No.26 恋を殺す方法
恋が終わらない。
少しも終わってくれない。
人は『失恋した』と嘆くが、どうすれば恋を失えるのかもわからない。
この恋の殺し方を、誰か教えてくれないか。
「最優秀賞、音楽科二学年ヴァイオリン専攻、カノラ・スプリング」
コンクールの最後。順位の発表と共に、ヴィント・スノラインは席を立った。
見知らぬ人々の心を沸き立たせ、観客全員を恋に落とすような演奏をしたのだ。一位なんて当然だろう。
講堂を出たあとも、その拍手は鳴り止まなかった。
―― 本当、カノはすごいよね
こんなに心をバラバラにする演奏があるだろうか。一音一音、ヴィントは丁寧に刺され、優しく引き裂かれたのだ。
あんなに幸せそうに、全力で演奏してくれちゃって。彼女の笑顔が誰に向けられたものなのか考えると、全身凍傷になりそうだ。
―― あんな笑顔、見たことない
ヴィントにとって曲目『恋祝福』は、カノラへの恋心そのものだ。
美人ではないし、特別目立つわけでもない。それでも、一目見た瞬間に彼女に恋をしてしまった。
暗い沼から引っ張りあげられるような、激しい恋の始まり。それが少しずつ穏やかになり、ときには跳ねるように楽しくもあった。
カノラに向ける感情をすべて音にしたら、こういう曲になるのだろうと思ったのが『恋祝福』だ。
だから――彼女がコンクールの曲目をそれにすると決めたとき、どれだけ嬉しかったか。
もしかしたら、彼女の演奏を聴ける最後の機会になるかもしれない。気持ちを抑えて徹してきたご褒美に、恋祝福を贈られたのだと。奇跡だとすら思った。
最後に、思い出の曲になぞって美しき初恋を振り返るくらいのことは許されるはずだ、と。
―― それすら許されないってことか
こんなに心を乱されるなんて思いもしなかった。散らかった心を俯瞰して、このままではダメになる、と頭が叫ぶ。
あぁ……どうして恋は人を喰らうのだろう。
そんなに美味しいか? エサになってどうする。なにが奇跡だ。この恋に返報性なんてない。
カフェテリアで真っ黒なコーヒーを注文し、水面に映る自分を見つめる。それを一気に飲み干し、ついでに銀色の頭を叩いて全部リセット。
―― 予定を早めよう。それがいい
帰りがけに大きな花束を買い、カノラに届けてもらうように手配した。深い意味はない、一位を祝うだけの花だ。
カノラにもダンテにも会わないまま、スノライン邸に帰宅した。
◇◇◇
「わぁ、キレイな花束! これどうしたの?」
たくさんの人々に祝福され、カノラが帰宅したのはもう夕方だった。
スキップで部屋に戻ると、見たこともない大きな花束が置いてある。子供のドレスくらいの大きさだ。
突如出現した花畑を抱きしめながらカノラが尋ねると、使用人が得意気ににんまりとする。
「カノラお嬢様にお祝いの花束が届いたんですよ。ほら、ここにカードが」
「ヴィンくんが、わたしに、花を!? なにも言わずに帰っちゃったからどうしたのかと思ったら。ふふっ、メッセージカードがお花に埋もれてる」
白いカードをすくい上げる。
『おめでとう。カノラは本当にすごい子だね。ヴィントより』
額に触れていたかすみ草が小さく揺れる。撫でられているような感覚に、なんとなく肩をすぼめてしまう。
「ヴィンくん、今日はうちに来ないのね」
「なにかご事情があるのかもしれませんね。花束と一緒に、ダンテ様宛てに知らせが届いてましたから」
花束もカードも嬉しいけれど、ヴィントのことだから今日はお祝いディナーでテーブルを囲むかと思ったのに。
この二か月間、彼にはたくさん甘えてしまった。いや、きっと全力で甘えさせてくれていたのだろう。フォルとリエータのことをちゃんと伝えなければならない。
―― 忙しいのかしら。誘っても無理かな
ダンテ宛に届いた知らせは何だったのか。
兄の部屋の前まで行ってみると、もう一人の使用人と言い争いをしているようだ。聞き耳を立てる必要もないほどの騒がしさ。
「だーかーらー! ヴィンが週明けから行くことにしたって言うから、オレもそうしよーかなーって。予定は変更するためにあるじゃん?」
「ヴィント様は領地に滞在なさるんでしょう? ダンテ様がついていったら邪魔になりますよ」
「邪魔するために行くのに、邪魔になること気にしてどーすんだ?」
なんたる暴挙。ドア越しでも伝わる使用人のため息。吐く息でドアが割れそうだ。
「とにかく、ダンテ様は予定通り一か月後からの留学になさってください!」
留学。その言葉で、カノラはドアを開けた。割れそうな勢いで開かれたそれは、カノラの入室と共に反発してバタンと閉じた。
「お兄ちゃん、留学するの!?」
「おー! おかえり一位。優勝バンザイ!」
のん気なダンテにただいまと返事をして、カノラはすぐに問い詰める。留学なんて一切聞いていない。
「コンクールまでヴィンに口止めされてたんだよ。あ、コンクール終わったじゃん。じゃあ教えてやる」
ダンテはふんぞり返る。
「オレ、隣国ノーザランドに留学することになってっから!」
「ノーザランドって……」
祖父アゼイのオタクであり、カノラに求婚中の彼――セイルド・ノルドが頭に浮かぶ。幻の五番の件でノーザランドに渡るということだろう。
これ以上は秘密の話。使用人を無理やり下げて、ダンテにいきさつを聞く。
セイルドが帰国後、ヴィントの発案で半ば無理やり留学申請をさせられたそうだ。
ダンテの成績では申請は通らないかもという状況であったが、ヴィントの口添えでなんとかクリア。来月から卒業まで、ノーザランドの学校に通うことになっていると言う。
「留学っつーのは建て前だけどな。実際はセイルドが持ってるニセ菜の花奪還のために動く。親父たちにバレないうちに片付けて、春に帰国してオールオーバーってわけ」
「待って。わたしは? ヴィンくんからなにか聞いてない?」
「ん? 役に立たないから置いてくって言ってた」ダンテは淡々と言う。
「そう……ヴィンくんってそういうところあるよね。一周回って優しさを感じる」
身も蓋もない。ダンテのように絵を見る確かな目など持ち合わせていないし、知識もゼロ。武器はやたら良い耳とヴァイオリンくらいだ。
しかし、役立たずと言われると、どうにも釈然としない。だって、画家フークリンのときにはリエータをエサにしたはずだ。カノラだってセイルド・ノルドの弱点になりうる存在。元々はスプリング家の問題なのに、置いてけぼりなんて。
ヴィントがカノラのために奔走したように、カノラだって何かしたい。
恋が終わった心の隙間。
カノラは少しだけ頬を膨らませていた。




