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うちの後宮の乱れがすごい!(中)

 皇帝サマの命と言う物は、奪うと良いことがあると世の中には思われているらしい。


 自らが皇帝になりたい。

 皇帝を殺して自分に都合がいい皇帝を即位させたい。

 私を愛してくれない皇帝なんていらない。

 皇帝という存在が気にくわない。

 誰かへの忠節のために皇帝を殺したい。


 理由はいくらでもあるだろう。私だって皇帝サマを殺したいという気持ちがないわけではない。ただ、いまはそれができない理由があるというだけだ。だから、いつか私と皇帝サマの関係を清算できるようになれば、私は皇帝サマを殺すだろう。


 ただ、いまはそれができないし、他の誰かが皇帝サマを殺すようなことになっては困る、だから、私は皇帝サマを殺そうとする人間を見つけなければならない。私は宦官たちにさえ見られないように後宮の中をゆっくりと進む。煌びやかな装飾に彩られ、地上の楽園を再現したとしても暗部はある。


 後宮の北の端。緩やかに曲線を描く建物にはあえて名前は与えられていない。

 与えれば楽園から遠ざかる。そんなことを考えるのかもしれない。


 御香や花、女のにおいに満ちた後宮で、この場のそれは明確に違う。死の匂い。肉が腐った独特なすっぱさ。苦さ。湿り気がここにはある。明らかに装飾用とは異なる鉄でできた棘や刃のついた機器が並ぶのは拷問がここで行われていることを示している。そして、その奥には布にくるまれた真新しい遺体が並んでいた。


 後宮の出入りは厳しい。後宮にそぐわない死者が出たとしてもすぐに外へは出してもらえない。決まった時間。決まった手順。決まった人間たちによって儀式のように運び出される。殺された女官の顔は生気など一切奪い去られ白というのがふさわしい。そして、生者が持ちえないにおいが彼女を包んでいる。


 布をはぐと、女官の腹には大きなうろがあった。へその上から肋骨の付け根あたりまでが切り開かれている。


 きっとこの虚は冥界と繋がっているのだろう。死の匂いは底から漏れ出している。兄が死んだとき、私はその眼窩がんかに虚を見た。母のときは口だった。皇帝サマのときはどこに私は虚を見つけるのだろうか。


 女官の身体には腹部以外に刺し傷はない。他にあるのは首元の青紫の細い痣だ。手間のかかることをしていると思う。犯人は女官の首を絞めて殺したあとで、腹を切り裂いている。どうせ刃物を使うなら最初から刺し殺せばいい。なのにわざわざ絞殺しているということは、殺すことだけが目的ではない。別に理由があるということだ。


 私は袖をめくりあげて、女官の虚に手を突っ込む。冷え切った臓腑は湿り気と粘性をもって私の手を迎える。嫌悪感と無慈悲が指先に違和感を感じさせる。違和感を引きづりだすと気がそれていた。私は背後から放たれた声で初めて彼女に気づいた。


「な、何をしているんですか?」


 それは誰も好んで着ない黒い着物に身を包んだ女官だった。垂れ気味な瞳にすこしだけ卑屈な色が見え隠れする。可愛いけど、どこか苛めたくなる。そんな風な女官だった。彼女はこの場に誰かがいるということが理解できないという表情で私を見ている。その眼には女官の腹に突っ込む私が写っている。


「調査です。あなたは?」

「わ、わたしは……」


 女は少し狼狽えたあと答えた。


「私は骸姫。天子のおわす後宮で唯一、人を傷つけることでお仕えする女官です。あ、あなたこそ誰なのです」


 そんな役職もあるのかと私は驚いたと同時にある種の納得をした。


「私は、宮正節度蘇玉環。通達は届いている?」


 名乗ると明らかに骸姫は狼狽えた。それは獄卒というにはあまりに幼い反応だった。


「は、はい。通達はいただいているのです。こ、ここにおいでになるとは思わず。ま、まして私のところへなど考えてもおりませんでした。……だ、誰を拷問すればよろしいのでしょうか? 私はできます。どのような秘密でも心のうちでも傷のように開いて見せます」


