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うちの後宮の乱れがすごい!(上)

 大陸を三分した戦乱を制して帝都である邯安かんあんを中心に四方四千里を納め、東のえびす。北の

てき。西のじゅう。南のばんという四つの異民族を蹴散らした大邯帝国は、大いなる繁栄の中にあった。異民族の襲来はなく、農民は安堵して田畑を切り開き、市では商人がさまざまな商品を取引し、諸子百家が持論を声高らかに叫ぶ。一時代の頂点というのが、この輝かしい世である。


 ただ一つ、暗所あるとすれば大邯だいかん帝国の中心である。


 皇帝が住まう紫尾宮。いわゆる後宮である、


 帝国中から集められた女性が一人の皇帝に尽くすための大きな箱庭。ここに集められた女性の出自は様々であり権門から貧困の底からこの場に到った者もいる、それだけに諸子百家が説く教えよりもよりも複雑な人間関係が蠢いている。


「女官の殺害が四件。謎の病が六件。しまいには怪異、妖の類いが十五件。およそ天下泰平と言われて久しいこの世において、うちの後宮の乱れがすごい!」


 短く報告が書かれた紙を投げ出して余は怒りを露わにした。


 鏡のように磨き抜かれた卓を紙が滑って、提出者の元に戻る。提出者は渋い顔を崩すことなく紙を拾い上げると余の前に置きなおした。どこまでも丁寧な男である。そうでなければ大帝国の宰相など務まらないと言えばそうなのだろうが、皇帝からの怒気にこうも平然とされるのはいささか気分の良いものではない。


 臣下が皇帝をないがしろにするのは天下が乱れる遠因にもなりえることだ。


「では、いかがいたしますか?」

「幸いなことに皇太后もおらぬし、余には后もおらぬ。後宮のすべてを追放してはどうだろう」


 皇太后は皇帝の母親のことである。時代によっては皇帝よりも大きな権力を持つ者もいたが、余の母は十年以上前に亡く、その地位に就く者はいない。それゆえに皇太后付の女官や宦官はいない。いま、後宮にいるのは前の皇帝のころからいる者たちと余が即位した際に帝国各地から献上された者たちである。


「良いですが、職を失うとなれば布告の夜に陛下の寝所に絹布と毒酒をもった人間が多く押しかけるでしょうな」

「それを食い止めるのが宰相の役割ではないか?」

「後宮は皇帝陛下の住まい。臣下が手出しできるものではありません。田舎の親父でさえ、家内のことは自ら取り仕切るのです。皇帝ともなればなおさらでしょう」


 自己責任と言われても、余が集めた訳ではない。半分はもともといた者たちだし、残る半分だって皇帝即位のお祝いとして勝手に送られてきたのである。余が「美姫欲しい。集めよ」と言ったわけではない。慣習と言う物は困ったものである。


「殺されれば余は、顔がいいだけの皇帝として名を残すのであろうな」

「顔が良いのほかにも最も在位の短い皇帝としても刻まれ、すぐに忘れ去られましょう」

「考えるだけで嫌になる。そこでよ。後宮を監視する役職を新設しようと思う」


 宰相の顔が一気に曇る。後宮において大きな権力を持つ者が現れることが嫌なことがよく分かる顔である。とはいえ、いまのまま後宮を捨ておくのもぞっとしない。女官が死んでいるうちは良いが、いつ死体が余になるか分かったものではない。


「監視でしたら宦官長がすでにいるでしょう」

「いてこの有様だ。宦官長は今すぐにでも処分したいが、余の権勢もまだ十全ではない。宦官の矢面に立つ身代わりが必要だろう」

「……良いでしょう。新たな役職は誰に?」

「そうよな。これではどうだろう?」


 余は筆を執ると紙に七文字を書いた。


『宮正節度 蘇玉環』


 宰相は少しの驚きのあとため息を吐き出した。それが諦めであったのか。それ以上の適任者が思いつかなかったかは分からない。


「ご無理を言われる。……しかし、適任ではありましょう」

「ならば、布告せよ。また、付け加える。宮正節度には後宮における信賞必罰を認める。しかし、宮正節度はいかなる妃嬪の位にもつかせることはない」


 皇帝の妻はいくつかの位に分けられるが、それを総称して妃嬪という。現状、後宮には余の定めた妃嬪はいないが、前皇帝からの妃嬪はいる。宮正節度に妃嬪の位を与えないのは、権力が一か所に集まらないためである。


