No.17 嘘を添えて
「おいヴィン! すげぇな、見ろよ!」
上擦った声でリエータを指差す親友。また始まった、とヴィントは苦笑いで答える。
「逆に猛々しさを感じるのはなぜだろう」
「相変わらずエロ気に強ぇやつだな。さては尻派か?」
「指派かな」
ダンテは「むっつり野郎め」と称えてくれた。
「なぁ、リエータちゃんにマジになってもいい? めっちゃタイプなんだけど」
「今はフークリンに集中。終わったらダンの好きにしていいから」
「へーへー。協力しろよ?」
「……はいはい」
敏腕キューピッドのヴィントは、トリプルブッキング達成だ。
同席していた女性たちを追っ払い、画家フークリンを注視する。リエータの隣に座り、何か会話をしているようだ。
気がかりな点は、カノラだ。フークリンがリエータに触るたびに、払いのけたり遮ったり。ド真面目が大爆発している様子に、ヴィントは小さく笑って立ち上がる。
「ダン、行くよ」
「がってんしょうち!」
胸だの指だのくだらない会話を交わしながら出入口に近づく。さも、今気付きました~という表情で、彼女たちに声をかけるのだ。
「あれ? カノ?」
「え!? ヴィンくん……!」
「偶然だね。久しぶり」
「う、うん。ヒサシブリ~!」
先ほどぶりだ。
「あら、二人はもう帰るところ? せっかくだし、少しくらい話しましょうよ」リエータは手招きをする。
そこでヴィントはフークリンに遠慮がちな視線を向けた。
女の子を口説いてるときに別の男が現れる。苛立つのか、無視するのか。観察していると、しかし、フークリンはグラスを掲げた。
「一緒に飲もうぜ、兄弟! リエカノちゃんを独り占めしてたら店中の男に睨まれちゃうしね」
入店からたった三十分、リエカノという謎の名前がつけられている。なるほど、ダンテと酒場で出会ったというのも頷ける。気が合うわけだ。
リエータ、フークリン、ダンテ、ヴィント、カノラ。この順にぐるりと円卓を囲む。
乾杯を済ませると、フークリンは首を傾げてダンテをまじまじと見た。
「その夕焼け色みたいな赤髪……覚えがある。前に飲んだことあるよね? ほら、五軒先にあるデラウェア色のランプの店。個室の酒場。覚えてない?」
「あのときの画家の兄ちゃんか!」
「それそれ! そっかぁ、会うのは二回目か」
フークリンは少し眉を下げて、リエータを見る。だが、すぐにパッと顔を明るくして、話題は絵画【菜の花】へと移る。
「あれは、本当にいい絵だった! いやー、その節はありがとう。結構稼げたよ」
稼いだというフークリンの言葉に、リエータの眉が僅かに歪んだ。ヴィントは彼女に細かい事情を伝えていなかった。だが、ここでも傍観を選ぶ。
酒場の円卓を囲む五人。最も恐れるべきは、あの菜の花の絵画が、実はアゼイ・スプリングのものだとフークリンにばれることだ。リエータに知られたところで、絵は消去済みなのだから後の祭り。
円卓で交わされる視線など知らずに、フークリンは陽気に話を続ける。
「あまりにキレイな絵だったから、その場で簡単に模写させてもらったんだ。完成品の二枚を売ったら、高値でウハウハ!」
「ちょーい待て。オレは許可してねーんだけど? 大体、模写する時間なんてなかっただろ」
フークリンは悪い悪いと謝りながらも笑う。
「きみがうたた寝してる隙に、ササッと構図だけ頂戴したんだよ。色彩は見たら覚えられるし」
「寝てたっけ?」
「五分くらいね」
「短っ!」ダンテはあんぐりと口を開ける。
「ははは! 模写は大得意なんだ」
彼はチキンステーキを美しく切り分けながら、自慢げに話をする。
「前に事件を目撃したときなんか、ドンピシャの似顔絵を描いて騎士団に表彰されたこともあるよ」フォークをくるりと回し、チキンをぱくり。
「模写を悪用したわけじゃないし、セーフってことでいいかな、赤髪くん? ははは!」
「セーフじゃねーわ! 笑いごとじゃねぇからまじで!」
奔放な男共の言い合いを聞きながら、ヴィントはフークリンの所作を見ていた。視線、瞳孔、呼吸の仕方。嘘はなさそうだ。
一つだけ感じた矛盾は、ナイフの使い方が妙に洗練されている点。器用なだけだろうか。
―― だからって、短時間で色彩をトレースできるか?
