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No.02 イソギンチャクの毒



「ははっ、カノちゃんらしいね。諦めずにがんばれ」


 頑張りたい。でも、具体的にどうすれば良いのだろう。

 そこで美しい銀髪が視界に入り、急に開ける。なぜ、今までこの人を頼ろうと思わなかったのか。


「……ねぇ、ヴィンくん。協力してくれませんか? 人生三周目ですーみたいな顔してるし、恋愛も得意そうですよね」

「まさか。人生は半周したばかりだし、恋愛は門外漢だよ」

「まだ十八歳でしょ」


 三十六歳まで生きるのを目標にしてるからね、なんて彼は冗談ばかり言う。


「そんなこと言っちゃって。()()()()()の恋愛がやたら上手くいくのも、ヴィンくんのおかげだって知ってますよ」

()()の恋愛は半年も続かないけど?」

「半年でもいいから恋人になりたいんです」


 手を組んでお願いをしてみる。

 しかし、答えは返してもらえず、彼は手のひらを向けてくる。お菓子を欲しがる子供のような仕草だった。


「俺はイソギンチャクだよ。クマノミのカノラは何をくれるの?」


 何の話かしら、と頭をひねる。そういえば、ヴィントに勧められた本で読んだような。

 イソギンチャクは毒を持ってクマノミを守る。代わりに、クマノミは新鮮な()()をイソギンチャクに届ける。


 共生――ギブアンドテイクだと言いたいのだろう。回りくどい言い方をするなんて意地悪な(ひと)だ。

 見返りですねハイハイ、と思ったところで気付く。彼の欲しいものが、わからない。


「うーん……一つだけ言うことを聞くっていうのは、どうですか……?」

「それ採用。じゃあ、この無駄な押し問答をやめてもらおうかな」彼は口の端をあげる。

「俺に見返りを求められた時点で、断られたと思った方がいいよ。じゃあね、ちょびヒゲ令嬢」


 営業終了。カラカラぴしゃり、と窓もカーテンも閉められてしまう。ガラスに映った顔には、白い絵の具がべったりとついていた。



 ヴィント・スノラインは難攻不落だ。 

 糸口を探ろうにも、彼について知っていることは三つだけ。出会って二年半ほど経つのに、圧倒的に情報量が少ない。


 伯爵令息であること。兄の親友であること。そして、絵ばかり描いていること。

 それは趣味に留まらず、『アノニマス(名もなき画家)』という筆名を使い、身分を隠して活躍する売れっ子の画家だ。


 休日はカノラの家――スプリング子爵家のアトリエに入り浸りなのに、くだらない会話しかしてこなかった。


 でも、悩みを抱えて初めて気付かされる。どうしてだか、彼の隣にいると心の内側を垂れ流してしまうのだ。彼には、そうさせる何かがあるのだろう。


 翌日の放課後になっても、カノラは恋の悩みを垂れ流し続けていた。


「――それでね、フォル様って浮ついたところが一つもなくて、すごく素敵なんです。どうやったら仲良くなれるか悩んでて。どう思います?」

「よく言葉を垂れ流す口だなぁって思う」

「聞き流すのやめてもらえます?」


 心の内側を見せたところで、彼のアイスブルーの瞳は冷たいまま。

 いつもおしゃべりしながら絵筆を握る彼だが、今日はそれを放すまで待った方が良さそう。カノラは張っていた肩肘をゆるめ、彼の手元を見る。


「今日は何を描いてるんですか?」

「猫と魚」


 なにもない空間に、二匹が寝転んでいる。まるで手を繋ぐように触れ合っていた。


「わぁ、かわいい! 芝生でひなたぼっこ? なんか魚が可哀想ですね」

「今、カノは魚を殺したんだね」

「え?」


 ヴィントは絵の上で指を滑らせ、残酷だねと言う。


「ここは水中かもしれないのに。無邪気に一方を殺しちゃうなんて怖い子だなぁ」

「これ何かの心理テスト? よくわからないうちに人間性を否定されて驚いてます」


 彼は笑いながら、絵のタイトルを入れる。No.70【相容れない、二つの存在】と。


 そこでやっと筆を置いて、カノラと目を合わせてくれた。でも、何も言わずに、また手のひらを向けてくるだけ。

 ここで間違えれば、この手のひらは即座にひっくり返され、扉の外へ追い払われるのだろう。


 だが、カノラは一つの策を持ってきていた。日焼けのない彼の手に、一枚の紙を乗せる。権利書だ。


「わたしはクマノミ。ヴィンくんには【海水】をあげます」


 【海水】――カノラの祖父、画家アゼイ・スプリングの未発表作。ヴィントが愛してやまない絵画四連作の一枚だ。

 奔放な兄ダンテの()()()()のせいで、その所有権がカノラに回ってきたのだ。


 効果抜群。四連作の名前を出した途端、彼の雰囲気が変わる。


「ふーん? 四枚すべて、カノラが所有してるのかぁ」


 事情を把握した彼は、満更でもなさそうに片眉をあげる。


「いいよ、交渉成立」

「本当!?」


 難攻不落のヴィントを落とした。カノラは手をあげて喜ぶ。ハイタッチの相手がいない……と寂しく思っていると、彼は笑ってそこに手を合わせてくれた。

 次に、また絵筆を握り、紙に文字を書き始める。器用で達筆だ。


「フォル・ハーベスとの恋に協力する代わりに、【海水】の権利書を俺がもらう」

「契約書?」

「うん、口約束は信じないし守らない主義だから」

「最低なしっかり者ですね」


 出来上がった契約書を前に、よしと気合いを入れてペンを握る。なるべく美しい文字で、カノラ・スプリングと綴った。


「それで、具体的にカノは俺になにをさせたいの?」

「えっと……騎士科は男性しかいないから仲良くなるのが難しくて……。ヴィンくんがフォル様と仲良くなってくれたら自然かなって思ったんです。あ、でも! 気が進まないなら他の方法にする!」


 一拍の沈黙。彼は権利書に視線を落とす。


「わかった。フォル・ハーベスと友人関係を結ぶ。その代わり、全くの脈無し――可能性がゼロだと俺が判断した場合は、オールオーバー(完全な終わり)。潔く諦めること。どうする?」

「当然です。そのときは諦めます」


 確かに、筋が通っている。いつまでもズルズルと友人関係を続けてはもらえない。


「それからもう一つ」


 彼は人差し指をカノラの鼻先に向けてくる。


「一応、釘をさしておこうかな。俺には恋愛感情を向けないようにね?」


 まさかの釘に、カノラは大慌てでぶんぶんと首を振る。言われてみれば、彼は女性から好意を向けられる側の人間だ。秘密の共有なんてした日には……。


「ないです! そこは安心してください!」

「それなら良かった。俺、カノと恋愛する気ないから」

「……それはどうも。こちらこそ」


 そこまではっきり言われると、少しむくれてしまう。

 彼は笑いながら、その頬を指でつついてくる。ぷしゅう、と空気が抜けたのを見て、彼もサインを入れた。


「さて、契約完了。フォル・ハーベス……だっけ? 早速、敵情視察をしようかな」


 敵。敵はフォルではなく、彼を射止めた女子生徒なのでは……。

 カノラの疑問には答えてくれず、彼はまた絵筆を握ってしまった。




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