No.27 この熱を、雪で冷やして
コンクールの数日後。ヴィントは馬車に乗っていた。
持ってきたのは、鞄を一つだけ。
心が重いときは、荷物を軽くする。どちらも重いと、足をすくわれたときに身動きが取れなくなるから。
四か月も家を空けるような格好ではないが、服も食事も領地にあるから困らない。いや――極論、何もなくても困らない。
腹が減るかもしれないと思って鞄にパンを詰め込むより、空腹を我慢する方が簡単だ。
ケガをするかもしれないからと包帯を持ち歩くより、痛くないふりをする方が応用が利く。
必要なものから順番に削ぎ落として生きるのは、この人生をやり過ごすためには有効だった。
そうやって荷物を少なくしておいて良かった。出発前に訪ねてきて、「オレも領地に連れて行け」と言い出す迷惑な友人を乗せるスペースにも悩まない。
「旅をしながら食うパン、めっちゃうめー。ヴィンも食う?」
「ノーサンキュー」ヴィントは腕を組む。
「あのさ、本当に領地にも付いてくる気? ダンの相手してる暇ないんだけど」
「ノーサンキュー。勝手についてきてんだし、気遣いなんていらねーって」
「うん。勝手についてきてるんだから、もっと気を使ってくれてもいいよ」
のん気に揺れる赤髪が憎らしい。銀髪に赤の絵の具でも垂らせば、少しは刹那的に生きられるだろうか。
「そういえば……留学のこと、カノラはなんか言ってた?」
「あー、むくれてた」
へーそうなんだー。知ってるけど。
彼女の頬を膨れさせた自覚はあった。
「なぁ、スノラインの領地でなにすんだよ。雪遊び? あ、ルミアさんの看病か」
ダンテは母ルミアとも顔見知りだが、『ルミアさん』なんて呼ぶ十代男子なんて彼くらいだろう。人類オールフレンドだ。
「仕事だよ。今年は積雪量が多いから、領民も不安がってるんだ。本格的に治安が悪くなる前に、各所に顔を出す必要がある」
ダンテは顔を歪ませ、口を開く。
「はぁ? 街に顔を出すだけなのに、一か月も予定をずらしたのかよ? 三日でよくね?」
「領地まで丸一日しかかからないのに、そんなにパンを持ってきたの? 三個でよくない?」
むぐ、もぐもぐ。親友は黙ってパンを頬張り始める。
束の間の静かな馬車内。彼を黙らせることができるのは、パンかヴィントくらいだろう。
王都からスノライン領まで丸一日と言っても、本当に二十四時間はかかる。夜明け前に家を出て、あまり休憩を取らずに馬を替えながら進んだとしても着くのは翌朝だ。
父親は蒸気自動車を持っているが、ヴィントは馬車を好む。生き急いだところで見える景色は変わらない。
少しずつ高くなる標高と吐く息の白さ。
途中の町で一泊して、ヴィントたちがスノライン領に入ったのは翌々日の昼前だった。
「うわー! 超雪じゃん!」
「バカダンテ。窓と口を閉じて。寒い」
窓から手を出して騒ぐダンテを蹴りながら、車内に入り込む雪を払いのける。
心を洗うような雪景色に、いつも心をかき混ぜられる。生まれ故郷に帰ってきてホッとするような、その冷たさでキュッと気を引き締められるような、そんな感覚が走る。
ヴィントはスノライン領で生まれ、十三年間をここで過ごしてきた。
時折王都に連れ出されることもあったが、十三歳まではほとんど領地から出なかった。母ルミアは生まれつき身体が弱く、あまり外に出られないからだ。
王立学園に入学する一年前、父親とヴィントは王都の屋敷に居を移したが、母親は今も領地にいる。最近は王城に顔を出すこともなく、領地に籠もりきり。
「腹減ったー。ルミアさんに会う前に昼飯食おうぜ。んー、あの店がいい!」
「はいはい。まったく自由だな」
ダンテが選んだレストランは、スノライン領で一番有名な店だった。王都にも支店がある。新しいもの好きのダンテにしては珍しい選択だな、と思いながら入店する。
さすが未来の領主。入った瞬間に「ヴィント様だ」と四方八方で囁かれ、代わる代わるに挨拶をされる。ここでの銀髪碧眼は象徴的で、とても目立つ。
それを聞きつけた店長がすっ飛んできて奥の個室を案内されるが、それを固辞するまでが様式美。窓側のこじんまりとしたテーブルを選んで、各々注文した食事を口にする。
