで、なにをやっているんだ。全部騎士に任せておけば良かったじゃないか。


 いや、そうじゃない。もっと前だ。こうなる前に、彼女への想いを切り捨ててしまえば良かった。彼女を遠ざける理由なんていくらでもあったのに。


 でも……この銀色の頭の中で探していたのは、彼女のそばにいられる理由ばかりだった。


 ずっと――二年半もの間、そればかり考えていた。欲は限りないから、業が生まれる。だから、こうなった。


 ヴィントは帽子の上から銀髪を握りつぶした。


 ―― 冷静になれ


 犯人は三人。通行をとめられた段階で、一人が御者席から降りて身を潜めていたのだろう。

 気づけたはずだ。自分の不甲斐なさに、奥歯を噛みしめる。


 俯きかけて、そこで気づく。地面に残されている、わずかな跡。騎士を呼びにいったカノラにナイフを突きつけ、馬車まで引きずって連れてきたのだろう。


 その跡に混じっているのは、赤色だ。犯人の服は血だらけだが、二人とも怪我をしている様子はない。

 

 ―― 護衛についてた騎士の、血だ


 足元に絶望がにじり寄る。この焦燥が伝わらないように、小さく息を止める。


 少しずつ視界が開けていく。列が動かなければ、誰かしら異変に気づくだろう。いつものように、言葉巧みに時間を稼げばいい。確実に事態は好転する。でも――。


「今すぐその子を解放してくれたら見逃す。約束する」


 カノラの首筋に当てられたナイフ。そこに一筋の血が流れているのを見たら、頭がおかしくなりそうだった。価値ある絵画だとか、貴族としての矜持だとか、思いつく限りのものを並べたところで答えは明白だ。

 

 一分一秒でも早く彼女を助けたい。

 何に代えても守りたい。


 彼は、そういう人間だった。


「彼女を渡せ」

「はははっ! どうすっかなぁ?」


 男は値踏みするように、こちらをじろりと見てくる。カノラを引きずりながら、馬車の後方から少しずつ扉へと近づいていく。

 その動きに合わせるように、仲間の一人が車内から出て御者席へ。もう一人は早く来いと、扉を開けて手招きをしている。


「この女にはしばらく人質になってもらう。誰も追いかけて来なければ、そのうち解放してやるよ。ほら、乗りな!」

「きゃっ!」


 彼女が馬車に放り込まれそうになる。小さな悲鳴が、ヴィントの耳を劈いた。


 その瞬間、他の音がすべて消えた。頭の中にあった言葉すら綺麗に消え去り、自ずと足が動いていた。必死に手を伸ばし、足で泥を散らす。


 それがどんなに危険な行為であっても、この身を差し出すことが愚かだと分かっていても、衝動は止まらない。


「カノ!」

「なっ……この野郎!」


 ナイフと彼女の間に入り込み、彼女を抱きこむように犯人に背を向ける。刃先は背後から肩に突き立てられ、めりめりと肉が裂かれる感覚が走った。腕まで伝わる激痛に、くぐもった声が出る。

 

