No.30 でも、見つけてほしい
翌朝。着替えを終えたヴィントは、侍従ランタに尋ねる。
「カノラは? もう起きてる?」
「ダンテ様は寝ております。カノラ様はお目覚めになったようですが、お着替えの手伝いも断られたと、侍女から報告を受けましたよ」
昨日のディナーもそうだったが、カノラは恐縮しっぱなしだ。身の回りのことは自身でやる、それがスプリング子爵家の方針だと聞く。
「どう振る舞えばいいかわからないんだろうな。声をかけてくる」
「かしこまりました。お気をつけて」
「……階段で転ぶとでも?」
十三年間も住んでいた自宅で、どのように気をつけろと言うのか。ランタを軽く小突き、ヴィントは部屋を出た。
スノライン領主館は、とても広い。
一階には、母ルミアの部屋と庭があるほか、奥には厨房や使用人の部屋が用意されている。
二階にはカノラたちが泊まっている客室やダイニング、談話室がずらり。
さらに三階。父親の寝室と書斎、ヴィントの寝室がある。この階は何重にも鍵がされており、部外者は立ち入れない。
三階から降りると、たくさんの使用人に頭を下げられる。見ない顔ばかりだ。
彼らのほとんどは救済措置で雇われた領民。職が見つかるまでの数か月間だけここで働いてもらっている。少数精鋭。古株はランタ含めて四名程度だ。
使用人たちに挨拶を返しつつ、ヴィントは爽やかなロイヤルブルーの廊下を進む。塵ひとつない調度品を軽やかに横切った。
客室の前に立ち、ノックを鳴らそうとすると、その直前で扉の向こう側から「ヴィンくん?」とやわらかな声がした。
開いた扉から差し込む朝日が、なんだか眩しい。いつもは曇天の下にある領主館なのに、今日は珍しく晴れている。スプリング、おそるべし。
「おはよう、よく眠れた?」
「おはようございます。緊張で神経が高ぶっていたとしても、このふかふかベッドには負けちゃいますね」
「神経が太めで良かったね」
「誰かさんに鍛えられてますから」
そう言って彼女が笑うと、短くなった髪が肩のところで少し跳ねた。後ろに回って指先で軽く整えてあげる。侍女にやってもらえばいいのに、と苦笑いしてしまう。
「短いのもいいね」
「そうですか? 切りすぎちゃったかな。なんか慣れなくて……」
「ううん、今のカノラには似合ってる」
彼女は少し俯いて、小さな声で何かを言った。かろうじて聞き取れたのは『う』で終わる五つの音ということだけだ。
「どういたしまして。髪を短くしたのって、いつ以来?」
「覚えてないの。子供のときからずっと長かったから」
「え、じゃあ人生初?」
「乾かすのがラクでびっくりしました」
―― 髪を切らないと切り替えられないくらい、フォルくんのことが好きだったの?
その質問を投げかけようとして、やめた。恋で刺された傷をえぐって得るものなど、勲章にもならない傷跡くらいだ。
ため息だとばれないように呼吸をする。客室の空気を吸うのは久しぶりだった。
「この部屋に入るの、十二歳のとき以来かも。ランタから逃げて隠れてたときだ」
「ふふっ、ヴィンくんが客室を使うことはないものね」
「カノラと違って、大切なお客様じゃないからね」
追い出される予定のカノラは、少しむくれる。
「でも、十二歳でかくれんぼなんて、今のヴィンくんからは想像できないね」
「昔は自由気ままな少年だったからね」
カノラの髪を何回か撫でつけるが、ピンと跳ねてしまう。髪も頑固だ。
「十三歳からは自由じゃなかったの?」
「うーん、不自由気ままって感じかな。人生って、かくれんぼに似てるとこあるからさ」
「相変わらず、なに言ってるかわかりませんね」
「じゃあ、もっとわかりやすい男になるね」
白く冷たい手では、彼女の髪を真っ直ぐにできないのだろう。諦めて髪を耳にかけてあげる。彼女の耳を、冷えた指が掠めた。
「ぎゃっ! そういうこと、軽々しくやらないでくださいよ。軽薄な人だと思われますよ?」
「はいはい、重く受け止めておきます」
ハンガーにかけられている彼女の外套に視線を向ける。ふわふわの白だ。
「カノラは軽いのと重いの、どっちが好きなんだっけ?」
「それは……重い方がいいですけど」
「俺も重めが好き。ローストビーフサンドイッチにしよう」
「はい? なんの話ですか?」
「朝食の話」
重めの朝食なら、美味しい店を知っている。不満そうに口先を尖らせている彼女を外に連れ出した。
「もう最高に美味しかった~。雰囲気も良いし、食事は美味しいし。スノライン領ってこんなに素敵なところだったんですね」
スプリング兄妹は朝食に大満足。街を歩きながら、サンドイッチソースについて熱弁している。
だが、外で朝食をとろうと思ったのは、領地に赴いた目的をカノラに説明するためだ。侍従ランタの耳もあるし、領主館では少しやりにくい。
「え!? 窃盗の増加?」
あらましを伝えると、彼女は小さな声で驚く。肌で感じた平穏との落差に、身を庇うようにして腕をさすった。
「不安に駆られた人間は、安心を抱え込もうとする。すべてを手放した方がよっぽどラクになれるのにね」
例年よりも初雪が一か月も早い。積雪量も多く、領民の不安は募るばかりだ。
ダンテは大きな背伸びをして辺りを見回す。満腹満足のせいか、いつもより話をきちんと聞いている様子。
「そんな物騒な感じしねーけど?」
「これがあるからね」
青い瞳でウインクを飛ばし、銀髪を摘まんでつんつんと引っ張る。
すれ違う領民は、この二つを見ると少しざわつき、顔を明るくして頭を下げる。
王国を見渡せば、青い瞳の人間なんて五万といる。銀髪もそれなりに見かける。
しかし、それら二つの掛け合わせは奇跡のロイヤルカラーだ。現国王を筆頭に、王族は銀髪碧眼ばかり。
ヴィントが周囲から一目置かれているのは、母親が王族というだけでなく、彼自身がロイヤルカラーを持っていることに起因する。
大昔――建国神話には、王族の中に超人的な力を持つ者がいたと記されている。天候を操る力、神の声を聴く力。
もちろん母ルミアにそんな力はないが、一つだけ領地にもたらしたものがある。銀髪碧眼の『清める力』だ。
まるで湿性沈着。降雪が大気中の汚染物を取り込んで空気を浄化するように、銀髪碧眼の姿で街を歩き、言葉を交わすだけで、人々は自身の行いを振り返る。悪い心を手放す。
ヴィントが通ったあとの街が清らかなのも、そのおかげ。
「っつーことは、窃盗犯を根こそぎ捕まえるわけじゃねぇのか」
「それは騎士の仕事。現場に顔を出すこともあるけど、よっぽどのことがなければ――カノラ?」
隣に気配がないことに気づく。振り返ると、彼女は足を止めていた。
「この声、なにかしら? 誰かが叫んでる」
耳を澄ませる。ヴィントの耳では拾えない。
「どこから聞こえる?」
「子供の声だわ。あっちの方から!」
カノラが指し示す方向に、もう一度耳を傾ける。
冷えた風が冬晴れの空を吹き抜ける。
その風に乗って、どこからか甲高い叫び声が聞こえてくる。――必死に戦っているような、助けを求めているような声。
三人は目配せをして駆け出した。
それぞれの恋をねじ曲げる、叫声とも知らずに。