 それは表情とは違って強い言葉だった。


「つまり、あなたは後宮で拷問を行う女官ということね」

「は、はい。そうです。尊き方の多い後宮では、拷問をしたがる方はおりません。なにより、宮中は摩訶不思議な場所。今日の罪人が明日の聖者ということもあるのです。ゆえに白き手を白いままにする。それが私の役割です」


 要するに罪人であったものが一転して権力者に返り咲いたときに拷問を命じた者のかわりに悪意を一身に受ける形代が彼女ということなのだろう。


「そう。……ちなみに死体の管理もあなたの仕事なの?」

「は、はい。生者出さず。死者を騙るものを許さず。つまり偽りを許さず。それもこの房を預かる骸姫の仕事です」


 彼女にとって役目と言う物は至上であるらしい。


「あなたから見て彼女はどうだったの?」


 私は女官の死体を指さした。


「とてもお上手な手際でした。縊り殺しの迷いのなさに腹に入れた刃の狂いのなさ。よほどの覚悟でおこなわれた仕事です。ただ……」


 言葉を濁した。彼女に私は続きを促す。


「ただ?」

「……えっと、あの、ただ品がないのです。これほど見事に首を絞めておきながらさらに刃を刻む。その必要はないのです。美しい殺しをあえて汚す。これはあまり良くありません」

「美しい?」

「そうです。後宮では多くの方が、容姿や舞。雅楽を競っておられます。競い磨き、玉に到れる。それを美しいと言われるのだと思います。私にはそういう普通に美しいものはありません。ですが、人を傷つけること。死を判別することには自信があります」


 そういう彼女は先ほどまでの自信のなさを見せない表情だった。


「では、犯人は美しさを捨てて余計なことをしていたと?」

「死んだ相手をもう一度傷つける。それは相手が死んでいるか分からない者だけがするべきことです。また立ち上がるかもしれない。自分の刃は命に到達しているのか分からない。そういう不安が死体を傷つけます。でも、この犯人は分かっていたはずなんです。相手が死んでいることを。でも、余計なことをした。これは許せることではありません」

「なる、ほど」


 分かったような分からぬような気がする。ただ、犯人は余計なことをしているということが分かる。

 だとすれば、その余計なものにこそ意図があると言える。


「ちなみにここに持ち込まれた他に死体もそうだったの?」

「はい、そうです。この犯人はいつも美しさを損なっていました」

「ありがとう。よく分かったと思うな」


 私が礼を口にすると彼女は少し驚いて困惑した。


 飴色の蕩けそうな瞳は、私を捕らえてうろうろする。まるで大きな獣が初めて人間に出会ったような様子だ。相手が強いのか。弱いのか。分からない。あるいは美味しいのか。不味いのか。分からない。でも、興味はある。


「ど、どうして、あなたは私に普通に接してくれるんですか? 気味悪くないですか? 傷つけるのが仕事なんですよ。命令があればあなたのことだって傷つけるのに」

「普通なら嫌かな」


 私の言葉に彼女の瞳がずるずると足元へ堕ちてゆく。


「……そ、そうですよね」


 骸姫が眼を細めてほほ笑む。そこには怒りよりも諦めが見える。


「でも、あなたは美しい。だから、私はあなたに敬意を払おうと思うな」

「う、美しい?! なんかすっぱい匂いがするし。傷しかつけられないし、話もうまくないし」

「そんなことどうでもいい。私から見てあなたは玉よ。それが霊山から採れたものか。海山から採れたものかは私には分からない。だけど、あなたはひとつの極致にある。それだけでいいじゃない」


 私のような紛い物には至れない場所がある。

 だから、私には彼女が美しく見えた。たった一つのことへ特化した機能美だ。


「いいんですかね?」

「いいんじゃない」


 うへへ、と骸姫が笑う。きっとこの素直さが彼女の本質なのだろう。素直ゆえに一途にいられる。それが本質にたどり着いた。だけど、私はダメだ。徹頭徹尾、曲がり切っている。