 もし、余に后ができて、それが宮正節度を兼任すればその女性は、後宮に対して大きな権力を持ち、后として内政へ干渉することもありえるからだ。ゆえに、それらは明確に分ける必要がある。


「分かりました。では宮内にそのように布告いたしましょう。ただ、ご無理はなさいませんよう。後宮は我らから手の出しにくい場です。お助けできることも限りがあります」

「せっかく皇帝に押し上げられた身だ。死なぬようにやるさ」


 余はそういうと政庁から後宮へ向かう。その後ろを扉の外で待っていた武官八名。宮医一名。近習四名が続くが、後宮の紫門を越えると付いてこなくなった。代わりに宦官長を含む女官が着いたが、宮室に入ると誰も入ってこなかった。


 しばらく一人にするように伝えると宦官長らは、書物はいるか。飲み物はいるか。と、くどいほど聞いてきたが不要だと伝えると、渋々と言った様子で下がっていった。皇帝になったというのに息苦しいものだと寝台に倒れ込む。


 綿が弾けるばかりに詰められ、表には真珠のような光沢の絹が張られている。寝台の端々には龍や鳳凰の細かい彫刻が刻まれ、この寝台だけでどれだけの金がかかっているのか不安になる。皇帝の地位に最も遠い太子だった身としてはどうしても金の心配をしてしまう。皇帝になったのだから心配などせずと思うが、なかなか抜けるものではないらしい。


 大量の絹と綿でできた衣類を脱ぎ去り、粗衣に着替えるとようやく一息ついた気持ちになった。

 とはいえ、この後宮内では殺人や病、怪異がはびこっている。気を緩めるということは難しい。そんなことを思いながら鏡に向かう。皇帝になる前と今で変わったのは何かと考えていると、鏡に一人の女が写っているのが見えた。


「久しいな。蘇玉環」


 声をかけると女は形の良い眉をひそめてこちらを睨みつける。面が良い女だけにそういう表情もさまになるがあまり向けられてよい気がするわけでもない。


「そなたを宮正節度に任じる。後宮の諸事をことごとく所管せよ」

「私を捨てておいて都合の良い時だけ呼び出すの良くないと思うな」

「皇帝に言うには刺激的な言葉だな」

「ああ、そうだった。これは失礼しました皇帝陛下サマ。万歳を唱えて長寿を祈って舞でも踊れば許してもらえるかしら?」

「下手糞な舞なんて寿命が削られるだけだ。それともそこまで呪いたいのか?」

「呪われないことがあると? 捨てた方は忘れても捨てられたほうは覚えてるもんだって覚えててほしいな。皇帝サマ」

「で、やってくれるのか?」

「あなたは皇帝サマで私はただの女ですから従いますよ。ええ、もう従順に。素直に。なんなら鳴きましょうか? ワンワン。私は皇帝サマの忠犬です」


 すぐにでも裏切る猫のような女が、吠える姿は最初から反意しか見当たらない。もし、この場に他の家臣がいれば彼女の首はすぐにでも飛ぶかもしれない。が、この場には余と彼女しかいない。それが分かっているからやっているのだからまだ可愛らしい反意といえる。


「ならば働け」


 鏡の中の玉環に言うと彼女は手を前に伸ばした。


「なにか証をくださいな」

「宮正節度のか?」

「そうそう。ほら戯曲だと悪事の場面に入り込んだ正義の役人が身分を示す印や割符を見せて、どうだ! ってやるじゃない。ああいうのがいいな」


 めんどくさい女である。そんなものすぐに用意があるわけがない。


「次までに用意させておく。いまはこれで許せ」


 余はさきほど書いた『宮正節度 蘇玉環』の紙を見せた。


「薄っぺらいな。次までにきちんとした奴を用意しておいてください。皇帝サマ」

「ああ、分かった」


 頷くと鏡の中から玉環の姿は消えていた。







 後宮という場所は女が一人増えたところで気にならない場所らしい。


 私――蘇玉環は皇帝サマの勅命で宮正節度という偉そうな役職を貰ったが、別に部下がいるわけではないし、私を知るものがいないため「宮正節度が来たぞ!」とか言って後ろ暗いものを持つ者が逃げるようなこともない。


