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【短編】 怪我 が よくなりますように

作者: そろまうれ


文芸部でグダグダにしていた日のことだった。

台風が近づきつつあるおかげである程度は涼しいけれど、それでも夏の余熱を十分に保ち、部室棟はさながら低温調理されているかのようだった。


そんなグダグダの時間を潰すように、先輩は言った。

好きだった人が、よく階段を昇っていたと。


それは、流れる汗をごまかすための、何でもない話題提供だったのかもしれない。

地味な暑さと湿気が絶えずこっちの神経を削いでた。


普段であれば、この部室にもクーラーはついている。

けれども今は夏休みで、本当ならこの部室棟には入ってはいけない時期だった。


ただ、たまたま、つい偶然にも、私が部室の合鍵を作成していたので、侵入してしまっただけだ。

いつも使ってる部室に行こうぜ、無料で使いたい放題だ、と提案したときには、とてもいいアイディアだと思った。


まさか電源が入っていないとは思わなかった。

クーラーの偉大さが身にしみてわかる。


それとあと、ここまで大自然が人間嫌いだとも思ってなかった。もうちょっと加減しろ、太陽。


遠く校庭の方では、文明の利器がまったく設置されていない状況で、運動なんていう自殺行為を行っている愚か者共の声がしていた。

私達が来たときには、無かった声だった。


彼ら運動部に私達の姿を目撃されたら、余計な噂が立てられる。

特に運動部顧問の規則大好き横暴教師に鍵をこっそり作ったことがバレたらことだ。


だから、こんなクソ暑い中を耐えて部室にこもっていた。

無駄に声を張り上げる連中がいなくなるまで耐えなきゃいけない。


「階段上りが好き……ずいぶん変わった趣味の人ですね」

「ああ、まったくだ。どうして惚れていたか、我ながら不明だ」

「へぇ……」


その姿を見かけたのはたまたまだったらしい。

朝方、まだ気温が上がるより前、先輩が習慣として走っている最中に、ふと見上げると人影があった。


その人影は、階段を下りていた。

九階建てマンションの、だいたい八階くらい。

わざわざ階段を使う健康的な人かと思ったが、知っている人だった。

見知った栗色のボブカットと、真っ赤なシャツに骸骨柄という個性的な服装が揺れていた。


「いまはもう卒業してしまった人で、運動好きの運動部嫌いの人だった」


きっと難儀な性格だ。

だからこそ文芸部なんていう正反対の部活に在籍していた。


その先輩は暇を見つけては身体を動かしていた。本質的に運動という行為そのものが好きらしい。

私にはまったく理解できない価値観だ。


「効率的な体力強化ですか、と聞いたんだが、否定された」


その先輩――立基たちもと先輩が言うには、この階段昇りは癖みたいなものなのだという。


「どういうことです?」

「俺も訊いたよ、ただ、マンションと、そこについている階段を見ると、気になってしまうんだそうだ。特に知り合いの住んでいるマンションだと抑えが効かない」

「階段マニアですか」

「そこに箱がないかどうか気になって、つい昇ってしまうらしい。ちょっと目立つと思うんだが」


原因は、立基先輩がまだ子供だったころに遡る。

友達の家から帰る時、立基先輩が水泳大会で入賞し、その友達が一位だったお祝いの帰り、エレベーターを使わず階段で下りたことがあった。

それはただの気まぐれで、特に理由のない行動だったが、八階の外扉を開いてすぐ前の踊り場に、箱があったのだという。


「箱、ですか?」

「ああ、とても小さな、それこそノートすら入らないくらいの大きさで、高さもそんなになかったそうだ」


木製の箱だ。

片手で持てるほどのそれが、ガムテープでぐるぐるに巻かれていた。

明らかに新品の、どこかで買ったばかりという風の箱が、入念に、乱雑に封じられていた。


「誰かの落とし物、って話でもないですか」

「ガムテープぐるぐるだしな、一番ありそうなのはゴミを運んでる途中で落としたとかだが」

「どちらにせよ、面倒なシロモノですね」


階段途中にある箱、しかも封印されているもの。

ゴミ扱いすべきだけど、そんなものをわざわざ持って一階まで下ってゴミ捨て場に放るのは、善意の労働基準を越えている。


私なら蹴っ飛ばして終わる。


「うん、先輩もそう判断して、結局は元に戻して下りたそうだ」

「いい判断です」

「けど、気になった。家に帰ったその後でも、それが何か、ずっとひっかかった」

「というと?」

「ほんとうにゴミだったのか、それとも違うものだったのか、ひょっとしたら、誰かの大切なものだったんじゃないか、無くして困っているんじゃないか、そんな風に考えてしまった」


