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No.10 見つめていたい



 この日はフォルとの護衛デート日で、学園は休み。


 ここで一歩踏み込もうと、カノラは早起きをしてサンドイッチを作る。スプリング子爵家のダイニングに、赤、黄、緑の美味しそうな色彩が並ぶ。


「いーちにーいさんどいっち~♪」

「美味しそう」

「味見しますか? ――ぎゃ!」


 手に持っていた一口サイズのサンドイッチをパクリと食べられる。触れた唇の感触に、なんだか妙に焦ってしまう。


「ヴィンくん!」

「絶品」


 一言でほめ殺し。味は良かったようでホッとするが、指先に残る感触は穏やかではない。

 彼の距離感は少し特殊で、時折こういうことをする男なのだ。髪を結ってあげるからといじられたり(異常に上手い)、会話をするときはやたら顔が近かったり。


「今日も綺麗だね。四六時中、見つめていたい」


 さらに、こんな甘い言葉を聞かされることもあるが、勘違いなんてしない。彼の興味も視線も、カノラに向いていないことくらい知っている。

 

 ヴィントの全ては、向かい側の壁――いや、()()()()に奪われる。画家アゼイ・スプリングの四連作だ。

 

 向かって右側から順に【深雪】【満月】【海水】【菜の花】――美しき四枚。

 深雪は雪、満月は闇夜、菜の花は花弁、海水と聞くと青を想像するかもしれないが、描かれているのは夕日に染められた赤い海。


 彼はいつも愛おしそうに、それを見つめている。

 だから、カノラは【海水】を譲渡した。


 元々、四連作は兄ダンテが受け継ぐはずだった。

 ダンテはアゼイ譲りの青い瞳を持っており、その鑑定眼は父親でさえ舌を巻くことがある。生業の種として幼少期から全てを叩き込まれているのだが――とても奔放だ。以前、四連作を売ろうとして、父親から大目玉を食らっている。


