表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/26

No.20 ガラスの靴がなくても、きっと君を見つけていた


 セイルドの家から帰宅して、すぐに作戦会議だと思っていたカノラ。

 しかし、ヴィントが帰宅すると言うので、この日はお開きになってしまう。


 スプリング家の玄関から門までは、少し距離がある。見送りという文化を知らない兄ダンテに代わり、カノラはいつも彼を門まで見送っている。


 暖かな黄色と赤色の外灯が、ぽつんぽつんと点在するレンガ道。右には来客用の大きな画廊、左には画材置き場の割にお洒落すぎる倉庫。その奥にアゼイが使っていたアトリエ小屋がある。


 宝箱のような建物たち。それらをかき分けるように続くくねり道を、おしゃべりしながらゆっくり歩く。


「今日は怒涛の一日でしたね……疲れちゃった」

「フォルくんにクッキーを焼く予定だったのにね。セイルドから求婚されちゃうし、カノの恋愛は複雑骨折だね」

「まだ折れてません」

「牛乳を飲ませすぎたかな」


 カノラが軽く小突いて返すと、ヴィントはくすくすと笑う。「結婚してください、だってさ~」なんて、先ほどのセイルドとのやり取りをからかってくる。


 でも、門が見えてきたところで、彼はおしゃべりも足も止めてしまった。一歩も前に進もうとしない。

 なにか忘れ物でもしたのかなとか、ディナーを食べる気になったのかなとか、カノラはそんなことしか思いつかなかった。


 いつの間にか、吹く風が冷たくなっていた。秋という季節は、冬の一歩手前にあるのだと気付かされる。


「……ノルド侯爵家だけは、やめておいた方がいい……と思う」


 ぽつりと落とされたヴィントの言葉に、カノラは首をかしげる。


「え? どういう意味?」

「結婚相手の話。外国に嫁入りなんて苦労が多いし、北国は寒いし。どうするかは、カノの自由だけど」


 スノラインの領地は北の方にある。少し足を伸ばせば隣国ノーザランドだ。その寒さをよく知っているのだろう。雪がこんなに降るんだよと、身振り手振りで伝えてくれる。

 その大きく広げた腕はすぐにしまわれて、本題と思わしきことを彼は口にする。


「……侯爵夫人なんて()()、全く自由がないからさ。きっとカノは楽しめない」


 選ばれしシンデレラガール。彼はそう言いながら、たった三段しかない短い階段を下る。


「セイルドが贈るのはガラスの靴じゃない。二十四時間、氷の靴を履かされると思った方がいい」


 固くて冷たくて、きっと立っていられない。


「だから、フォルくん家みたいな――秋のひだまりみたいな家の方が、カノには合ってると思う」


 他家のことに首をつっこみすぎだね、なんて謝りながら、ヴィントは笑う。


 きっと……彼の言いたいことの百分の一だって、彼女は分かっていないのだろう。だからこそ、あっけらかんと答えられる。


「さっきの求婚はお断りです。そもそも、セイルド様が好きなのはアゼイおじい様。求婚されながらも、振られたかのような謎の感覚だもの」

「侯爵家からの求婚なのに?」ヴィントは意地悪な顔で覗き込んでくる。

「スプリングさん家のカノラちゃんは、常識知らずな子だね」

「そうかしら。あれが非常識な求婚だったと分かるくらいには、常識があるつもりですけど?」

「言えてる」


 笑い声と共に、少し風が強まる。寒いからここでいいよ、と言って、ヴィントは足早に行ってしまった。


 カノラは一瞬だけ迷った。でも、たしかに寒いし風邪でも引きかねない。コンクールも近いから、ここで屋敷に引き返そうと背を向ける。


「カノ」


 振り向くと、アイスブルーの瞳がこちらを向いていた。


「好きだ――って、フォルくんに言いなよ」


 ヴィントは張り詰めたような声で、そう言った。割れかけたガラスのような儚い声に、カノラの胸がぎゅっと痛くなる。


「でも、フォル様はリエータさんのことを――」

「だからだよ。カノの一途な気持ちを知ったらどんなやつだって絶対に揺らぐ。一度は振られるかもしれないけど、そこから頑張ればいい。まだ可能性はある」


 彼は少し眉を下げて、笑った。


「大丈夫、俺が全力で支えるから」


 彼が作るピースサインは、不思議なくらい頼もしい。でも……告白なんて――。


「じゃあ、また明日。おやすみ、カノ」




◇◇◇




「おかえりなさいませ、ヴィント様」


 黒い空を突き刺すような柵門。青白い外灯は光度が足りず、その先にあるはずのスノライン邸は輪郭すら見せてくれない。


 屋敷まで続く直線的な道。歩き慣れたそれは、どんなに暗くとも躓くことはない。侍従に報告をさせながら、ヴィントは歩を進める。


「画家フークリンの調査結果は?」

「軽く洗ってみましたが、やはり模写で生計を立てている画家のようです。ですが、本名は不明。全ての経歴を把握するとなると、もう少し時間がほしいところですね」


 侍従ランタは手帳をパタリと閉じる。


「あの男、なんか気になるんだよなぁ。出身は?」

「各国をフラフラと回っていますが、ノーザランドで間違いないかと」


 フークリン本人もそう言っていた。嘘はついていない。


「……わかった、一旦引き上げる」


 珍しいですね、と侍従は訝しげな視線を寄越す。