 まったくもって忠犬にさせられるというのもつらいものだワン。


 何からするかと胸元から書類を取り出す。女官の殺害が四件。謎の病が六件。怪異、妖の類いが十五件。どれからでも面白そうだが、直近の問題になりそうなのはやはり殺害だろう。報告を読めば、四件の殺人はよく似ている。


 大筋はこうである。新皇帝即位に当たって諸州の太守から贈られた美女が後宮に入ってきた。なかでも袁州の太守は毎月のように美女を贈っていた。この美女が殺されるのである。それもただの殺しではない。殺された女は皆、腹を裂かれている。犯人は捕まっていない。だが、噂はある。


 袁州は古くから美女が多いという土地柄もあり、諸州よりも一段際立って美しい者が多かった。皇帝はまだ帝位について日が浅く、寵姫を定めていないが、将来的には誰かを見初めるのは当然である。そうなると人は考えてしまう。


『自分よりも美しいものがいなければ良い』


 美人で有名な袁州出身の女がいなければ、皇帝から見初められるかもしれない。そういう理由から袁州の女が殺されている、というのが噂である。まぁ、ありそうなことである。だが、分からぬことがある。なぜ、腹が裂かれるのか。


 これについては、容易に想像がつく。殺された女が皇帝のお手付きだったからではないか。懐妊していれば困るというのが多くの姫君の心内だろう。その気持ちには私には分からない。分かったとしても分かるべきではない。


 そんなことを考えながら後宮を散策していると浮かない顔をしている女の集団を見つけた。

 女たちの真ん中には、ひときわ豪奢な衣類に身を包んだ女がおり、俯いた女たちを励ましている。


「元気を出して。大丈夫よ。宦官長も警備を厚くすると言ってくれているし、陛下も新しく後宮管理の役職を新設されたというわ」


 女たちは、それでも不安そうな顔をしたまま女を見つめる。


「柳貴人様……。どうしてわたくしたちばかりが」


 柳貴人という名前には覚えがある。先々帝の皇后に連なる一族から先帝に嫁いだ女性である。柳氏は袁州内に封地を賜ったことから袁州から贈られてきた女の後見をしているらしい。とはいえ、柳氏の権勢は先々帝のころと比べれば微々たるものだ。


 原因は今の皇帝だ。彼は先々帝の血脈ではなく、四代前の帝の庶子から皇帝になった。そのため、いまの帝室内に彼の外戚はなく、先帝や先々帝の外戚などに気と遣う様子はない。むしろ、うまく肥え太った旧外戚から領地や特権を奪おうとしている様子さえある。


 そんなことを考えてのぞいていると「誰!」と鋭い声が飛んできた。どうやら、立ち聞きしているのに気づかれたらしい。私はゆっくりと柳貴人たち袁州人の前に出た。片膝をつき頭をさげる。


「私は碩州より参りました蘇玉環と申します」

「……その蘇氏がどうしてここへ?」


 偶然、歩いていたら、というのは実に怪しい。

 袁州の方が四人も殺されたと聞き見に来ました、というのも人道から外れた好奇心であり、猫どころか犬さえ殺されない暴言である。


 少し考えて私は正直に答えることにした。


「このたび、宮正節度の勅令をいただき後宮内の諸事を所管することになりました。そこで最初の仕事として後宮にあるまじき女官殺害について調べをすることとなりました。そのため、私はここに来たのです」


 恭しく皇帝の書いた『宮正節度 蘇玉環』の紙を差し出す。


 柳貴人は紙と私の顔を見比べ、最後に「なるほど」と答えた。他の女官たちはこれで救われるのかという顔をするものが半数、残りは聞きなれない官職の私に疑いの視線を向けた。


「殺された四人はどういう状況で殺されたのですか?」

「……それが、私たちもよく分からないのです。あなたも女官なら知っているでしょうが、女官は昼間は六尚に分けられて職務に励み、夜はそれぞれの房と呼ばれる居室に戻ります。房と房は距離があり、隣の房を覗き見ることもできなければ、夜間は宦官の監視もあり行き来をすることができません。だから、私たちが知っているのは房に戻った女官が朝になると腹を裂かれて死んでいるということです」


 後宮は広大な敷地内に二つの庭園があり、それらを囲うように通路と房が並んでいる。皇帝が夜に房を訪れることも考えて、房は距離が離され、窓はすべて庭園側に向けられ隣には向いていない。