見たのは僅かな時間。すぐに放って下りたのに、頭の片隅にへばり付いた。

乱暴に、ぐるぐるに、ぜったいに他の人に見られないようにしてある箱、そこには、一体なにがあったんだろう?


「気にし過ぎじゃないですか」

「きっと大したことじゃない、だけど、無性にたしかめたい、そういうことってないか?」

「ありますねえ」


だから先輩は次の日の朝早く、太陽が昇ると同時にそのマンションへと向かった。

今度は友達に会うためじゃなくて、箱を確かめるために。

知り合いに、特に友達とその親に見つかったらどうしようかと思うと、エレベーターは使えなかった。

鉢合わせになったら、なんて説明すればいいか分からない。


慎重に、あまり音を出さないように階段を昇った。

昨日は何気なく下りた場所を、今日は緊張しながら上る。


当たり前の階段、当たり前の手すり、当たり前の踊り場、その繰り返しを何度も何度も行い、息が上がるほど疲れた頃に、ようやく八階の、見かけた場所へと着いた。


「そこには、箱はあった。けど、ガムテープが無かった」

「……どういうことです?」

「先輩にもそれは分からなかった。ただ、現実として封のない箱がそこにあった。先輩の到着より先に誰かがそれを剥がした、そう判断するしかなかった」


その誰かは、立基先輩のような第三者なのかもしれない、あるいは、この階の住人である友達かもしれない、あるいは――


「その箱を置いた人がそうした、って可能性もありますね」

「かもな。その場合、どうして箱を置いていったか、って疑問も出る。だって、その周囲にガムテープなんて無かった。剥がしてポイ捨てじゃなかったんだ」


どちらにせよ、その箱は、開けられる状態になっていた。

朝日に照らされたそれは、本当にただのゴミに見えた。


「まあ、小さな箱が放置されてるだけなら、そう見えますよね」

「だから、何気なく開くことができたそうだ」


今思うと無用心だったかもね――

立基先輩はそう言った。


開けた箱には、大したものは入っていなかった。

一枚の折りたたまれた紙と、ストローくらいだ。


やっぱり、ただのゴミだった――


安堵して、紙を開いて、思わず息を飲んだ。

そこには、立基先輩の名前が書いてあった。


左上にぽつんと立基マキとあり、ノート右下にさらに小さく書かれていた。


 立基マキさん の 右足首 の 怪我 が よくなりますように


そんなボールペンとシャーペンで書かれた文字が、あった。


立基先輩は、何度もまばたきして困惑した。

名前もそうだが、その内容に対してもだ。


その時、彼女は怪我なんてしていなかった。

仮に以前に書かれたものだったとしても、その心当たりすらなかった。


なのに、名指しで祈られた。

怪我がよくなりますように、と。


じわ、と嫌な予感がにじんだ。


「……ひょっとして、嫌な話をしようとしてます?」

「しようとしている。箱には他にストローもあった、それは、立基先輩が使ったものだった。ストローをつい噛む癖があるから、判別がついた」

「……どこで使ってたものなんでしょーねー」

「もうわかってるだろ? その友達の家で使ったストローだった。よく見れば、髪の毛も一緒に収められていたそうだ。彼女の、その当時はまだ長かった栗色の髪の毛も」


反射的な嫌悪感が襲った。

自分が捨てたものを、変なことに使われた、そういう嫌悪だった。


同時に、不思議にも思った。

友達とは、水泳で競い合う仲間だった。

実力は伯仲していたが、大会では常に立基先輩の方が上回っていた。彼女は緊張という概念とは無縁であり、いつも通りの実力を発揮できたからだ。

一方でその友達は逆、緊張のあまり大会でいつものような実力を出すことができなかった。


二人共によく入賞していたが、いつでも台の更に上には立基先輩がいた。


だから、祈った?