「実はセイルド・ノルドの方に時間を割きたいんだ。ちょっと面倒なことになりそうで。父さんと話さないと」

「先ほど帰宅されて、書斎にいらっしゃいます」


 侍従に上着を預け、その足で書斎に向かった。



 トン、トン、トン。硬い扉を三回叩く。

 子供の頃は好奇心をときめかせる部屋だったが、いつの頃からか――この扉を好きだと言えなくなってしまった。


 ここは、まるで雪を詰め込んだような部屋だ。その凍土はヴィントの指先を凍らせて、血の巡りを止める。白い吐息は、自然に呼吸ができているのか客観視するのに最適だ。


 春だろうが夏だろうが関係ない。

 スノライン家の境界線をくぐれば、ヴィントの全ては凝固される。一年中、冬深しだ。


「ヴィント、帰ったのか」

「セイルド・ノルドのタウンハウスに行っていたんだ。絵画がたくさん置いてあったよ」

「趣味が合って良かったじゃないか。良い関係が築けそうだ」


 趣味が合う。なるほど、たしかにそうかもしれない。ヴィントは小さく笑う。

 そのまま革製のソファを素通りし、大きなデスクを回って父親の横に立つ。


 彼の名前は、ロスカ・スノライン。ヴィントの父親であり、代々切れ者だと評されるスノライン伯爵家の現当主だ。


 白髪混じりの黒髪をかきあげ、眉をひそめる。その鋭く黒い瞳には、目の前の書類の山だけが映っている。


「見てくれ、息子よ。この白い山々。一向に減らない」

「手伝うよ。何の仕事?」


 ヴィントは、父親の目の前にある書類に触れようとした。


「あぁ、これは裁判資料だから大丈夫だ」 

「いつもそれ言うよね。ほかの仕事は容赦なく振るのに」

「学生にはまだ早い。罪には罰を。それを判断するには経験が必要だ。どれも軽犯罪だから問題はないよ」

「でも、なにか問題があるから睨めっこしてたんでしょ?」


 ヴィントが眉間を指差すと、父親は苦笑い。


「書類自体はサインをするだけで良さそうなんだが……。窃盗の件数が増加しているのが気がかりだ」

「あー、降雪量が平年より多い予測だから」


 窓の外を見る。王都ではほとんど降らない雪だが、スノライン領のほとんどは豪雪地帯だ。越冬するための食料は足りているはずだが、それでも人々は不安に駆られ、余所から奪おうとする。

 そういうときは実質的な対策よりも、人情的な施しの方が効果がある。


「母さんに街に出てもらえたらいいんだけど……体調が悪いもんね」

「私も動けないし、悩ましいな」


 ここ最近、母ルミアの病状が悪化し、領地の屋敷にこもりきりになってしまった。ルミアがさばいていた王城からの頼み事は、父ロスカが対応している。

 

 卒業したら、ヴィントもこの書類や悩み事の山々に埋もれるのだろう。ぼんやりと眺めながら、そのときが近付いていることを悟る。


 窓の外には、白い雪も黄色の蝶も舞っていない。ただ冷ややかな暗闇があるだけだ。


 欲は限りないから、業が生まれる。

 もう、離れる準備をしなければならない。


「……父さん。セイルドから面倒事を頼まれたんだ。本気で取りかかろうと思ってる」

「どうせスプリング家に関わることだろう。傾倒しすぎだ。もう手を引きなさい」


 冷たく、低い声。ヴィントは少し俯いて、背中の後ろで手をぎゅっと握る。爪が食い込んで、手のひらを静かに傷つけていく。


 対峙するときは、心の中で繰り返さなければならない。クマノミとイソギンチャク。欲しいなら与えろ。恩には恩を、仇には仇を。


「じゃあ、こういうのはどう? 父さんの希望通り、ノルド侯爵家ともっと仲良くなってあげる。手始めに、隣国ノーザランドに滞在しようか。ついでに領地に寄り道して、さっきの悩み事も解決しておくよ」

「ははは、大盤振る舞いだな」


 父親は余裕そうに口角をあげるが、先ほどよりも眉間は緩んでいた。ヴィントはそれを見逃さない。


「その代わり――スプリングの件は何をやろうが見逃してほしい。セイルドにも恩は売っておくし、悪いようにはしないから」


 ロスカは先ほどよりもいくらか深く口の端を上げる。それでこそ、スノライン家の跡取りだと称えるように。


「優秀な息子を持って、私は幸せ者だな。ヴィント、私はお前を信じているよ。自由も責任も、すべてはお前の手の中にある。やりたいようにやりなさい」

「ありがとう、父さん」


 理解ある親の鏡みたいな言葉。

 でも、それは銀で作られた美しい装飾品ではなく、必死に磨いただけの凝固した氷だ。


 ずいぶんと不自由な自由を与えられたものだ。そう思ったところで、思考がそれた。


 ―― どこかで聞いたフレーズ……あ、カノだ


 不自由な自由。以前、カノラが同じことを言っていた。涙が出るほど笑った出来事だったから、たしか描き留めておいたはず。今度見返してみよう。


 彼女の笑顔を思い出すだけで、じんわりと手のひらがあたたかくなる。


「父さん、やっぱり手伝うよ。もらってくね」


 自然と緩くなった頬。ヴィントは中身を確認せずに白い山々の一つを抱える。氷の上を滑るように、軽やかに部屋を出た。


 この穏やかな関係に、張り詰めた空気に、一つもひびが入らないように。


 そっと重い扉を閉めた。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