「くっ……!」


 刺さったナイフをそのままにして、ヴィントはカノラの手を引き込んだ。

 ナイフを失った男はよろけて車体にぶつかる。だが、馬車から降りてきた男がカノラの華奢な腕を掴もうとした。


「カノに触るな!」


 我慢ならなかった。右肩に刺さったナイフを左手で引き抜く。それを振りかぶり躊躇なく男の腕を斬りつける。

 だが、衣服を裂いただけで致命傷には程遠い。それでも彼女から引き剥がすには十分だ。


「くそ! おい、武器を出せ!」


 焦ったのか、御者席にいた男が降りてくる。馬車の中から新しい武器を取り出そうとしているのだろう。


 吐く息が白い。でも視界は開けていた。

 ヴィントは唯一の武器を左手で強く握りしめた。右腕から垂れた血液が、雪を赤黒く染めていく。


「ヴィンくん! 血が!」


 背中から聞こえる彼女の悲鳴に、心の底から安堵する。あぁ、そばにいる。生きている。それだけで頭の中が晴れていく。


 ―― あ、晴れてる


 そこで、初めて気づいた。いつの間にか吹雪がやんでいる。空から降り注ぐ光が雪原を照らしていた。


 ―― そうだ。ナイフだけじゃない


 自分には他の戦い方があるじゃないか。

 ヴィントは帽子を脱ぎ捨てた。冷たい風がこめかみを掠めていく。


 遠くまで広がる美しい雪原。そこに銀髪が溶け込んでいく。水面のように光を反射し、散乱した光は次に碧眼を輝かせた。


 血だらけのナイフを持ったまま両手を広げ、やわらかく微笑んだ。


「建国の王・セントステイトを謳おう。黒き髪と瞳を持って生まれた英雄のことを――」


 そう語られる建国神話を、ゆっくりと口にする。


「その瞳は未来を映す。王は夢を見ることもなく、未来を見続けた。そうして、災いが起こる前夜。全知全能を授かり、色を失った」


 銀は叡智(えいち)、碧は誓い。

 それを民に捧げる者だけが、色を失ってこの国に生まれ落ちる。


「そして、次の王となるのだ」


 そう微笑むヴィントに、男たちは息を呑む。


「建国神話。王族が『この色』で生まれる理由だよ」

「まさか、おまえは……領主の……!?」


 犯人の一人が事実に気付く。ヴィントを刺してしまった不運な男だ。


「御明察、ヴィント・スノライン。おまえは領民か。ならば、この身に王の血が流れていることも――知っているだろう?」


 ひゅっと冷たい風が吹き、馬の蹄が雪を蹴散らす音が響く。男たちは震えていた。


「罪には罰を」


 そう言って、左手でナイフを投げ放つ。それは馬車の側板に突き立ち、車体に黒い血が飛び散った。


「俺の血が目印だ。逃げてもいい。どんな手を使ってでも見つけ出す。俺のすべてを懸けて、絶対におまえたちを――」


 視線だけで伝えた。そんな言葉、彼女に聞かせたくはない。


 王と同じ色の血が、雪に染み込み泥に混じる。ただでは済まされない。今すぐ馬車に乗り込んで、彼らは逃げなければならない。

 しかし、彼らはとうとう動かなかった。少しでも足を動かしたら『死』という未知の穴に片足を突っ込んでしまうのではないかと、そう思ったのだろう。


 馬車の中で一人、そして扉の前で二人。三人が力なくへたり込み、駆けつけた騎士に囲まれる。護衛についていた騎士が、傷をうけた身体を引きずりながらも助けを呼んでくれたようだ。



 犯人が捕縛される様子を見て、ヴィントは地面に膝をついた。全く感じてなかった右肩の痛みが突如として広がり、頭がぼんやりとする。瞼が重い。


 顔を歪ませ、外套を脱ぎ捨てる。シャツは右肩から手首まで真っ赤に染まっていた。無理にナイフを引き抜いたせいだ。


「ヴィンくん! やだ、あぁ、ダメ、血が……!」


 騎士が慌ただしくなる。彼女は衣服の一部を破り、ヴィントの肩をしばる。声は気丈だが、その手はひどく震えている。結ぶ手がたどたどしい。


「カノ、傷は大丈夫? 首のところ見せて」


 どうにか瞼を開けて顔を覗き込むと、彼女は目を見開いて眉を歪ませた。


「大丈夫に決まってる! な、なんで……?」


 黄色の瞳が揺れる。


「こんなの痛くないよ。わたしのことなんてどうでもいいよ……!」


 こぼれ落ちそうな涙。悲しげな瞳。どうでもいいなんて言わないで、と彼女の頬に触れる。


「泣き虫カノラ」意地悪に笑ってやった。

「……本当に血の気が引いた。カノとナイフの組み合わせって、すごい破壊力。今すぐ絵に描いておきたいくらい」


 銀髪が白髪になりそうだ、なんて軽口を叩きながら、指先をくるくると回して宙に絵を描く。でも、その手はすぐにぎゅっと握られてしまう。


「おねがい、動かないで。すぐ馬車が来るから」


 彼女は首を横に振る。ちがう、こんなことが言いたいんじゃないの、と。


「……ちがうの。ごめんなさい、ごめんね、わたしがいけないの。わたしのせいで、ごめん、なさい」

「大袈裟だなぁ。”こんなの痛くないよ。俺のことなんてどうでもいいよ”」


 さっきのカノラの言葉を真似ると、彼女は「もう、やめてよ」と無理して笑って、とうとう我慢しきれない様子で大粒の涙をこぼした。ぽろぽろと。ありがとう、と言葉を零しながら。


 それを拭いたくて、右手を動かす。指先に痺れはない。少し胸を撫で下ろすが、痛みで腕が上手く上がらない。


「ははっ……ダメだな、格好悪い。全然上手くできなかった」


 そう言って、一度息を吐く。


「……でも、守れたから――格好悪くてもいいや」


 はぁ、よかった。本当に無事でよかった。安堵が喉をつついて何度も同じ言葉を言ってしまう。よかったよかった、と繰り返す。


「ヴィンくん……」


 らしくないところを見せすぎた。なんだか居心地が悪くて、痛くない左手でカノラの頭を撫でて誤魔化す。


 よしよし、よくがんばったね、もう大丈夫だよ、怖かったね。兄よりも兄らしく、優しく彼女の頭を撫でた。



 


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