ダンテは温かい料理を片っ端から頼んでいた。
「さっすがスノライン領だな。めちゃ寒かった。はぁ、あったまるー」
「慣れてないと厳しいよね。……っていうかさ、その謎の赤い汁はなに?」
「ホットトマトジュース。メニューになかったから作ってもらった」
スープではなくジュース。ダンテの食の趣味は常識から外れている。ヴィントは親友に向けてため息をこぼし、可哀想な舌と小さく呟く。
「……本当にスノライン領に来て大丈夫だったの? 急だったし」
「あー、親父? 手紙を送っておいたからへーきへーき」
「それは心配してない」
ダンテの父親であるシンスには、ヴィントからすでに根回し済みだ。スプリング兄妹は知らない様子だが、シンスとはかなり密にやり取りをしている。画家アノニマスとしても仕事上のパートナーだし。
「聞きたいのは、サンライトの子のこと。次のデートで告白するとか言ってなかった?」
ダンテとリエータがくっつけば、フォルに勝ち目はない。好都合だったのに。
「あぁ、そっちか。んー、それなぁ……」
ふーふー、ごくりと赤汁を飲むが、なんとも歯切れが悪い。噛み切れないトマトの皮でも入っていたのだろうか。
「なーんか違うんだよなー。可愛いし愛嬌もあるし理想形なんだけど、コノ子ジャナイ感がしちゃってさ。デートはキャンセルした」
ダンテは大きく伸びをする。
「オレの恋は、またオールオーバーっつーわけ」
「出た。謎の、コノ子ジャナイ感。いつもそれ言うよね。サンライトの子、アプローチ頑張ってたのに。期待だけ持たせて可哀想」
とか口では言いながら、ヴィントも彼女から粉をかけられまくっていた。ダンテの身勝手さと比べるといい勝負だ。
しかし、ダンテがなびかないとは。思い返せば、大抵は恋人関係になる前に御破算になるか、続いても半年以内にはお別れだ。
思っているよりも、親友は簡単な男ではないのかも。
ヴィントは熱々のスープを口に運び、眉を歪める。これは好ましくない展開だった。ダンテが飽きたなら、リエータを野放しにできない。
ここ最近は、フォルやリエータの動向を把握しきれていない。留学準備や仕事の手伝い、セイルド・ノルドの動きを注視することに時間を割いていたというのもある。
でも、本当は――少し距離を置きたかっただけ。気まぐれなダンテの恋愛事情に頼ってしまうほどに。
「うーん、失敗したかな」
「ホント、失敗した。リエータちゃん可愛かったなー。この失恋は残念すぎる…!」
テーブルに突っ伏す赤頭を見て、つい口の端を噛んでしまう。
「それ、失恋じゃないだろ。すぐ惚れるくせに、いつも自分勝手に終わらせるよね」
「あったりまえだろ。恋の情熱は、他人に言われてどうにかなるもんじゃねーから!」
ダンテの気持ちはダンテのもの、ということだろう。ありきたりな言葉ではあるが、裏を返せば『恋の終わりを決められるのは自分だけ』ということだ。
―― 終わらない恋のオールオーバーか……
こうしてカノラから距離を取ってみたが、実際、あまり意味はない。
仕事や些事を詰め込んで頭の中を複雑化したところで、まるであみだくじを引くように脳の回路を辿り、行き着く先はいつも同じ場所――彼女だ。
この回路が薄れていって、彼女を思い出さなくなるまで一体どれだけの時間が必要なのか。オールオーバー、途方もない。
例えば、こんな風に賑わう店内に茶髪の女性が座っていたら、あみだくじを引く速度は光よりも速い。
―― あ、珍しい。同じ髪色だ
一番遠い席に座る茶髪の女性客。
カノラの茶髪は少し濁った、絶妙に地味な色なのだが、見れば見るほどよーく似ている。違うのは髪の長さだ。女性客の髪は短かった。
―― 短いのも似合うだろうな
ダンテのおしゃべりを聞き流し、しばらく聴力は機能停止。全ては視力に注がれる。目が離せない。本当によく似ている。
もし彼女のそっくりさんがいたら、やはり一目で恋に落ちるのだろうか。
そんなことを空想しながら、目を離せないまま一分。頭の中にいる彼女よりも、少し大人びた横顔が見えた。
―― ……って、カノラじゃん