「宦官が監視をしているのなら、彼らは犯人を見ていないのですか?」


 柳貴人は形の良い頭を振る。


「彼らは誰の姿も見ていない、というのです。また、房には鍵があり、中からしか開けることはできません」


 ずいぶんとおかしい話である。


 宦官は誰も見ていない。


 房に入るためにはなかにいる女官が鍵を開けなければならない。

 犯人は姿が見えないにもかかわらず、女官は見えないものを房に招き入れていることになる。


「人には見えず。女官は殺されるのが分かって鍵を開ける。まるでなにかの怪異のようですね」

「確かに怪異なのかもしれません。あるいは私たち袁州人を狙った呪いでしょう」


 柳貴人は疲れたような声であたりの女官を見渡す。彼女たちも気持ちは同じなのか頷いた。


「とはいえ、怪異じゃない可能性もあるでしょう」

「違う可能性と言われても……」

「宦官が女官を殺している可能性です。彼らが殺しているのなら監視から見えないというのも当然です。なんせ自分を自分で監視することはできないでしょうから」


 そう言いながら、私は宦官が殺したとは思えなかった。宦官からすれば自分たちが監視しているなかで事件が起きればその責任は自分たちに向かうのだ。そんな割にあわないことをする必要が彼らにあるとは思えない。


 女官のほうにしても夜半に訪れる宦官に鍵を開ける理由がない。そのような訪問者は怪しむべきだからだ。


「何のために……」


 柳貴人が扇で口元を隠しながら驚きの声をあげる。


「金を積まれればやるものもおりましょう」

「それでもまさか。いまの宦官長は先帝の頃からの臣下です。宦官の管理にはひときわ気を使い。賄賂なども許さぬようにしていると聞いております。そのようなこと……」


 ないとは言えない。


 宦官長が信用できたとしても、その部下すべてが信用できるわけではない。


「いまのは仮の話です。可能性はまだ多くあります。そのすべてをつぶすことが私の仕事です」

「……分かりました。女官たちには宦官さえも疑うように言い含めます」

「他になにか気づかれたことは?」


 女官たちを含めて柳貴人たちが思案するが明確な言葉となって出てくるものはなかった。ただ、一人の女官が、夜半に空に浮かぶ鬼火を見た、と言った。それはこの乱れた後宮の中で報告された怪異の中の一つだった。


 怪異はこれのほかにも房の上から恨めしい表情で睨みつける女や人語を話す犬を庭園で見たという話もある。およそこれらは同一の話とは思えない。


「……陛下はこのことでなにか言っておられませんでしたか?」

「特には、ただ後宮の乱れを危惧されていました」


 そういうと私は、彼女らのもとを去った。皇帝の居室に戻ると、皇帝サマは相変わらず偉そうに私に背を向けて待っていた。捨てた女の顔など見たくないのだろう。鏡に向かったまま皇帝サマは背後の私を見ているようだった。


「どうだった?」

「おおよそ、皇帝サマの思う通りでしょう。在位一年、最短の皇帝でしたね。きっと民はあなたを忘れるから私だけは覚えておいてあげます」

「余が死ぬときは臣下であるそなたも死ぬときだろう」

「横暴は良くないと思うな。私は死にたくない。そもそも死ぬ気なんてないでしょうに」


 皇帝サマは少しだけ笑った気がした。だが、それはわたしからは見えない。

 私からは彼の背中しか見えない。例え、彼がどれだけ面の良い皇帝であっても見たいとは思わない。見ればきっと思うだろう。気にくわない顔してる、と。


「どうかな。皇帝になった時点で死んだようなものだ。だが、殺されてやるいわれもないだろう」

「一番簡単な方法を言いましょうか?」


 皇帝だけに許される方法がある。


「どうせろくでもないのだろうが言えばいい」

「私が会ったすべての人間を反逆罪で殺しつくしましょう。実に皇帝的で端的で問答無用。最高でしょう」

「暴君だな」

「そりゃ、あなたは暴君ですもの」

「そう在れれば楽だろうが、そうはいかない。反逆罪ならその証明をしなければ」


 淡々とした声がする。私の嫌いな声だ。虫唾が走る。


「なら証明しましょう。どうして女官は殺され、腹を裂かれたのか。そして、誰が皇帝サマを殺そうとしているのかを」


 面倒だと思いながら、私は笑っていた。とても楽しかったから。

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