右足首が『よくなりますように』と。


そう、これは――


「当たり前だけど、怪我を治すためには、前提として怪我をしなきゃいけない。これ、遠回りだけど『立基マキが怪我するように』という呪いの文章だった」

「まじで嫌らしいですね、ぱっと見では、善意の言葉にしか見えないところが特に」

「けれど実際、先輩は調子を崩し、その友達は一位を取った」


こんなことを誰がしたのかと、彼女は思った。

誰が自分を、立基マキを呪ったのかと。


最初はその友達だと思った。

けれど、おかしい。


文字がしっかりしすぎている、こんな箱を見えない場所に置くような性格だとも思えない。何より昨日の大会で「珍しく緊張しなかった」と笑った友達の顔は嘘には見えなかった。


だとしたら、ストローを回収し、立基マキの髪だけを選別し、真新しい箱を買い、それらを封じて『オマジナイ』をしたのは。


「友達のお母さんだった。そう考えるのが妥当だった。大会直後に言われた「今回は残念だったわね」という言葉が、まったく違った意味で思い返せたそうだよ」

「自分の娘が、一位になれない。だから、ちょっとした呪いを立基マキさんにかけた? なんというか、せせこましいというか、非科学的ですねえ」

「かもしれない、けど、実際にやられたら嫌だろ」

「それは、まあ」

「あと、さっきも言ったが、この話ってヘンなところがあるよな?」

「どこです」

「どうして、箱があるんだ? 呪いにせよオマジナイにせよそれは達成された。なのに、半端にガムテープを剥がして、同じ場所に放置されている」

「それは……」

「偶然じゃない、とその時の彼女は思った」


昨日、家から出る時、友達と一緒にその母親にも見送られた。だからエレベーター側ではなく、その反対、箱のある階段側へと向かったことを知ったはずだ。

箱が、見られたと、分かった。


立基マキは思う。

友達の母親は、それを知ってどうしただろう?


