No.32 袋小路に追い込まれる
ヴィントは被害者親子から話を聞き取り、すぐに領主館に戻った。
玄関に入ったところで、使用人の中にカノラがまぎれていることに気づく。普通にスルーしそうになって、ちょっと笑った。
「カノラ、なにしてるの?」
「ヴィンくんを待ってました! おかえりなさい! あの親子は……?」
「親子そろって腹ペコ。診療所で出されたご飯をすごい勢いで食べてたよ」
父親の傷も、命に別状はない。家は明後日から修復予定で、仮住まいも確保済み。それを伝えると、彼女の頬が緩んだ。
「仕事がはやいー! はぁ……良かったぁ。もう心配で心配で! 犯人探しに出ようと何度思ったことか」
「うん。それは本当にやめようね。ダンはどこ?」
「談話室で寝てます」
彼女の眉間に寄ったしわが語っている。親子を心配する素振りのない実兄のことが気に入らないらしい。
心配性には暇を、怠け者には仕事を与えよう。ヴィントはカノラに適当な用事をお願いして、談話室から遠ざける。犯人探しをしようとする令嬢には毒だ。
「ダン。ちょっといい?」
「おー、おつかれー。もう昼飯?」
大あくびのダンテ。
「スプリング兄妹は足して二で割るとちょうど良いのにね。これ見てほしいんだけど」
だらりと寝ころぶダンテの顔に、一枚の紙をのせる。彼はふーっと息を吹き上げて、それをつまんだ。
「なんの絵?」
「それを聞きたい」
盗まれた絵の特徴を親子から聞き出し、ヴィントが描き起こしたものだ。キッチンで料理を盛り付ける男女二人、その奥には小さなテーブルが描かれている。
盗まれた絵画は、亡くなった母親が購入したものらしい。芸術に興味のない親子で、作者名も値段も知らないという。
だが、ヴィントはこの絵に不思議な既視感を覚えた。
「どこかで見た気がするんだよね。王城の絵画品評会に問い合わせるより、ダンに聞いた方が早いだろ?」
「……ランチタイム」
ダンテは紙をくるくると回しながら、ぽつりと呟いた。昼ご飯を催促しているわけではない。ヴィントはすぐに腹落ちした。
「さすが! そうか、画家ドワルコフの【ランチタイム】に似てるんだ」
本作に男女の姿は描かれていないが、小さなテーブルに並べられた二人分のカトラリー。二つの椅子。夕焼け色の日差しに照らされた料理たち。
それの視点を変えて描いたパスティーシュだ。
いや、しかし――ただの模倣作を強奪するだろうか。ヴィントとダンテは目を合わせた。
「まさか、ドワルコフの真作?」
「だから、盗まれたっつーこと?」
金庫には目もくれず、絵画だけを狙った理由がわかった。
ヴィントは時計を見た。犯行からまだそんなに時間は経っていない。
次に、窓の外。朝の晴天は灰色に変わり、事件直後から吹雪いている。馬車も徐行だ。
「まだ領内にいるはず」
壁に飾られているセントステイト王国の地図に触れる。
スノライン領を人差し指で軽く押さえ、南に指を歩かせていく。――いや、違う。また北へと引き返す。指が向かったのは、スノライン領のさらに北側。トントンと地図を叩いた。
「犯人の向かう先は、隣国ノーザランドだ。俺だったらセントステイト王国で盗品を売りたくない」
「うちの国の方が高く売れんじゃね? 人気じゃん」
人気だからだよ、とヴィントは返した。
「本当に好きなものを前にしたら、人は清廉潔白でいたくなる。――汚したくないから」
芸術大国の民を欺くことは難しい。入手経路まですべて暴こうとするはずだ。その点、隣国の方がやりやすいだろう。
「さて、どうしようか」
もう一度、窓の外を見る。この吹雪なら、放っておけば雪で通行が難しくなるだろう。
「ランタ」
「……はい、なんなりと」
部屋の隅に控えていた侍従ランタに声をかける。言葉とは裏腹に、彼の視線はそばにある調度品に向けられている。
「除雪部門に伝達。ノーザランドへ続く馬車道のうち、迂回ルートの一本だけを除雪する。それ以外は除雪を中止。騎士を向かわせて、今すぐ通行止めにして」
困っている領民には補助を手配。費用はスノライン伯爵家が持つ。ヴィントは指示を続けた。
「やんちゃが過ぎるかと。ロスカ様の許可は仰ぎますか?」
