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No.24 好きな人の好きな人



「フォル様、違います。リエータさんが断る理由は、ヴィンくんじゃない」


 扉から飛び出して、二人の間に入る。喉の奥から出てきた声は思っていたよりも大きくて、カノラは一度唇をきゅっと結んだ。


「カノラさん!? やだ、ちょっとなにしてるの! もうすぐコンクール始まるわよ!」


 リエータはぎょっと目を開いて、カノラの腕を掴んだ。


「リエータさん、あの話は反故にしていいって言ったのに!」


 ヴィントとの交換条件のせいだろうか。それとも、カノラとの友情のためだろうか。どちらにしても、リエータが断ろうとしている理由は――カノラだ。


「カノラ嬢、それはどういう意味ですか?」

「カノラさん、ダメよ。言わなくていい」

「僕には聞く権利があります」


 二人とも一歩も引かない様子。譲れないものがぶつかると、言葉はいつも鋭くなってしまう。フォルとリエータの声は、その色を帯びていた。


 カノラの予感は当たっていた。扉に触れる手を少しでも動かせば歪んでしまう。押しても引いても、それは変わらない。


 歪んだものを正すには、ただ真っ直ぐに心を開く。それがカノラ・スプリングだ。



「わたし、フォルさまのことが好きです」



 驚いて見開かれる彼の瞳。カノラはそれを見つめた。


「カノラ嬢……?」

「一年前のコンクールのあと、東校舎の階段から突き落とされたところをフォルさまに助けてもらったんです。それからずっと好きでした」


 できもしない告白を何度も想像した。それらが心の内側から剥がされて、音になって流れていく。


「あのとき犯人を取り逃がしたなんておっしゃってましたが、犯人を学園に報告してくれたのも、フォル様だって知ってます。強がってたけど、本当は……怖かった」


 犯人が誰かわからなくて、対処の仕方も知らなくて、学園に行くのが怖かった。大好きな音楽なのに、弦を鳴らそうとすると手が震えた。犯人が退学処分になったと聞いて、やっとヴァイオリンに触れることができた。


 こうして、今日も音楽を続けられているのは、フォルがいたからだ。


「一年間、ずっと見ているだけだった。でも、仲良くなれて、たくさんお話できて……うれしかった。すごく、うれしかったの」


 だから、わたしも味方でいたい。カノラはそう言った。


 頑張って近づいても、いつもフォルは遠かったこと。それをリエータは知っていること。悔しいけれど、今日ここで伝えられた自分が誇らしいこと。一つ一つ、言葉を選んでフォルに届ける。