きっと自分と同じように朝早くに起きて、確認しに行ったに違いない。

そこに、まだ箱がまだあることを確かめ、同時に、動かされた形跡があったことも理解した。


彼女は、いそいでガムテープを外した。

その場で片付けなければならなかった。

家の中でやれば音が出る、すべてを秘密裏に行わなければならない。『ガムテープでぐるぐる巻きにした箱』なんてものは家族の興味を惹いてしまう。


そうして外で作業をしている最中、音が聞こえた。

階段を昇る音だった。

住人の誰かかと思えば、止まること無く昇り続ける。

なにより、なるべく音を出さないよう、こっそり上がっている。


自分が――立基マキが、箱を見に来たのだと、分かった。


「その時その母親には選択肢があった、一番はガムテープごと箱を持ち去ることだった。だが、ガムテープだけを回収して、箱だけをその場に置いた」

「なんでです?」

「さあ、わからない。ただひょっとしたら、思い知らせたかったのかも」

「なにを、って、ああ……」

「お前は、こんなにも嫌われているんだ、ってことを」


そこまで思い至った上で、立基マキは立ち尽くした。

階段は外から丸見えだ。

プライバシーを守り、余計な汚れを入れないためにも、階段と廊下は鉄製の扉で区切られている。


そこを、その鉄扉の向こうを、立基マキはじっと見た。

箱をまだ手にしたままで。

誰かがそこから、こちらの様子を窺っている、そう思えた。

ずっと、ずっとそうしていた。


立基マキが箱を持ち上げ、その中を確認し、折りたたまれた紙を広げたその動作まで。

あるいは、そこに書かれた文字を見て、ちいさく息を飲んだ音でさえも。


彼女はそっと問いかけた、「いますか?」と。

その鉄扉に向けて。


返答はなかった。

だが、たしかに聞こえた。


 あらぁ


そんな無邪気で、悪意に満ちた、ちいさな声を。


「次の瞬間には先輩は、階段を駆け下りた。あの時に転んだりしなかったのは、半ば奇跡だと言っていた」

「うわあ……本気で嫌な話じゃないですか」

「子供の頃にやられたら、まあ、ちょっとしたトラウマになるよな。友達の親に呪いかけられるレベルで疎まれてたとか」

「それもそうなですけど、んー、別の意味でもこれ、嫌な話ですよ」



 + + +



「どういうことだ?」


額から汗を流したまま言った。

私は名探偵よろしく指を振って答える。


「わかりませんか?」

「ああ」

「これ、二重三重にかかる『呪い』の話なんですよ」

「お前、非科学的だとかなんだとか言ってなかったか?」

「私は超常現象としての呪いは信じていません、しかし、呪いはあると思っています」

「意味が分からんぞ」

「呪いとは、情報の伝達です。それも言葉や文字が少なければ少ないほどいい。とても古い伝え方だからこそ、人は本能的にそれを受け取ってしまうし、そこに意味を見出すのです」

「ふむ……?」

「ピンと来ませんか、先輩は人がいいですからねえ」

「馬鹿にされている気がするんだが?」

「立基マキさんです、彼女は、どのように呪われたと思いますか?」

「それは――」


箱に封じられたものは、怪我を望む文字と彼女の髪の毛と使った物品だった。


ただ、友達の母親とやらも実のところ、それが本当に呪いの儀式になる、などとは思わなかったはずだ。

普通、そんな非科学的なことを本気にしない。


にも関わらず行ってしまったのは、ある種の気持ちの整理だった可能性が高い。


己の中にある醜い部分を切り離し、外へと封じた。

良い人であるために、住居空間から切り離された場所へと押しやる。

そのような方法だ。


嫌いな人の名前を紙切れに書いて、ぐしゃぐしゃに潰し、ゴミ箱に捨てるだけでも気持ちが収まる、そんなメソッドがある。

感情の調整は、実際に行動にすることで決着がつくことがある。

それは、誰も傷つけずに行える心の整理だ。


けれど、立基マキは見つけてしまった。

吐き出した悪意、『それが在る』ということを、対象自身に見られてしまった。


しかも、封印された状況のみならず、わざわざ次の日の朝早くに階段を昇り、直接暴こうとしていた。


 だったら、見せてやろうじゃないか。


そんな気持ちが湧いたのかもしれない。

そのとき、初めて呪いが発動した。


「そうか、箱に封じられたままなら、本人以外は知りようがないのか」

「呪いって、相手に伝わらないと意味がないんですよ。これには、そうした意図が見えません、むしろ厳重に見えないようにしていた。けど、立基マキさんは暴こうとした」


それは『立基マキは、怪我を望まれるほど厭われている』ことを的確に教えるものとなった。

伝わらないように封じられたからこそ、それは「隠された本心」に見えた。


自ら暴きに行ったからこそ、呪いとなった。


「これって祝福の逆です」

「しゅくふく……」

「神様から、あるいは知らない誰かから、自分は愛されている、そんな根拠のない確信を祝福だとすれば、これはその逆、知らない誰かから、あるいは神様ですら、自分のことを嫌っている、そんな根拠のない確信が呪いです。呪われたとは、そんな精神の状態を指すのです」


嫌われているという証拠を、それも積極的に探さなければ見つからなかった『真実』を、得てしまった。

ならきっと、他のみんなもそうに違いない。


そうでないと、どうして言える?

あれだけ良くしてくれた大人ですらそうだった、なら、他の人も同じだ。

心の底の箱には、そう記されているに違いない。


メソッドとしての気持ちの整理は、嫌いな人間の名前を書いてゴミ箱に捨てることでスッキリする。

逆に、『嫌いな相手として書かれた自分の名前』をゴミ箱から見つけてしまうことは、気持ちを乱す方法として効果的だった。


「その後、立基先輩その友達はどうなりましたか?」

「……疎遠になったそうだ、まあ、たまに連絡するくらいの仲ではあるらしい」

「そして、立基マキさんは階段をよく昇っているんですよね?」

「ああ……」

「もう分かってますよね、それ、本人も言った通り、確かめているんですよ。他の人が、呪われていないかどうかを」


ある意味で、善意だ。

けれど、根本が間違っている善意だった。


「立基マキさんは、その出来事が起きてから今までずっと、ついつい階段を見ると昇っているんですよね? 一段一段、踊り場ごとに、箱がないか、誰かの名を書いた紙がないか、呪いが行われていないか、彼女は確認をしているんです」

