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No.18 不自由な自由



 翌朝の王立学園。ヴィントはダンテと共に三学年の教室に入る。


 ご令嬢方は穏やかな微笑みを浮かべ、朝から噂話に花を咲かせている様子。

 しかし、ヴィントが近くを通ると、彼女たちの口は閉ざされる。一番美しく見えるだろう角度で丁寧な朝のご挨拶。彼はいつも軽く挨拶を返して通り過ぎるだけだが。


 窓際から二列目、後ろから二番目がヴィントの席だ。その後ろに、ダンテがドカッと座る。三年間、席替えもクラス替えもない。振り返ったときに視界に入る赤髪は、入学時から変わらない。


 しかし、数か月前。ずっと空席だった隣の席に変化が訪れた。北の隣国からの留学生だ。金色の髪に朝の光が反射し、少し眩しく感じてしまう。


 金、銀、赤。色鮮やかに輝く、一、二、五だ。


「やあ、おはよう。ヴィント、ダンテ。もしかして寝不足かい? とても爽やかな朝なのに、もったいない」

「セイルド、おはよ。ダンと夜遊びをしちゃってね。今度一緒にどう?」

「是非」


 彼の名前は、セイルド・ノルド。リエータ調査におけるランキング、堂々の第一位だ。


 ヴィントを抑えての覇者。彼は北の隣国ノーザランドの大貴族、ノルド侯爵家の嫡男だ。もし留学中に見初められたら、スーパーシンデレラガールになれる。


 だが、この留学の目的は、彼の婚約者探しではない。

 隣同士になったのは偶然ではなかった。ノーザランドの次世代権力者と、その交渉を一手に担うスノライン伯爵家の次期当主。親しき仲には利益有り。


「セイルドの家は、夜遊びを許してくれるんだ? 自由だね」

「はは、ダンテの家には負けるけどね」


 セイルドは斜め後ろのダンテの方を向いて微笑む。

 どういうわけか、彼は転入初日からダンテを大層気に入っていて、とにかく絡みたがる。ヴィントが毎週末スプリング家に遊びに行ってることを知るや否や、一緒に行きたいと何度も申し出ている。


 だが、ダンテはそれを了承せず、かわし続けていた。フレンドリーな彼にしては異例の塩対応と言えるだろう。

 ヴィントとしては、憩いの場が浸食されずに済んで御の字ではあったが。

 

