No.33 嘘の上塗り
スノライン領から隣国ノーザランドへと続く一本道。馬車がじっと動かずに並んでいる。
まさに検問。家族連れなど明らかに違う人々だけが通される。
怪しい馬車は側道に避けられ、二人組の騎士が一台ずつ丁寧に話を聞いていく。一人目は制帽をやたら深くかぶっている騎士。二人目は小柄な女騎士。
馬車の扉を開けた人々は、彼らを見て少し不安そうに眉を下げる。
「騎士殿、これは何の騒ぎですか?」
「ご協力に感謝いたします。領内で強盗事件が発生したので、少しお話を伺いたいのですが」
「それは大変ですね。かまいませんよ」
すると、すぐに小柄な女騎士が耳打ちをしてくる。この人たちじゃない、と。
検問開始から一時間。ヴィントとカノラはすでに数十台の馬車を見送っていた。
「また違いましたね。もう逃げちゃったのかしら」
「まだ逃げてないよ」
「なんでヴィンくんにそんなことがわかるんですか?」
「うーん、勘かなぁ」
「ぇえ? 軽く言いますね」
「軽くはないけどね」
少し濡れた茶色の前髪に、またひとふぶきの雪が乗る。分厚い手袋に慣れない彼女は、うまくそれを払えない。代わりに払ってあげると、彼女はぱちぱちとまぶたを瞬かせ、寒さで赤くなった頬を少し膨らませる。
悪い癖だ。必要以上に距離を詰めようとしてしまう。
だが、白銀の世界で二人きり――なんてことはなく、背後には二人の騎士が立っている。一人はヴィントの護衛、もう一人は子爵令嬢であるカノラにつけた護衛。
彼らは目配せで会話をしている様子。『大雪の中、オレたちは一体なにを見せられているんだ?』あぁ寒さが身に染みる。はやく来い来い、犯人よ来い。
「大丈夫、犯人は必ず来る」
ヴィントは自信満々に笑って見せる。
犯人は留守を確認せず、家に侵入している。今朝は珍しく晴れていたから、浮かれてしまったのだろう。
きっと性格はこうだ。晴天に舞い上がってしまった、うっかり者。雪で絵が濡れるのを嫌がる心配性。ついでに、天に見放された不運な男。よりにもよって、今は大雪だ。
ヴィントは雪を手で払った。
―― 焦りと恐怖の間で、葛藤しただろうな
彼らの気持ちなら手に取るようにわかる。民家から逃げるとき、犯人は『もう来やがった』と言っていた。カノラの耳のせいで、計画よりも早く事件が発覚してしまったのだろう。
焦燥に駆られた人間は、一刻も早くここから離れようとする。ノーザランドへの最短ルートを選ぶはずだ。
けれど、そこが除雪されていなかったら?
次に向かった近道も通行止めだったら?
たらい回され、最後にやつらが辿り着くのは、この道だ。到着したときには検問が始まっている。逃げ切れない。
ヴィントが迂回ルートを選んだ理由は、そこにあった。
「ヴィンくん? 早く次の馬車にいこう?」
次の馬車はかなり大きい。きっと積み荷がたくさんあるはずだ。
「今度は当たりかも。カノラ、耳の準備を」
「全力ラジャーです」
彼女に全く似合っていない騎士服。へなちょこの敬礼が、なんだか――いや、不謹慎だ。ヴィントはコホンと咳払いをしてから動いた。
まず御者席に視線を向けるが、そこには誰もいない。かろうじて足跡は見えるが、行き先まではわからなかった。
「……御者がいない。中にいるのかな」
「待って」
馬車をノックする寸前、カノラがそれを止める。
「後ろの方が騒がしいわ」
カノラの耳が喧騒を捉える。たしかに、わずかに怒号が聞こえる。
急な招集だったため、そもそも集まった騎士は少ない。犯人が痺れを切らして暴れているのかもしれない。ヴィントの護衛をそちらに向かわせ、状況を調べるように命じる。
騎士の彼が戻ってくるまでは待機だ。
しかし、腕組みをしたところで、目の前の扉が開けられてしまう。
「騎士殿、やっと我々の番ですかい?」
中には商人風の男が二人。寒さのせいか貧乏ゆすりをしている男、そして胡散臭い笑顔を浮かべている男がいた。
見た瞬間に感じ取る。奥歯をキュッと噛むような頬、視線の動き。悪事を企てる人間の仕草だ。
しかし、絵画泥棒かまではわからない。
ここまで何台も怪しい馬車を見てきたが、ヴィントの感覚では『悪人』である人間でも、カノラの耳は判決を下さなかった。悪いやつは意外と働き者だったりする。
ヴィントはカノラを背中に隠し、制帽を目深に被る。
「お待たせしております」
「尋問だかなんだか知らねぇが、さっさと終わらせてくれよ」
「領内で事件が発生したため、積み荷の確認をさせていただきたいのですが」