 一方、カノラは絵画に全く興味がない。それは音楽の方へ向いてしまい、難関である王立学園音楽科に進学している。

 絵の管理はできないし、四連作も『立体的な壁紙があるなぁ』くらいに思っている。


 カノラの父親は、それはもう悩んでいた。

 そして、『将来的に、四連作はヴィントに渡す』と決めた。


 これはカノラが提案したことだ。ヴィントがかける四連作への愛も見てきたし、毎週末スプリング家に入り浸り、ダイニングには彼専用の椅子まで置いてある。

 一旦はカノラが所有権を持っているが、『彼が卒業して一人前になったときに譲渡してほしい』というのが父親の意向だ。


 恋は人を性悪にする。カノラは父親に黙って、ちゃっかりとヴィントのエサにして恋の協力を得ているわけだ。心は痛むが、なりふり構ってなどいられない。


「本当に四連作が好きですよね」

「好きっていうか、愛してる」

「ふふっ、おじい様も嬉しいでしょうね。今日もアトリエで描くんですか?」

「カノちゃんこそ、今日はフォルデーでしょ?」


 フォルとデートのことだ。今日は初めてヴィント抜きで会うことになっている。


「はい、今日はピクニックにお誘いするつもりです」

「ピクニック?」彼の眉が大きくゆがむ。

「色々とお花畑だね。フォルくんは護衛のために来るんだよね?」


 カノラはヴィントとサンドイッチを交互に見て、ハッと気付く。


「言われてみれば! 護衛でピクニックなんて変ですね」時計を見る。

「やだ、大変。もうあと三十分でフォル様が来ます。これだから調子にのるとロクなことがないのよね……恋って難しい」


 悟っちゃったカノラの横で、ヴィントはニコリと微笑む。助けてあげようか、と彼は優しい声で囁いた。



 声は優しくとも、性格は優しくない。

 サンドイッチを詰めて訪れた先で、カノラの瞳は暗くなり、フォル・ハーベスの瞳が輝く。このままヴィントを胴上げでもしそうな勢いだ。


「サンライト?」カノラは表札を読み上げる。

「ここリエータさんの家ですよね?」

「接触するって予告してたでしょ。敵の敵は味方かもしれないからね」


 この場合、敵は誰なのか。もはやカノラには分からなかった。


 アポなし訪問かと思いきや、実はお呼ばれしていたらしい。しかも、家族も不在の様子。おじゃま虫がいなければ、こちらも二人きりだったということだ。

 巻き込まれたのだと知って、カノラはじろりと睨んでみる。ヴィントには、ふわりと笑って返されるだけ。そういうところだ。


「ようこそいらっしゃいました。ヴィント様にお会いできて嬉しいです」


 応接室に通されてすぐ、リエータはヴィントの隣を陣取り、彼の腕にまとわりついている。


 いつの間にか『ヴィント様』と呼んでいることに気付いたカノラは、紅茶をこぼしそうになった。距離の詰め方がえげつない。

 フォルは貧乏ゆすりをしながらヴィントを睨む。


 しかし、ヴィントはリエータの手を払いのけなかった。紅茶の湯気立つ白い陶器から、ゆっくりと口を離すだけ。


 応接室に漂う、湯気と静寂。

 そのうちフォルは貧乏ゆすりをやめ、カノラは足をそろえて座り直す。いつの間にか、リエータも彼の腕を放していた。


「さて、話そうか」


 ヴィントはいつもの声で、そう言った。


「サンライト男爵家でお困りのことがあると聞いてね。どうだろう? ここには貴族三家が並んでいる。何かあれば話くらいは聞けるよ。……何かあれば、だけどね」


 ―― ヴィンくんって、外だとこういう感じなんだ……


 膝に置いてあるサンドイッチのバスケットをぎゅっと抱える。なるべく小さくなろうと肩をすぼめた。

 対照的に、フォルは背筋を伸ばして大きく身を乗り出す。


「僕も力になります」


 語気と視線に熱がこめられている。

 ところで、今日のリエータは罠感満載のワンピース姿だった。胸元の色気がすごい。恋敵のスタイルが良くて、カノラは余計に小さくなってしまう。


 フォルの視線がうざったいとでもいうように、リエータは首を横に振った。


「他家の方にご相談差し上げるような内容ではありませんので」

「理解しているよ。他言しないと約束する」


 ヴィントの声は、とても静かだった。そう、カノラは穏やかな彼の声にいつも絆される。いつの間にか心の内側を垂れ流してしまう。リエータもきっとそうなるだろう――カノラだけが特別ではないのだから。


 思った通り、リエータはすぐに口を開いた。


「スプリング家の方もいらっしゃることですし……他言しないとお約束していただけるなら」


 腹違いの姉には冷たくされることもあるが、引き取ってくれた父親は優しく、彼女自身は困っていないらしい。困っているのは、リエータの父親の方だった。


「お父様は商売貴族なのですが、先月に偽物の絵を購入してしまったのです」

「贋作……か」ヴィントは呟いた。


 サンライト男爵当主は、著名な画家ドワルコフの絵を購入した。誰が見てもため息をこぼすような素晴らしい一枚だ。


 しかし、客に売ろうとしたところで、贋作だと突き返されてしまう。お得意様だったはずの客が騒ぎ立て、噂が出回ってしまう。

 父親は商才に乏しく、借金がかさんだ結果、来年度の授業料も見通しが立たないそうだ。リエータはそう語った。


 カノラは冷めてしまった紅茶に口をつける。ティーカップに小さく入ったヒビを見て、初めて理解した。あのランキングノートの目的は、資金繰りと信頼回復ができそうな嫁ぎ先の洗い出しということだ。


 フォル・ハーベスの家は騎士の家系だが、社交界では目立たず、慎ましい家柄だと聞く。

 出回った噂を権力でねじ伏せるのであれば、ヴィント・スノラインの方が断然強いはず。金持ちだし。

 権力こそないが、信頼回復に重きを置けばダンテ・スプリングもかなり強い。なにせ絵で食っている家系だ。


「なるほど! だからヴィンくんが二位で、お兄ちゃんが五位……むぐ」

「カノラさん、お菓子はいかがですかぁ?」


 クッキーを突っ込まれ、カノラは口をつぐんだ。危なくフォルが誘惑されるところだった。ごくり。

 渦中のフォルは気づかぬ様子で、腕を組んで唸る。


「贋作事件ならば、騎士団に通報した方が良い。もしよければ僕が持ち帰って、父に相談を――」

「他言無用だと約束しましたわ」リエータは釘をさす。

「通報するということは、私の父が無能だと知らしめることになります。まあ……正直、無能なんですけど……コホン」

「しかし、このまま泣き寝入りだなんて」


 フォルは正義感の強い人だ。階段から突き落とされたカノラを助けたように、リエータのことも助けたいのだろう。

 だが、正義だけが正しいわけではない。リエータはそっぽを向く。このままだと本格的にフォルが嫌われてしまうかもしれない。


 カノラはどうしようかと悩むが、頼りのヴィントは窓の外を見ているだけだった。どう好意的に見ても、ぼーっとしている。


「ちょっとヴィンくん!」

「……はいはい、めんどくさいなぁ」


 彼は銀髪のえりあしを掻きながら、立ち上がった。


「ムダな言い争いはそこまで。まずは画家ドワルコフの贋作とやらを見せてもらおうか」


 戒めのためにと、サンライト男爵の寝室に飾られた贋作。男爵本人は不在だったが、見るだけだと約束をして寝室に入れてもらう。


 絵のことになると楽しそうにするヴィント。吸い込まれるように一番乗りで部屋に入っていく。

 だが、彼はすぐに足を止めてしまった。真後ろにいたカノラは、彼の背中に鼻をぶつけてむぎゅっと鳴く。


「痛っ。ちょっとヴィンくん、急に止まらないでくれます?」

「……カノラ……」

「はい?」

「なんだよ、これ」


 彼の掠れた声を聞いて、胸がざわつく。


 寝室の壁を見て、息をのんだ。

 そこに飾られていたのは、ヴィントの愛する四連作――【菜の花】だった。



 


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