「それは――」

「きっと立基マキさん自身のマンションでも、毎日していることでしょう。『そこに悪意がないか』を鉄扉を開けて確認していますよ、外出の度に、毎回」

「……呪いか」

「ええ、「呪いの有無を確認する」という作業そののものが、既に呪いなんです。他の誰かから嫌われていると、どこかで確信しているからこそ、それを行ってしまうのです」


祝福されていると確信がある人間は祈りを捧げる。それが無意味だったとしても感謝せずにはいられない。

呪われていると確信がある人間は防ごうとする。それが無意味だったとしてもやらずにはいられない。


「二重に呪いになっているとは、そういうことです。今や立基マキさんは、自分で自分に呪いをかけている」


先輩は黙った。

きっと立基マキさんが階段を昇る姿を思い出している。


朝日が昇る中をゆっくりと、階段を舐めるように見ながら上がる様子を。


「本来はそこまで強いものではなかったはずなのに、立基マキさんが呪いを強力なものにしてしまった」


運動が好きなのに、運動部に入らなかった。

そこで活躍することは、嫌われることだと確信してしまった。


大会などの大舞台で実力を発揮することは、呪いを引き寄せる行為だった。

階段を確認する作業を、もっと増やさなければならなくなる――


立基マキという人は、それに耐えられなかった。


「なんというか、言葉にならないな」

「悪い人じゃないといいですね」

「どういう意味だ」

「いえ、先輩はいいんですか?」

「なにがだ」

「きっと立基マキさん、先輩のマンションも確認しましたよ」


特に知り合いの住んでいるマンションだと抑えが効かない――

そのような情報を伝えたのは、先輩自身だ。


「……ああ、そうだろうな」

「普通に外出するとき、鉄扉の向こうに立基マキさんがいたことがあったのかも」

「話を聞いてると、なくはないと思えてくる、確認のために扉を開けてしまうかもしれない、俺をそういう風に呪うのは止めろ」

「箱ではなく本人なのですから、別に悪くはないのでは」

「明らかにそっちの方が怖いだろうが」

「そうですかね、ちょっとかわいいと思いますけど」

「どこがだ?!」


そういう湿度高めのやり口は、割と好きだった。


「……やってないよな? お前自身はそういうことやってないよな?」

「先輩に対して?」

「俺以外の誰に対してもだ」

「いままでそんな経験はありませんでしたが、今度先輩に試してみてもいいですか?」

「事前に連絡しろ、この時期の暑さだと下手をすれば倒れる」

「なるほど、やるなら夜ですか」

「連絡をしろ、いいな、黙ってやるな」

「はあい」

「どうしてつまらなさそうなんだ」

「先輩がいつ気づくだろうというドキドキワクワク感がなくなるじゃないですか」

「お前は――」


眉間にシワを寄せる先輩の顔を見ながら少し悩む。


最初の呪いは母親が立基マキさんに対して行った。

二重の呪いは、立基マキさんが自分自身に行った。

ここまでは説明した。

三重の呪いについて――「立基マキがその母親に呪いをかけているかもしれない」という予想を伝えるのは、やっぱりやめておこうと思う。


この人は、人がいい。



 + + +



呪いとは、情報の伝達だ。

それは伝わらないと意味がない。


呪いといえば丑の刻参りだが、これは白装束に三本の蝋燭をつけて一本下駄を履いて行う。

その装いは、とても、ものすごく、目立つ。


その上でカーンカーンと音を打ち鳴らす作業を、御神木というランドマークで行い、相手が誰かを示唆する藁人形をその場に残す。

顔を見られたら儀式は失敗するというのに、構成する要素すべてが『目立つ』もので出来ている。


それらは、伝えるためだ。

対象に、「お前を心の底から恨むものがいる」と教えるためだった。


立基マキさんはよく階段を昇っている。

知り合いや友達のであれば、それは心配性すぎるだけのいい人だが、それ以外の、なんの関係もないマンション階段も昇っているとなると話は違う。


たいていのマンション階段は、外からも見える構造になっている。

おそらくは防犯上の理由だろう。


そこを昇る人の姿は、思った以上に目立つ。

まして、立基マキさんは目立つ髪色で、派手で個性的なファッションをしている。


その行動は、実のところ丑の刻参りと変わらない。