 一校時の教本を準備しながら、セイルドは話を続ける。


「我がノルド家が自由かと言われると、そうでもないのが事実だよ。今は留学中だから誰の目も届かない」

「あー、わかる。うち(スノライン)も監視が厳しいから」

「お互い苦労の多い立場だな。プライベートで漂うヴィントの悠然さは心地良かったが……もう見られなくなるのか。もったいない」

「羽を伸ばせるのも学生のうちだけ。夜遊びもそうだし、恋愛を自由にするのも。あとは――」


 ヴィントはパラパラと教本を広げる。


「市場で見かけた絵画を大金で買ったりとかね?」


 頬杖をつきながらアイスブルーの瞳をぶつける。セイルドは一瞬だけ動きを止めたが、すぐにいつもの笑みを浮かべる。


「なるほど。市場で買った菜の花の絵は、アゼイの模写ということか。心底驚いたよ」

「予想が当たったときほど、そう言うよね」

「ははは、同感だ」

「あはは、遺憾だな」


 バッチバチだ。普段からこんな会話ばかり。ダンテは興味なさそうにあくびをするだけ。

 セイルドは全てお見通しとでも言いたげに、黒い瞳を細めた。


「回りくどいのは好まない。今日の放課後、僕の家に招待しようか。仮住まいのタウンハウスだから、少々手狭だがね」



 セイルドの趣味は絵画鑑賞だった。

 せっかく芸術大国セントステイトに留学してきたのだから、休日は美術館、画廊、絵画市場を回りまくっているのだとか。


 あの日、市場で【ニセ菜の花】を見つけたのも、その趣味のおかげだと言う。


 きっと目が肥えているのだろう。見た瞬間に、アゼイの絵だと分かったらしい。描き方は他の画家のものだったが、構図と色使いそのもの。


 画家フークリンに誰の絵なのか確認したが、無名の画家の模写だと返答を受ける。詳しく聞くと、元の絵は赤髪の男に見せてもらったというではないか。


 セイルドは「なんとなく嫌な予感がした」という言葉を使っていたが、これは彼なりの危機管理なのだろう。奔放令息ダンテの顔を思い浮かべ、その場で購入を決めたらしい。


 もちろん、何も問題がなければ自慢の絵画コレクションに加え、大切にするつもりだった。それほど素晴らしい絵だったと語る。


「だが、問題は起こるべくして起こるものだ」


 まったく手狭ではない洗礼された広い屋敷で、セイルドはそう語った。


 ヴィントは頭を抱えたくなった。どうにか堪えて隣を確認すると、ダンテもカノラも、とっても感激している様子だ。恩人だとでも思っているのだろう。


 あのセイルド・ノルドが善意だけで大枚を叩くわけもない。どうせクマノミとイソギンチャクだ。


「マジでサンキュー! セイルド、恩に着る! で、肝心の絵はどこにあんの?」


 ダンテの感謝を受け取ったセイルドは、口角をあげる。瞳の奥には愉悦の色。あるわけないじゃないか、と答えた。


「クラスメイトなのだから知っているだろう? 急遽ノーザランドに帰国が決まった。模写も荷造りして送付済み。タイミングが悪くて残念だ」


 セイルドの趣味が絵画集めというのは本当のことなのだろう。たった数か月の留学期間だというのに、右も左も廊下も玄関も絵画であふれている。スプリング家と良い勝負だ。


 絵画づくしの壁。ニセ菜の花以外の荷造りは、あまり進んでいないらしい。嫌な予感がする。

 ヴィントは分かりやすく眉をひそめた。


「セイルド。俺も回りくどいのは好まない。菜の花の絵を買ったのは、ダンの弱みだと思ったからだ。スプリング家に、なにをさせたい?」

「ほう? ヴィントにしては急くじゃないか。あの絵はとても重要ということかな。大丈夫、僕は敵ではない。……目的を話す前に、人払いを願おう」


 願われましても、初めから部外者はいない。セイルドの視線を辿ると、確実にカノラに向けられている。たぶん侍女だと思われている。


 カノラの着ているワンピースが紺色だったのも悪かった。


 放課後、ヴィントとダンテはスプリング家に急いで帰宅。音楽科はコンクール前の短縮授業だったらしく、彼女は練習を終え、フォル・ハーベスに渡すクッキーを作ろうとしていた。着用していたのは、汚れの目立たない紺色のワンピース。


 そこでダンテに引っ張られ、着のみ着のままここに連れて来られてしまったのだ。


「侍女の君、退室をしてもらいたいんだが」セイルドは煩わしそうに前髪を軽く払う。


 そこで勘違いに気づいたダンテは大笑い。


「わりぃ、紹介してなかったな。こいつはカノラ。よく間違えられるんだけど、侍女じゃねーから、ははは!」


 セイルドは目を丸くして、珍しく慌てた様子を見せる。サッと立ち上がり、カノラの前に跪いた。唐突な紳士だ。


「レディ、失礼いたしました。彼らのご友人だったのですね。カノラ嬢とお呼びしても?」

「おおおやめください! わたしはしがない子爵家の人間ですので、お気になさらずに!」

「子爵家?」

「は、はい。二学年のカノラ・スプリングと申します。いつも兄がお世話になっております」

「え……ダンテの妹君?」


 セイルドの目が大きく見開かれる。ダンテとカノラの間で視線を往復させ、急に黒い瞳が輝き出す。ギラッギラだ。熱っぽい吐息で、金色の前髪がふわりと浮いた。


 ヴィントは、とうとう頭を抱えた。

 この片恋の連鎖に、セイルド・ノルドが参戦するなんて。





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