No.03 アイスキャンディをこめかみに突き刺す
王立学園の中庭。
血眼で木剣を探す、黒髪眼鏡男子がいる。
彼の名前は、フォル・ハーベス。
カノラの想い人だ。
「ここにもない。どこへいった!?」
百回目の素振りを終え、ベンチで水分補給をしたところまでは良かった。
そこで、一目惚れの相手・リエータが渡り廊下を歩いていたのだ。駆け寄って話しかけるも、彼女は足早に講堂へ行ってしまった。
残念に思って振り返る。おやおや、ベンチに置いたはずの木剣がないではないか。渡り廊下までの距離は、わずか三メートル。なんという大失態。
騎士科の彼らは、常に木剣を携え、紛失すれば厳罰という規律がある。
いやいや、大丈夫だ。焦るな。いつもなら、ご令嬢方がそこかしこでお喋りをしているはず。尋ねようと見回すが、講堂でマナー講習が開かれているせいで、今日は人影がない。まずい。汗がすごい。
眼鏡を何度も拭って探すこと、七分間。
騎士団隊長である父親からの怒号、同級生からの嘲笑。それらが重くのしかかる。先ほどまでの秋晴れも、もう曇天。
そんなときだった。
背後から、場違いなほど穏やかな声が降ってきた。
「ものを探すのに下ばかり向くなんて、きっとキミは良い人なのだろうね」
振り返ると、三学年の男子生徒が立っていた。
どんなにだらしない着方でも碧眼だと様になるし、銀髪は曇天でも輝くのだと、フォルは初めて知った。
「えっと……あなたは?」
「目撃者。木剣を盗んだ犯人を知ってる」
フォルは耳を疑った。盗まれた可能性など考えもしなかった。
「長い茶髪で黄色の瞳をしていたよ。可愛い女の子」
「令嬢が犯人!?」
「あはは! 隠し場所を知っているから付いてきて?」
くいっと上げられた顎は、校舎の裏側を指している。
フォルはお礼を伝えながら、彼の背中を追いかける。あぁ、助かった。一歩進むたびに心が軽くなる。
「以前、同じように木剣窃盗事件が起きたんだ」
なんて親切な先輩なのだろうか。歩きながらも、当時のことを細かく教えてくれる。先ほどの七分間を思えば、フォルとて身にしみる話だ。
「で、その生徒が見つけた場所が、この茂み。見てごらん」
覗いてみると、ゴミに紛れて確かにフォルの木剣があった。
「あった! ありましたよ! あぁ、良かった……。でも犯人の姿はありませんね」
「そこらへんの茂みにいるかもね」
少し離れたところからガサッと音がする。フォルがそちらを注視すると、恩人はくすくすと笑い出す。
「ははっ、実はね、犯人は犬なんだよ」
眼鏡をかけ直してよく見てみると、ゴミだと思われたものは形の良い枝、落とし物らしきスカーフ、そういう物ばかりだ。
「毛足の長い茶色の雌犬がいて、時々悪さをするんだ。俺も、常日頃から気をつけないとなぁ」
茂みが不満そうに揺れているが気のせいだろう。ガッサガサ。
「本当に助かりました。ぜひお礼をさせてください」
「お礼はいらないよ、クマノミ二号くん」
「は、はぁ……クマ? あぁ、申し遅れました。僕は騎士科二学年のフォル・ハーベスです」
彼は青い瞳を細めて笑った。
「ヴィント・スノライン。よろしく」
す、の、ら、い、ん……口の中で復唱する。そうだ、銀髪碧眼と言えばそうだった。なぜ会った瞬間に気づかなかったのか。
フォルの頬はひきつり、通った唾の道筋でごくりと音が鳴った。
スノライン伯爵家といえば、不作である北の領地を持っていながらも、交渉術でそれをカバーしてきた切れ者一家。
北の隣国との折衝を一手に担い、今では昇爵の噂もあるほどの名家だ。
こうして向き合ってみると、確かに彼はその生まれだと納得させられる。
基本的にゆる~い空気を漂わせているが、時折見せる表情は冷ややかで甘く厳しい。まるでアイスキャンディをこめかみに突き刺してくるような人間だ。
「も、申し訳ございません! お手をわずらわせてしまったこと、深くお詫びいたします」
「気にしなくていいよ。木剣が見つかって良かった。ずいぶんと使い込んでるね。素振りは毎日してるの?」