最初の呪いは、箱に封じられた悪意。

二重の呪いは、悪意の確認作業。

三重の呪いは、悪意の返却だった。


目立つ姿で、あちこちの階段を昇ることで、それを成した。

中にはどうしてやるのか理由を聞く人もいるだろう、実際、目の前の先輩はそうした。

立基マキさんは、「そうしなければならない理由」を細かく説明した。


「これが誰のせいなのか」を分かる形で。


情報は広がる、拡散する。

それが本人のもとにまで届く。

あるいは、周囲の人が噂したのかもしれない。


友達の母親は、当初は気にしないことで対処しただろう。

あるいは、気にしない振りをすることにした。

その呪いから視線をそらすことは、それなりに有効な対策だった。


たまに立基マキが実際に昇る姿を見かけたとしても、うつむくだけで対処できる。

たったそれだけの作業で、無いことになる。


だが、立基マキさんはその友達と、疎遠になったとしても連絡を続けた。

たまに軽いやりとりをすることもあっただろう。

そうして、立基マキは伝える、「別のところでも箱を見つけたよ、やっぱりこれ、流行ってるんだ」と。


それは、友達の母親にまで伝わる。

最初はもちろん、立基マキさんがでっちあげたと思うだろう。

けれど、ひょっとしら、もしかしたら違うのではないか。


自分以外にも、その呪いをやっていないと、どうして言える?


見ないというだけでは対処ができなくなってくる。

立基マキだけであれば、特定個人を無視すれば済んだが、「不特定多数がその呪いを行っている」という状況は、無視できない。


母親自身が行ったその箱の『オマジナイ』は、半端な形ではあるが、たしかに効いた。

娘が水泳大会で一位を取り、立基マキは調子を崩した。

効果が実証されている。

見えない形の、知らない法則はきっとある。


確かめずにはいられない。

マンションから外へと続く鉄扉を開き、そこになにか無いかを「確認した」。

立基マキがそうであったように、確認作業という名の「呪い」を行った。

一度二度ではなく、何度も、何度も、繰り返し。


それは実のところ、「ひょっとしたら自分は他人から嫌われているのでは?」という疑問をつきとめる作業だった。

自分自身を呪う行いだ。


そうして、ある時、適当なタイミングで、立基マキは箱を置いた。

その作業がルーチン化して、意味を持たなくなった時期を見計らって。


友達の母親は、それを見て、どう思っただろう。


一体どんな文面が書いてあるのか。

どのような言葉がそこにあるのか。


また、いったい、どちらが呪われているのか。

母親か、娘か。


疑問と好奇心が渦巻いただろうが、ある意味、心のどこかでは安堵したはずだ。

ようやく、いろいろな半端に決着がつく、罵詈雑言でも、それが明確に形を取ってくれた方がまだいい。

きっとそう思い、箱を開いた。


そこには、何もなかった。


あるいは、その箱じたいが、どこかで見た覚えのあるふるいものだった。

ガムテープ跡が残る箱など、他の人にとっては価値のないゴミでしかない。


これは、もちろんただの予想だ。

あるいは妄想だと言ってもいい。

けれど、もし行っていれば、似たようなことはしていたはずだ。


呪いというものは、言葉や文字が少なければ少ないほどいい。

そして、自身の手で秘密を暴く作業こそが、呪いを強化するのだから。



 + + +



「じゃあな」

「ええ」


運動部がようやく無駄な苦行を終えて去り、私たちも部室を去ることになった。

炎天下の下、二人きりだが何も起きない。

途中までは一緒だったが、あっさりと別れた。


別れ際、先輩は憔悴した顔だったが、それが部室内の暑さのせいか、それ以外の原因なのかは不明だ。

一応、「扉外待機するときはちゃんと連絡しますから安心してください」とは言ったが、嫌な顔をされただけで終わった。


私は夕焼けの様子と、まとわりつくような夏の暑さを鬱陶しく思いながら帰宅する。

町並みの様子を眺めながら、立基マキさんについて思う。


彼女は、どうして呪ったりしたんだろう?


友達の母親が行ったことについて、その動機は理解できる。

けれど、立基マキさんが長く長くその行動をする理由が、よく分からない。

本当に善意で、ただ他に箱がないかを確かめたかったのであれば、それは使命感だ。

けど、そうじゃなかった場合は?