「そろそろ、行くわ。宦官たちにも見られたくないし」

「あ、お見送りします」


 曲がった回廊を彼女と歩いていると庭園のほうに灯りが見えた。

 灯りは目線よりもやや上をふわふわと動いているようだった。報告にあった鬼火と言う物があるのならこういうものを言うのだろう。


「紙気球。庭園ではなにか祭事をしてるんですか?」


 骸姫が屈託なく微笑む。それはどこかに諦めを含んだあこがれだ。だが、いま驚くところはそこではない。


「紙気球? え、あなたあれがはっきり見えるの?」

「えっ? あっ! はい。私、夜目はいいので。あれは間違いなく紙気球です」


 鬼火の正体が、紙気球なら誰かが意図的に空にあげている。

 後宮からなぜ?


 私は疑問と一緒に袖や裾が乱れることを忘れて駆けだした。背後で骸姫が「待ってください」とか「ああ、どうしよう」と叫んでいるの聞こえたが私の脚は止まらなかった。朱に染められた橋を飛び越え、仙界を模した奇石の森を抜ける。


 この世ではないような風景の先に一人の人間が立っていた。

 乱れた息のまま問いかける。


「柳貴人? ここでなにを?」

「死者を思って紙気球をあげておりました。蘇氏こそどうしてここへ?」


 柳夫人は空を見上げたまま、私を見なかった。ただ、火の熱で浮力を得た紙気球だけが音もなく空へ空へ登ってゆく。天に死者の国があるのならあの光は届くかもしれない。


「怪しい光が見えましたので……」

「あなたの立場を思えば、すべてが怪しく見えるでしょう。皇帝陛下に任命された後宮の裁判官。ですが、事実は死者を悼む鎮魂にすぎません。悪しきものなどここにはないのです」


 ようやく柳夫人は空を仰ぐのをやめて私を見た。いや正確には私の背後にある皇帝サマの影を見ているのだろう。


「今宵も女官が殺されていなければそう思うこともできたでしょう」


 私は嘘をついた。まだ、今夜は誰かが死んだという話は聞いていない。


「……誰が死んだの?」

「知りません。私には縁のない人でしょう」

「嘘が下手ね。後宮というところは死者が出れば騒がしくなるのよ。こんな静かな夜はなにもおこってはいない。もっともこれだけ静かなら誰かを殺すのには丁度いい夜かもしれないわね」


 そう言って微笑む彼女の手には絹の布が握られている。

 このときになって私はようやく私自身がここへ誘い込まれたのだと気づいた。女官が殺された夜に鬼火が目撃された、と聞かされた私が紙気球を見つければ、犯人を捜して現れる。


「新しい皇帝は誰になるんですか?」

「なんのことかしら?」

「女官が殺されて腹を裂かれていた。そう聞いたとき私は、袁州から送られてくる女官の中になにかが仕込まれていてそれを取り出しているのだと思っていました」


 後宮には刀鎗の類いは持ち込めない。だが、女官の身体にそれらを埋め込んで後宮に送り付ければ、殺して取り出すことができる。そうして、武器を集めて皇帝を殺す。だが、今日出会った女官たちは自分たちの身を悲観していても体内に何かが埋め込まれている恐怖を見せた者はいなかった。


 そうとうな覚悟で隠しているのかと思い死体を見に行ったが、死体は概ね綺麗で裂かれた腹以外に傷がなかった。もし、武器か何かを隠しているのだとすれば入れた傷跡があるはずなのである。それがなかったのは予想外だった。


「ずいぶんと野蛮なこと。でも、そんなものなかったでしょう? 彼女らは何も持ち込んでいない。それどころか無残に殺された。袁州人が美しいとの妬みを受けて他の女官に襲われたのですから」

「ありませんでした。ですが、取り出すのではなく外に送り出しているのならどうでしょうか?」

「女官たちが死んだふりをして後宮から抜け出していたとでもいうのかしら」


 柳貴人は馬鹿々々しいという様子で目を細める。


「私は知りませんでしたが、後宮には死体を管理する女官もいたのですね。彼女は自分の役目の一つを『生者出さず。死者を語るものを許さず』と言っていました。そんな彼女が死の偽装を許すはずがありません。ですが、そんな彼女だから確かめぬこともあるのでしょう。開いた腹の中に入れられた書状とか」