「積み荷? ここで見せなきゃならないんですかい?」
へらへら笑ってはいるものの、威圧的なしゃがれ声だ。彼女の耳には、その一節だけで充分だった。ヴィントの袖をちょいちょいと引っ張り『犯人です』と合図が来る。
―― こいつらが犯人か。まずは……カノラを避難させないと
彼女に耳打ちで伝える。『騎士を招集し、その後は離れておくように』と。
護衛の騎士は迷うような素振りを見せたが、彼の役割はカノラの護衛だ。ヴィントが指示を出すと、騎士は頷いて彼女に付いてくれた。
―― さて。隠された絵画を探しておきたいところだけど……
ヴィントが馬車を覗き込むと、そこには平たい木箱が積み重なっていた。
「この木箱、全て中身を確認させていただきます」
語気を強くする。馬車の中にいる男はわざとらしく吃驚する。
「これらの絵を全部ですかい? そりゃ無理な話だ」
「へー、この積み荷は絵画なんですか? 奇遇ですね、我々が探しているのも絵画なんですよ」
とんだうっかり野郎だ。積み荷を確認する理由を作ってくれるなんて。
「騎士さん、よく考えてくれよ」貧乏ゆすりの男が口をはさむ。
「木箱を空ける場所なんてないし、絵が濡れちまう。売れなくなったらどう責任とってくれるんだ?」
「ご心配は重々承知してますよ。……では、とりあえず木箱を外から見させていただいても?」
「いやいや、天気を見てくれよ。吹雪いてきやがった。もたもたしてたら移動できなくなっちまう」
心配性な男だ。
「手短に済ませますから」
ヴィントは馬車に足をかけ、半身を車内に差し込んだ。
犯人の二人は少し目を見開いていたが、声を荒げたり無理に追い出そうとはしてこない。
その顔には『隠し場所がわかるわけない』と書いてある。犯罪者の過信は、いつかナイフになって自分に向けられるのに。
―― どこに隠した?
ヴィントは扉に手をかけて車内をじっと見る。
例えば、絵画を隠すときには、その上から別の絵を描く『嘘の上塗り』的な手法がある。隠す目的だけでなく、キャンバスを買う金のない画家の節約方法だと聞いたことがある。
だが、悠長に絵を上塗りする時間はなかったはず。思考を深めながら、馬車の内壁を指先でトントンと叩く。
そこで違和感を覚えた。分厚い手袋を外し、素肌で内壁に触れる。氷点下では、木のぬくもりなど無感覚に等しい。
―― ずいぶんと分厚い内壁だな。寒さ対策? 断熱材を入れてる? ……いや、違う
違和感は続く。遠目から見たときは大きい馬車だと思ったが、中に入ってみると存外狭い。
―― なるほど、そういうことか
ヴィントは雑談をしながら手を伸ばし、内壁に触れていく。乗客に不釣り合いな立派な馬車だ。指の腹を木がするりと滑っていく。
しかし、先頭側と後方側でわずかに木のすべり具合が異なる。材質は同じだが、加工が荒い。
『隠したい絵の上に、全く別の絵を描く』という手法を、そのまま馬車に応用したのだろう。本物の壁の上に偽物の壁を作り、その隙間に絵画を隠している。
ヴィントの指先が触れている部分は、空洞だ。
―― 見つけた
吹雪の音が遠のいた。
にこりと笑って、一度馬車を出る。直接殴り合う趣味はない。応援の騎士はまだかと周囲を見渡すが、雪で視界が狭い。
遅いな、と思った。本来ならすでに招集していてもおかしくはない。目を凝らすと、そこで吹雪の合間に紫色の騎士服をとらえる。あぁ、やっと来た。そう思って視線を向ける。
瞬間、指先だけに感じていた寒さが全身を貫き、凍えた。
「ヴィ、ン……くん、ご、めんなさ」
応援の騎士ではない。カノラだ。
彼女は後ろから羽交い絞めにされ、その首筋には血液のついたナイフがあてられている。呼吸が浅いのか、白い吐息がすぐに消えていく。
ナイフを持っていたのは、見たことのない男だった。うっかり者の男、心配性な男――そして、天に見放された不運な男。犯人は三人いたのだ。
「カノ……」
今まで、どんな絶望だって虚無に変えて生きてきた。心に蓋をすれば恐怖は感じない。神経を麻痺させれば痛みもなくなる。
でも、心の形を留めておけないほどの感情が、小刻みに身体を揺らした。
―― ……あ、ダメだ……
あぁ、崩れていく。痛い、怖い。怖くてたまらない。彼女の首筋に当てられたナイフが……怖かった。
「カノラを、返せ」
言葉の端が震えた。
「絵なんてどうでもいい。全部奪っていい。何もいらないから――だから……その子を返せ」
喉を切り開くようにしてどうにか音になったのは、弱々しい懇願だけだった。




