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No.21 誰がための味方か


 有言実行。翌日から、カノラは押しに押された。

 

 陰に陽に、ヴィントはフォルとの時間を用意してくれた。放課後のひととき、休日のランチやショッピング。何度も二人きりで過ごした。


 告白こそ足踏みしていたが、この頃になると、フォルとの関係は同級生という枠組みを大きく越えていた。


「さすが、カノラ嬢。中庭が音楽ホールになったみたいだ」


 フォルの拍手が青空に響く。カノラは照れながらお辞儀で返す。


「最近、とても調子が良くて。フォル様が練習に付き合ってくれてるからかな」


 頬を染めて伝えれば、誰だって悪い気はしない。フォルは満更でもなさそうに笑った。


「耳に自信はないけれど、練習台になってるなら良かったよ。もうすぐコンクール本番か」

「はい、今年は一位をとってみせます!」


 カノラはヴァイオリンを一音、胸を張って鳴らす。彼は、また拍手を送ってくれた。


「優勝者は"ご褒美"をもらえると聞くけど、本当なのかな?」そう言いながら、彼は木剣を磨き始める。


「ええ、お願いすれば何でも。例えば、卒業後のデビューコンサートを確約してもらったり。あとは最高級の楽器を無期限で貸し出してもらった人もいますよ」


 王立学園の音楽科コンクール。学年関係なしに競われる名誉ある大会だ。専門家を審査員に招き、順位をつけることで成績が決定される。


 画家アゼイの孫娘でありながら、昨年のコンクールにて次席をかっさらっているカノラ。絵画については抜けているが、音楽のことなら自信がある。


「それにしても――ヴィント先輩、なかなか帰ってこないなぁ」


 中庭のベンチに置き去りにされたスケッチブックを見て、フォルは少し俯く。


「僕との約束も覚えてるんだか、どうだか。相談にはのってくれているけど……」

「約束?」

「あ、いや何でもない。ヴィント先輩が忙しい理由、なにか聞いてる?」


 カノラは少し眉を下げて、知らないと答えた。


 最近のヴィントはとにかく忙しそうだ。

 兄のダンテも同じ様子なので、きっと三学年はそういうものなのだろう。卒業まであと半年を切っているのだから。


 もう一つ、理由として思い浮かぶのは【幻の五番】の件だ。セイルド・ノルドは帰国してしまい、やりとりは兄ズに任せている。


 今はコンクールに注力してほしいとヴィントから言われているが……正直、どうにも焦れったい。


 しかし、最近のヴィントは休日のアトリエ活動もお休み中。美術準備室に行っても全く捕まらない。

 こんなに話せないのは久しぶり。水色の空に向かって、ふーっと息を吹きかけてやった。


 告白した方がいい――なんて簡単に言わないで。本当に、フォルに告白をしていいの? 今、この瞬間に、あなたが好きですと伝えても……。


「あの、フォル様――」


 ヴァイオリンをケースにしまって姿勢を正す。だが、フォルの視線は渡り廊下に向けられていた。それは、カフェテリアへと続く道。


 ―― また見てる


 誰かが通るたびに、彼の意識はそちらに奪われる。にこやかに談笑している間も、一生懸命に剣を振っている間も。カノラがヴァイオリンを弾いているときだって、ずっと。


 まるで雨を懇願する秋の枯れ草のように、彼の目尻は切なそうに垂れ下がる。


「……リエータさんを、探しているんですよね?」


 喉の奥に張り付いた『好き』の言葉をそっと飲み込んで、フォルが欲しがっているだろう言葉を与える。


 この数日で、フォルが抱えるリエータへの恋心は暗黙の了解になっていた。訊いたわけではないし、告げられたわけでもない。

 取り繕えないほどにリエータへの思いが募っているのか、それとも隠しておけないほどにカノラとの距離が縮まっているのか、そのどちらだろうか。


 残酷なフォル・ハーベスは、下がった目尻を少しあげる。カタンと小さな音を立て、木剣をベンチに置いた。


「リエータ嬢は元気かな?」

「あー……ええ、お父様の詐欺事件も闇に葬られたし、概ね元気ですよ」


 酒場の一件以来、休み時間やランチタイムなどで話すことが増えたリエカノ。

 

 リエータは相変わらずフォルに興味はなく、今はヴィントと兄ダンテへのダブルアプローチ作戦を進めているらしい。

 ちなみに、カノラがセイルド・ノルドに非常識プロポーズされたことがバレてしまい、やっかみがすごい。会うたびにチクチクトゲトゲされている。一位ってすごい。


 フォルは腕組みをしながら心配そうに空を見上げる。


「元気ならいいんですが」

「リエータさんがどうかしましたか?」

「内心はひどく悩んでいると思う。ほら、時期が迫っているから」


 フォルは背後にある掲示板を指差した。

 そこには様々な張り紙がある。コンクールの開催日、留学の募集要項、絵画市場のチラシ、マナー講習の日程。


 それらを順々に見ていき、カノラは「あ」と声をあげる。来期の授業料納付の期日だ。


「サンライト男爵の詐欺については追及しないことになったけれど、だからと言って、サンライト家が困窮していることに変わりない。だから――リエータ嬢に伝えようと思ってるんだ」

「なにをですか?」


「婚約しようって」

「こんやく」


 衝撃であごが外れた。


 突如として発せられた凶器的な言葉。いつの間にそんなことになっていたのか。ひとかけらもそんな様子を見せなかったじゃないか! こちとらセイルドからの非常識プロポーズをやっかまれた上に、ケーキを奢らされたというのに……! なんという裏切り! これだから赤髪は!