 骸姫の話が出たあたりから柳貴人の表情がやや変わった。

 私は女官の腹の中から引きずり出した血まみれの書状を床に投げ捨てる。油紙に包まれたそれは綿々とした女性っぽい筆で後宮の見取り図を描いていた。


「広い後宮をいくつかに分けて書き出した地図。これが示すことは明らかです。皇帝を狙って兵を後宮に送り込む予定だった」

「あなた頭おかしいわよ。死体のなかに手を入れてそんなものを探り当てるなんて……。一度、聞いておくわね。あなたは今の皇帝が正しいと思うの? 宰相が連れてきた四代も前の帝の庶子が皇帝だなんて。先帝にも庶子はいるのにどうしてあんなのが皇帝になれるのよ」


 確かに皇帝サマの即位にはきな臭い話がたくさんある。宰相が連れてきた後ろ盾のない皇帝。先帝の庶子を差し置いて帝位についた名も知られていなかった庶子。母親もすでになく外戚もいない。宰相にとって最も良い皇帝。言い方はたくさんある。


「怪しいですね。ひどく」

「なら、正当な血統を守るためにあなたも」

「……そういうこと言う人で詐欺師以外見たことないんです。まだ、権力のためにおつむの弱い皇帝を即位させましょう、と誘われるほうが気分がいいですよね」


 床を蹴って柳貴人を蹴り飛ばす。庭園の生垣にもたれかかるように倒れた彼女から逃げるように建物のほうを振り返ると骸姫が息も絶え絶えと言った様子で駆けてくる。


「大丈夫ですか!? か、宦官長を連れてきました」


 事態が分かっていない宦官長が、生垣に倒れた柳貴人。地面に投げ出された地図。そして、私を見てことを理解するのにかかった時間は短かった。


「賊だ! 柳貴人が襲われている!」


 叫ぶ宦官長は柳貴人を助け起こすよりも早く、地図を取り上げると胸元に素早く仕舞い込んだ。


「それはそうよね。柳貴人だけでできるわけないんだから……」


 女官が住む房の監視は宦官の仕事である。袁州の女官たちは彼らが声をかけても鍵を開かなかったかもしれない。だが、彼女たちは殺された。なぜか。自分たちが一番信用していた柳貴人が彼女らを殺していたから。自分たちの身を案じてくれる人間が犯人だとは思えなかったのだろう。


 なら、どうして柳貴人の犯行が宦官にとがめられなかったのか。


 簡単だ。彼らは共犯だからだ。皇帝サマが即位してから宦官長を含めた宦官はあまり良く思われていない。皇帝は自分を即位させた宰相を頼っている。宦官が入り込む余地は今のところ見えない。宦官長の役職もいつかは剥奪されるかもしれない。


 このまま落ちていくくらいなら、皇帝を挿げ替えよう。

 それが宦官長と柳貴人の共通した思いだったのだろう。


「骸姫。よく知らせてくれた。彼女は帝室に弓を引く大罪人だ。君の腕で後ろに誰がいるのか答えさせろ」

「えっ、そんな。彼女は皇帝陛下の定めた宮正節度ではないのですか?」

「違う。この後宮にそんな役職はない。歴代皇帝の誰もそんなこと許してはいない」


 宦官の言うことが理解できずに骸姫の瞳が左右に振れる。誰が正しいのか分からない。そんな様子の骸姫の手を取ると私は再び走り出した。宦官長が私たちの背後に叫び声をあげる。この調子ではすぐに宦官たちが集まってくるだろう。


「ほら、走るわよ」

「えっ? でも? ええ」

「私と宦官長。仲良くしたい方につきなさい。時間はないわよ」


 私の引いた手が素直についてくる。


「蘇氏を信じます。あなたはと、友達ですから」

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