「だから、リエータさんが断る理由は……わたしなんです。わたしがフォル様のことを好きだから、リエータさんは頷けないの」


 ―― 言えた。ねぇ、わたし、ちゃんと言えたよ


 言いたいことを全部言って、溜まっていた空気をふーっと吐く。肺の中を全部出し切ると、代わりに新しい空気が入ってくる。冷たくて、心地良い。


 元々下げてはいなかった顔を、もう少しあげてみる。すると、フォルは思いがけない表情を見せてくれた。


 ―― あ、顔が赤い……


 それは、秋のはじまりに見た赤色。フォルがリエータに恋をした瞬間に見せた色には負けるけど……まずまずの赤だ。


 カノラは小さく笑ってしまった。


「ふふっ、大丈夫ですか?」

「え、あぁ、えっと……なんと言っていいか」

「いえ、返事はいいんです。それより、リエータさんのことをよろしくお願いします。授業料の支払いは夕方までですよね。間に合いますか?」


 フォルはハッとして、懐中時計を取り出す。


「実は、婚約宣誓書を書いた後、互いの親に挨拶してからの支払いというのが父親に出された条件なんです。急がないと、夕方の締め切りに間に合わないな」

「婚約誓約書」


 貴族が王城に提出する婚約の書類だ。

 今日一日でそこまでいけるものなのかと、チクタクチクタク鳴る音がカノラを焦らせる。スケジュールがタイトすぎる。


「急がないと! 演奏はまた今度聴いてもらうことにして、とにかく早く婚約を!」

「そうですね。さあリエータ嬢、行きましょう!」


 片恋連鎖のオールオーバー。ゴールテープを前にして盛り上がるピュアな二人。


 しかし、フォルが手を差し伸べた先にあったリエータの顔は、その雰囲気にそぐわないものだった。げんなーり。


「ぶち壊して悪いんだけど、あたしはカノラさんに気を使ったわけじゃないわよ」

「え? ちがうの?」


 突然、ラブがコメり出す。

 彼女は指を二本立てた。


「ヴィント・スノライン、ダンテ・スプリング。この二人との可能性がゼロになるからよ。卒業後に婚約解消したところで、カノラさんの想い人を奪った女と結婚しようとはならないでしょ」


 彼女は指を一本だけにして、唇の前に持ってくる。内緒の話だ。


「実はね、ダンテ様ともいい感じなの。もう何回かデートもしてるし、恋人にはなれるかも? 後妻の件と迷ってるのよねぇ」


 最近ダンテが忙しそうにしていたのはこれだったのか、とカノラは頭を抱える。


 それにもう一つあるわ、とリエータは呟く。


「一番は、ヴィント・スノラインよ。ぶっちゃけ敵に回したくない。婚約したらハーベスごと潰されそう。なんか、あのひと怖いじゃない?」

「しゃべっちゃいけないことまで、本当によくしゃべるよね」


 リエータはふふんと笑う。

 まったくわかりにくい人だなぁと、カノラは腕を組んで、眉間にしわを寄せてみせる。


「リエータさん、意地を張らないの!」

「失礼ね。張ってるのは意地じゃなくて、欲よ!」


 なんたる欲張り女。そこでカノラはハッとする。どういうわけか、リエータはフォルの前で猫をかぶり続けていた。鈍いフォルは、たぶんそれに気づいていない。こんな打算女だと知られたら、さすがにショックを受けてしまうのでは……。


 カノラがちらりと視線を向けると、フォルは少し震えながら挙手をしていた。


「あの、整理したいんですが、僕の求婚を断る理由は……ヴィント先輩でもカノラ嬢でもなく、金だと?」

「一つ現実を知れて良かったわね」


 そうだったのかー!と、フォルは額に手を当てる。鈍感だ。


「あたし、金持ちと結婚したいの。これで愛想も尽きたでしょ?」

「尽きません。むしろ、戦い方が分かって嬉しいくらいです。無理にアイスブルーの瞳にならなくてもいいわけだ」

「は?」


 フォルはにこりと微笑む。憑き物がとれたかのように爽やかだ。とっても良い笑顔。


「僕の全てをかけて、ハーベス家の資産を増やしてみせます。いつかあなたの望むラインに達したら……そのときは僕と結婚してください」

「は? 嘘でしょ。あんた、ちょっと頭おかしいわよ。ここは愛想つかして諦めるところよ」

「諦めませんよ。どんなことがあっても、僕はあなたの味方ですから」

「ぇえ? ……キモチワルイ」


 しつこい、近づかないで、と嫌がるリエータ。でも彼女の顔は、ほんの少しだけ赤かった。フォルの赤面の、たぶん十分の一くらいだけど。


 二人はあーだこーだ言いながら、結局今日のところは婚約でもしておこうと、フォルが押し切った。ライトな婚約だ。


 カノラの方も出番ギリギリ。コンクールのスタッフが汗だくで探しにきたところで、三人はそれぞれの想いを胸に、慌ただしく部屋を出る。


「絶対に優勝しなさいよ。絶対に一位! もし二位だったら許さないからね!」


 立てられた一本の人差し指。リエータの激励を背中に受けて、カノラは講堂まで駆け抜けた。







次話、第一章のラストです。



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