その動機はなんだ。


単純な仕返し――

ちょっと違和感がある。

そこまで長く恨むことなんて、普通はできない。

話を聞く限り、立基マキさんはそこまで粘着質じゃない。


じゃあ、一体なぜ?


私は頭を回転させながらものんびりと歩く。

日中の熱を吸い込んだコンクリートがじわじわ放出をしている。


にょきにょきと生えるように建てられたビルの群れは風を遮り、さらなる暑さを提供する。


暑さを刻むように、私の足は動き続ける。

コンクリート上の澱んだ熱気を撹乱し続ける。


「ああ、そっか――」


そうしていて、なんとなく。

うん、本当になんとなくだけど、わかった気がした。


最初は、たしかに恨みだった。

けど、恨みは前提として強い感情が必要だ。

どうでもいい相手を恨むには、取り返しがつかないくらい強い攻撃をされなきゃいけない。今回は、それには当てはまらない。


子供の頃、立基マキさんは一位こそとれなかったけど水泳大会で入賞した。


けど、祝う場所は、友達の家だった。

他の人の家で、それは行われた。


帰る時も一人だった。

立基マキさんの親が、どこにも登場していない。


仲が悪かったのか、放置されていたのか。

早朝に黙って行くのも問題がない様子からすると、たぶん後者だろう。


立基マキさんは、だからこそ友達の母親に懐いた、また、憧れもした。

「努力したことをちゃんと褒められる」とか、なんて羨ましいんだろう。


けれど、その母親は立基マキのことを心の底では疎んでいた。

怪我を願っていた。


立基マキのことを呪った。


それは、最初は非常にショックだったはずだ。

強い強いダメージを受けた。


だが、しばらくした後で気づいただろう。

願われたのは、怪我だ。

いなくなって欲しいとか、後遺症が残るレベルのものを望んではいなかった。


そこに立基マキさんは、希望を見た。

その文章に、書かれていない文字を見てしまった。


 怪我がよくなりますように

 怪我をしますように

 怪我をしてくれたら――前と同じように好きでいられるのだから


そんな気持ちを、あるいは本心を、読み取った。


どうして立基マキがよく階段を良く昇るのか、その理由は二つあった。

ひとつには呪うためだ。

もうひとつは、自然な形で怪我をするためだった。


意識的というよりも無意識的に、そうなりやすいことをした。

先輩が見かけたとき、立基マキさんは「階段を下りて」いた。箱を確認するだけであればエレベーターを使えばいいのに、そうしなかった。


エレベーターを使って昇り、下りながら確認したのか?

それにしては「趣味は階段昇りだ」と彼女は言った。


彼女は無意識に怪我をするために、あるいは呪うために、それを続けた。

ずっと、ずっと、繰り返し。


機会を見計らい、箱まで届けた。


そうしている内に、ひょっとしたら気づいたのかもしれない。

立基マキという人間は愛されない、誰からも呪われてばかりだ。

祝福なんて、どこにもない。

けれど、「呪いという形でその人に居続けることはできるんじゃないか」と。


今もきっとその母親の中には、立基マキという呪いが黒いシミのように在り続ける。

決して拭い去ることができずにいる。


だって「今も立基マキは階段を昇り続けている」のだから、意識から外すことができない。


二人は愛情を交わすことはなかったが、呪いを交わし合うことはできた。

その母親が立基マキさんを呪うようなことが起きれば、きっと立基マキさんは心の底から喜んでしまうだろう。

私達の気持ちは一緒だった、と。



 + + +



首をふる。

何もかもが予想だし、妄想だ。


こんなにも考えてしまうのは、きっとあの部室での暑さにやられたせいだ。


太陽がオレンジに輝き、ようやく地平線の向こうに沈もうとした。

室内を冷やす代わりに外を熱すため、室外機は温風を吐き出し続ける。


きっと私も帰宅すれば同じようにクーラーをつけてしまうだろう。外のことなんて知ったことじゃない。


だんだんと暗闇に沈む景色の中で、人がいた。

階段を、昇っていた――


思わず立ち止まる。

見上げてその姿を確認しようとした。


姿はわからない。

深く帽子を被っていた。

目立たない黒い衣服を身につけていた。

マンション階段の四階辺り、俯きながらゆっくりと、何かを確かめるように階段を昇っていた。

手には小さな何かを――箱を、抱えていた。


立基マキさん?