「大丈夫。これくらいは目を瞑ってくれるよ」
「……かしこまりました」
ダンテがむくりと起き上がる。
「なんで全部の道を封鎖しねーの?」
「行動を予測しやすいからだよ。あえて逃走経路を一つだけ残して、袋小路に追い込む」
ノーザランドまでの道は、冬の間も交通量が多い。輸出入品を運ぶ商人がいるからだ。犯人は商人を装い、積み荷にまぎれて絵画を持ち出すはず。
「怪しい馬車がいれば積み荷をチェックする」
「どうやって判断するんだ?」
問題はそれだ。
スノラインの権力を振りかざし、全ての荷物を開かせるのは難しい。ドワルコフの絵だと断定していれば、話は別だが。
ある程度、犯人をより分ける必要がある。
靴跡など現場に残されていた痕跡をフィルターにしたところで、この談話室にいる三人ですら容疑者に含まれてしまう。平均ど真ん中だ。
「親子に犯人の人相を聞けばいーじゃん」
「帽子とマスク着用。親子は顔を見ていないんだよ」
「どうしようもねーな」
腕を組んで思考を巡らす。絵画は盗まれるべきものではない。絶対に取り返す。
そこで、さっきの玄関での出来事を思い出した。カノラだ。
「……俺も騎士にまぎれてみようかな。顔は見てないけど、雰囲気でわかるかも」
「わかるかぁ?」
「そこらへんの騎士に任せるよりは確率が高い。何より時間がない。ランタはついてくる?」
侍従ランタは真顔で首を横に振る。
「本日午後は休暇の申請をしておりますので」
「……そうだったね」ヴィントも真顔で返す。
「ヴィント様、さすがに危険ですよ。領主代理として現場で指揮するならまだしも、騎士の真似事だなんて。ロスカ様に怒られます」
「そうだよね。じゃあ勝手に行くから内緒にしてね」
ヴィントがそう言うと、ランタは無言で手のひらを見せてくる。なんだか茶色の瞳が金色に光っているような。
侍従の彼は、情報収集では右に出るものなし。だが、そのために通い詰めた賭博場で見事にはまってしまい、常に金に困っている。今日の午後もどうせ行くのだろう。
ヴィントは胸ポケットから財布を取り出し、適当に札を渡した。十八年かけて築いた絆だ。父親には秘密。
「えー、少なっ……コホン。では、騎士を護衛につけましょう。領民のために尽力なさるのも未来の領主の務めと存じます。仕方ありませんね」
「本当に仕方のない人だね」
さて、早いところ騎士に合流しないと。急いで扉を開いて、しかし、そこで外套を落としてしまう。
カノラが仁王立ちをしていた。
「わたし、聞いてました」
「……カノラ」
はぁ、とため息。床に落とした外套を拾う。
「特技は盗み聞き?」
「失礼ですね。こんな風に聞き耳を立てることなんて、あるわけ……あるような……」
思い当たることがあるらしい。視線は右に左に宙を泳いでいた。
「コホン。それより! わたし、聞いてたんです! 一緒に行く。犯人の特定ならできます」
カノラは両耳をつまんでにこりと笑う。自信満々な笑みに、ヴィントは思わず「げ」と言ってしまった。
彼女の『聞いてました』という言葉は、『犯人の声を聞いてました』という意味だ。
「少ししゃがれた声――泥を含んだ重たい水が排水される音に近い。語尾はAフラットに落ちる感じ。煤だらけで、伸び悩むような声色でした」
「わかった、Aフラットだね。あとは俺に任せて」
「ヴィンくん、はぐらかさないで。あの親子のためでしょ?」
たしかにカノラの耳はピカイチだ。声や足音、扉をノックする音。それらを聞き分けているのを何度も見てきた。ノックする前に名前を呼ばれることなんて日常茶飯事だ。
あの親子を思い出す。母親を亡くしたばかりの子供が、食事をとったり、その日の出来事を父親と語るだろうダイニング。その壁に、ずっと飾られていた絵画だ。――きっとアゼイの四連作と同じ。
ヴィントだって、絵に救われてきたんだ。
それは、ただの猶予なのかわからないけれど。
「……わかった。一緒に来て」
絶対に危ないことはしないように、と乾いた声で伝える。瞳の温度を低くし、凍らせるようにアイスブルーを深く刺す。
しかし――効かなかった。
彼女は顔を強ばらせることもなく、満面の笑みで頷いていた。