「こ、こんやく……ですか?」

「ええ、婚約です。ハーベス家も裕福な方ではないけれど、彼女の授業料を支払う余裕ならある」


 彼は、真っ直ぐに前を向いて続けた。


「父親に頭を下げたんだ。でも、赤の他人に支払うには大金だと言われてしまって。ならば、将来的に家族になるなら問題ないと思って」

「それで、こんやく……?」


 フォルは苦笑いで頭をかく。


「相変わらず冷たいし、断られると思うけどね。そういう打算的ではないところも好きなんだけどさ、ははは」


 打算的だから断られるんですよ……と言いそうになったが、ギリギリで口を(つぐ)む。よく結べる良い口だ。


「フォル様はリエータさんとの将来まで考えてるんですか……!?」

「それはまあ、好きだから当然だよ」


 好きだから当然。そんな簡単な話?

 好きだけど……必死に追いかけても現実の彼はいつも遠い存在だから、そんな夢を見させてもらえない。


 同じはずだ。

 なのに、なぜ彼は夢を見られるの。


「……どうして、そんなに? リエータさんのことを……」


 迷いのないフォルの横顔を見て、かけてはならない問いが口からこぼれ落ちてしまった。今度は結べなかった。


「理由、ですか? もちろん姿形が好みというのは大きいけど……」

「姿形?」カノラは耳をつねった。


「いえ、まあ……ははは。でも、それだけではなくて。例えば、サンライト男爵家で菜の花の絵を見たときのことなんだけど――」


 男爵の寝室でニセ菜の花を発見した日。カノラたちが帰宅したあと、フォルとリエータは二人でしばらく押し問答をしていたらしい。


 その時点で、リエータの父親が詐欺を働いたことなど、フォルの知るところではなかった。家族との関係で助けが必要なら言ってほしいとか、金銭面も相談に乗るとか、そういう話をしていたそうだ。


「リエータ嬢は頑固なんだ。必要ありません、とキッパリ断られたよ。……結局、一言も言ってくれなかったな」


 なにを、とカノラは尋ねた。


「家族の悪口」


 彼はそう言って、目尻を下げて悔しそうに笑う。口元を覆う手の隙間を、彼の吐息がすり抜ける。


「普通だったら、少しくらい責めたくなるだろう? 冷たい姉に、情けない父親。でも、それを許して受け入れてる」


 情に熱くて、優しくて。態度はツンとしているけれど、困っている人がいたら必ず味方になろうとする。彼は穏やかな声でそう言った。


 カノラも自然と頷いてしまう。酒場でのリエータの頼もしさ。あのときは必死だったけど、思い出すとちょっと笑ってしまう。


「ふふっ、ピンチのときに現れるヒーローみたいなところ、ありますよね」


 カノラはリエータの世話焼きな性格を思い出し、胸がほわんと軽くなる。


「わたしも味方になってもらいました」

「あの人らしいな」


 ……でも、と彼は続ける。


「逆に、彼女の味方になってくれる人はあまりいないと思うんだ」


 優しくするだけでは、味方とはいえない。間違っていれば諭したり、悪いことをすれば怒ったり、悲しいことがあれば一緒に泣いて背中を撫でる。


「だから、僕が味方になりたい。例え天地がひっくり返ったとしても、世界中で僕だけは彼女の味方でいたいって――なんか、そう思っちゃったんだよなぁ」


 簡単に壊れる椅子に、体重を預けてくれるわけもない。預けて欲しいなら、ひたすら頑丈になるしかない。だから――僕はあきらめません。フォルは少し恥ずかしそうにそう言った。


 味方と聞いて、カノラが一番に思い浮かべたのは両親だ。ラブアンドピースの中に厳格な部分もあるけれど、いつもカノラの気持ちを後押ししてくれる。


 それから兄のダンテ。ちゃらんぽらんで自分勝手だけど、カノラがヘマをしたときは庇ってくれる。世界にひとりだけの、どうしようもない兄だ。


 それから、もうひとり。 


 こんな風にフォルと語り合えるようになるまでの道のりで、泣いたり浮かれたり恥ずかしい思いもたくさんしてきたけれど――。


 ずっと味方でいてくれた、彼のことを思い出す。


 ベンチに置きっぱなしのスケッチブック。指先で触れると、なんだか胸がきゅっとした。


「ごめん。わけが分からないことばかり言ってしまって」


 謝るフォルに、カノラは少し笑って首を横に振った。


「いいえ、わかります。……とても」


 あぁ、悔しい。心底妬ましいし、うらやましい。そんな心とは裏腹に。


 見上げた空は絵画のように真っ青で、その中を白い鳥が気持ちよさそうに泳いでいた。

 


 



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