最初はそう思った。

けど、先輩から聞いた特徴とは何一つ一致しない。

背丈も低いように見える。


別人……?


だとしたら、誰が。

本当に、他に箱の呪いを行う人がいた?

そんな馬鹿な。


あの話を聞いて、本当に呪いはあるんだと実行するような人はいない。

少なくとも、私ならやらない。


人って怖いね、という話であって、呪いの効力って本当だね、と確信できるものじゃない。

「お前は人から嫌われている」と伝えるための、伝達手段としての呪いとしても有効じゃない。

立基マキさんに伝わったのは、本当にたまたまの、偶然だ。

成功率があまりに低すぎる。


超常の『箱の呪い』が本当だと信じ込んでしまうような人。


一人は友達の母親だ。

ついに呪いの返しを実行した。


もう一人は――


立基マキさんの友達自身だ。

その人が、箱の呪いは超常の本物だと信じた。


なぜ?


そんな機会なんて……


不意に、嫌な想像が脳裏を巡った。

母親が箱を作成した現場を、その友達は知っていたのでは?

そこにストローや髪の毛を入れた段階で、それがある種の呪術やオマジナイであるとは見当がついたはずだ。

そして、紙まで入っている。


 立基マキさん の 右足首 の 怪我 が よくなりますように


母親がその場を離れている間に、そんな文章を見つけた時、

何を思っただろう?

どう感じただろう?


立基マキは密かに怪我をしており、自分の母親はその回復を祈っている。

そんな誤解をしたのかもしれない。

一見すると、そうだとしか思えない。


娘である自分よりも、いい成績を残し続けているあの子を、優先した。

立基マキの方が愛されている――


……今の私は、想像が暴走している。

こんなことが本当にあったなんてわからない。ただの空想だ。


けれど、ゆっくりと、ゆっくりと階段を昇り続けるその姿を見ていると、思わずにはいられない。


子供がボールペンを手に、それらの文字の上からなぞった光景を。

その母親の願いを台無しにしてやろうとする暗い目をした姿を。

特定の文字だけを残して、意味を変えようとした過去を。


 立基マキさん の 右足首 の 怪我 が よくなりますように

 立基マキさん         怪我   よくなりますように


前者であれば、ただ回復を祈るための文章だ。呪いとみなすには深読みする必要がある。

けれど後者は、別の文章として読める。


 立基マキさんが、怪我によくなりますように


そういう意味に捉えることが、可能になる。

回復ではなく、単純な怪我を祈る文章にすることができる。

ボールペンで上から特定の文字だけをなぞり、その意味を作り出した。


彼女は、少しだけスッキリした気分になったのではないか。

これは嫌いな人の名前を書いて捨てることで気持ちの整理をつける、そのメソッドの変形でもある。


結果、水泳大会で一位という結果を残せた。

超常としての呪いを本当だと、彼女は信じた。


その友達は、真の意味で呪いに囚われた。



人影は昇る。

階段を上がる。

俯いた姿勢を変えもせず、夕闇にその姿を沈めながら。


不意に、その姿が消えた。

いや、沈んだ。


その場にしゃがみこんだのだ。

きっと今、箱を置いている。


ここは、誰のいるマンションなんだろう。

立基マキさんか、別の人なのか。


一体今彼女は、誰を心から呪っているんだろう。

階数は、おそらく八階だった。


私は今、ここで彼女のことを見てていいのか。

そんなことをしていいのか?


わからないまま、私は立ち尽くす。

しゃがんだ人影は、立ち上がる様子を見せなかった。

近くにある鉄扉も開く様子がない。


沈んだ太陽が、建物をシルエットへ落とした。

暗闇にまぎれて、何も見えなくなる。


けれどいつまでも、鉄扉が開く様子はなく、階段から誰かが下りてくる様子もなかった。

ずっと変わらず、建物は建っている。


確かめに行こうか?

この階段を、今から昇ろうか?


そんな「呪いを確認しに行く」誘惑に、私はいつまでも耐え続けた――




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