真作と偽物の菜の花を比べると、確かに構図に違いはある。だが、色彩は完璧だった。ヴィントでもそんな芸当はできない。
さり気なく聞いてみると、フークリンの筆名はコンクールの上位でよく見かける名前だった。
しかし、彼は頬杖をついて不満そうにする。
「コンクールで三位になっても、オリジナルの作品は売れないんだよ~。悲しいかな、模写で食ってるってわけ」
「三位の実力ならファンもいるんじゃない? 画家アノニマスは、コンクールで注目されて売れたらしいし」
アノニマスであるヴィントは、そう言いながらグラスに酒を注ぐ。透明な隔たりの向こう側で、パチパチと気泡が弾ける。フークリンは一瞬だけ眉をひそめた。
「それが一位と三位の差ってやつだよ」
テーブルの中央にある赤いランタンが、彼の黒い瞳を照らした。
嘘はついていない様子だが、本当に模写は二枚だけなのか。新しく複製は可能なのか。確かめなければならない。
もし本当に二枚だけなら、そのうち一枚をリエータの父親が購入したことになる。もう一枚の購入者を聞き出し、ニセ菜の花を消去すれば解決だ。
さて、どうやって聞き出すか。こちらの真意に気付かれないように、建て前を用意しなければならない。
ヴィントはテーブルをトントンと指先で叩く。
フークリンはそこに残る絵の具に気付いたようだった。初恋が染み込んで取れないように、爪の隙間や皮膚に染み込んだ色もなかなか取れない。
「もしかして、きみも絵を描く人?」
ヴィントは頷いて肯定する。
ついでに、嘘を添えて。
「実は……あの菜の花の絵、俺が描いたものなんだ」
隣に座るカノラの口が開いていた。驚きすぎだ。
同様に、フークリンも目を丸くする。
「きみが、あの絵を……? 画家仲間だったのか」
「無名だけどね。画家と言えるかどうか。こんなことになっちゃって……胸も張れやしない」
ヴィントは悲しげな表情を作ってみせる。明るかった雰囲気が急に湿度を帯びはじめ、フークリンは不思議そうに首を傾げる。
「え、なにこの空気。どうした?」
「あの絵、大切な人のためだけに描いたんだ。まさか模写されていたなんて知らなくて……」
肩を震わせ、ショックで俯いている風を装う。その並々ならぬ哀愁に、フークリンは慌てて謝罪を口にする。
「ご、ごめん! でも模写だし! そこまで重く考えなくても――」
「俺が死んだら棺桶に入れて、天国にいるエルビウムに見せようと思ってた」
「棺桶」
天国にいないエルビウムも口を開けて驚いていることだろう。ちなみに、ヴィントの母親が領地で飼っている愛犬の名前だ。元気な黒毛の雄。名前の由来は、母親の好きな作曲家だそうだ。
ヴィントは思い出を語る。息を引き取った日の悲しみだとか。庭に墓を作って毎日お祈りをしているのだとか。
「模写なんて……エルビウム、悲しむだろうな」
その呟きが、ズドーンと落とされる。かつて賑やかだった円卓は、今ではしめやか。周囲の喧騒が遠く感じる。
少し考えれば嘘だとわかりそうなのに、ダンテやリエカノも泣きそうになっている。ちょろすぎて心配になる。
うっかり思いが募っちゃったらしく、ダンテはフークリンの胸ぐらを掴みながら声を荒げる。
「あの絵を持ち出したオレが悪かった。模写を買ったやつの名前を教えてくれ! そいつから買い取る! 本当に模写は二枚だけか!?」
「ああ、誓うよ」
「……でも、描こうと思えば描けるんだよね?」
ヴィントが核心を突くと、フークリンは首を横に振った。
「いや、構図の下絵を捨てたから描けない。そもそも一枚の絵から二枚しか複製しないって決めてるし」
決めている、とはなんだろうか。ヴィントは眉を歪ませ、続きを促した。
「あー、ごめん。わかんないよね」
フークリンは嘲笑する。凡人には、と言いたいのだろう。
そして、ピーナッツを一つ、二つ、と口に放り込む。三つ目は――触れようとしない。よく見ると、ローストしすぎたのか色が悪かった。
そのまま水で流し込み、彼は頭を下げた。
「本当に申し訳なかったよ。心から謝罪する」
「きっと許してくれるよ(犬だし)」
ヴィントは仕方なさそうに微笑んで、模写の購入者を問う。
フークリンははっきり答えてくれた。一枚目を購入したのはサンライト男爵だった、と。
しかし、二枚目ついては名前を聞いていないという。絵画市場で絵を並べてすぐに「売ってほしい」と声をかけられ、即金で買ってもらえたらしい。
フークリンは視線を左上――ちょうど窓から見える月を見ていた。
「あれは……貴族の坊ちゃんだな。オレは隣国ノーザランドの出身なんだけど、たぶん同郷。シャンパンみたいな金髪に、カラスの羽みたいな黒い瞳をしていたよ」
瞬間、ヴィントとダンテは目を合わせる。
ノーザランドの金髪黒瞳。栄えある一位を思い浮かべていた。