そこから自然と剣術の話になり、剣技のコツまで気持ち良く語ってしまう。気づけば「実際に剣術を教えてほしい」と頼まれてしまった。
ド素人の高位貴族に剣術を教えるだなんて、本来なら丁重にお断りするべきだ。
フォルの父親が知ったら卒倒しそうだが、同時に木剣の恩が胸につかえてしまった。気づけば、首は縦に振られていた。
それにしても――なぜスノライン家の御令息が剣など覚えたいのだろう。
こうやって中庭でヴィントが木剣を振るう姿を見ていても、筋力がなさすぎて話にならない。
しかし、ゆっくりで弱々しいのに、あるべき場所にあるべきタイミングで剣先がピタリと止まる様は芸術的だった。
稽古をつけ始めて三日目には、その型を盗もうと注視していることにフォル自身も気付いていた。
そして、何かを問われたわけでもないのに、いつの間にか心の内側を垂れ流していることに気付いたのは、さらに一週間が経った頃だった。
「初恋なもので……どうしていいか悩んでいます。相手はサンライト男爵家のご令嬢。二学年のリエータ嬢です」
「へー、大変だね。その子のなにが良かったの?」
ヴィントは穏やかな声で尋ねてくる。
「ぇえ!? ヴィント先輩には彼女の魅力がわからないんですか?」
「まったく。欠片ほども」
「あんなに美しく、お淑やかな女性なのに」
ローズブロンドの髪が美しいだの、少しつり目なところが聡明さを引き立てるだの、垂れ流しまくるフォル。
聞いているのかいないのか、ヴィントは中庭のベンチに腰掛けてスケッチブックを開いている。
「へー、彼女の外見が好きなんだね。まあ、わかるよ。人は最初に感じた"それっぽさ"を信じちゃう生き物だからね。それが本物かどうか、大体は後にならないとわからない」
彼は目の前の草花を模写しながら、そう言った。花弁に添えられた水滴まで、本物そのものに見える。
よくわからないが、妙に引っかかる言い方だ。フォルはつい声を張り上げてしまった。
「外見だけで惚れたわけではありません!」
「あ、そうなんだ?」
「僕は……忘れられないんです。彼女を抱きとめたときの、あの柔らかさが」
「へー。……ん? やわらか? なんか急に話の流れが変わったね」
ヴィントは眉間に指先を当てる。絵を描く手は止まっていた。
「そうです――あの日、中庭でぶつかったときに僕の身体を跳ね返してきた感触。生まれて初めて真理に触れた気がしました」
真理、という部分がやたら響く。
「ごめんね、フォルくん。ちょっと確認なんだけど、それは、おっ――いや、胸的な話?」
「ええ、まあ。胸ですね」
「あー……うん、そっかぁ。そっちかぁ」
結局は外見なんだね、とヴィントはさり気ない相づちを打っていたが、夢見心地なフォルの耳には入っていなかった。
そう。フォル・ハーベスは、むっつりすけべのピュア眼鏡男だった。健やかだ。
『彼の剣を振るう姿は曇りなき晴天のよう。誠実で浮ついたところが一つもない』なんて言っていたカノラの方こそ目が曇っているし、浮ついている。
「あー、カノにどうお伝えしていいか。さすがの俺も悩ましいな」
「カノ?」フォルは首を傾げる。
「いや、こっちの話。フォルくんは色気に弱いタイプ?」
下心を指摘され、顔に熱が集まる。
「まあ……自覚はあります。年頃ですし」
「どこもかしこもお年頃だなぁ。得てして恋愛が上手くいかないのは、求めてもらえない人から求められる快楽を知りたいのかもね」
「は、はぁ……」
よくわからないことばかりを言うヴィント。とても一歳違いだとは思えないし、頼りになりそうな雰囲気が醸し出ている。そこで、フォルは思いつく。
「ヴィント先輩! ぜひ恋愛のアドバイスをいただけませんか? 恋愛もお得意でしょう?」
「なにこのデジャヴ」
フォルがお願いしますと頭を下げると、ヴィントは何やら楽しげに校舎を見ていた。腕を上げて大きい丸を作りながら、彼はこう言うのだ。
「クマノミとイソギンチャクって、知ってる? アドバイスをする代わりに、お願いがあるんだけど――」




