1話 国境の街へ
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昔、姉さんは言っていた。なぜ人と魔族は争い合うのか、と。僕は確か、魔族が人よりずっと強くて、戦えば勝てると分かっているから、なんて答えたっけ。
今になると分かる。その答えはどこか的外れで、生き物同士が争うことにはっきりした理由なんてなかったんだ。ただ、現状にお互い満足していないから戦う。奪うために戦う。憎いから戦う。怖いから戦う。
初めの理由なんて、きっと誰も覚えてなんかいない。
それでも、姉さんは戦争の終わりを願っていて。僕も姉さんを助けたかったから。だから僕は、考えて、考えて、とうとう決めたよ。
連綿と続く戦いの連鎖を、一個人が止めるためにどうするか。
姉さん、僕は。
――僕は、魔王国で兵士になる。
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よく晴れた日の、王国辺境へ向かう街道にて。からりと乾いた風を切って、擦り切れた石畳の上を荷馬車が進んでいる。
御者席で手綱を握る壮年の男は、隣に座る青年になりかかった少年のようにも見える男――僕に顔を向ける。
「セイル、そろそろ目的の街が近づいてきた。あと数刻もすれば着くぞ」
「そうみたいですね。さっきからすれ違う馬車が増えてきました」
「ああ。街と街をつなぐ乗合馬車もあったが、だいたいが俺と同じ行商だった。街で商品を売って、帰っていく者たちだ」
男はかすかに顔を動かし、背後の積み荷へと視線をやった。
「さあ、俺も稼がせてもらおう。魔王国との国境だ、武器が良く売れるぞ」
男は、王都で仕入れた武具を辺境の街で売る行商だった。
現在、王国は隣国の魔王国と戦争状態であり、これから向かう先は国境付近のもっとも大きな街だ。駐在している王国軍兵士の数もかなり多く、戦いで傷んだ武具の代わりの需要も多い。商人にとっては良い稼ぎ場ということだ。
これからの稼ぎを想像しているのか、男の顔はかすかにほころんでいる。機嫌よさげに鼻歌まで歌っている。
「しかし、お前さんも変わり者だなあ。そんな頼りないなりで国境近くの街までやってきて、王国軍に入りたいだなんてなあ」
「あはは……」
「王都の軍で、兵役は済ませてきたと言ってたよな? 俺だったら、こんなところの軍に入って危ない思いはしたくないがなあ。まあ、立派な志ではあるか」
あいまいな笑みを浮かべる僕をよそに、おじさんは一人うなずいたり首をふったりと忙しい。
たしかにおじさんの言う通り、わざわざ国境の街で軍に入りたいなんて、そんなことを言うやつはそういないだろう。同じ王国軍といえど、王都と国境の危険度は天と地ほど違う。王都でぬくぬくと訓練している兵たちと違い、国境の兵は日々魔王国の魔族たちとしのぎを削っているのだ。そんなところへ行きたいと思うのは、腕に自信があり、国を憂う心を持つ、そんな勇士くらいなもの。
自分がそうは見えない自覚があるからこそ、僕ははっきりしない笑みを浮かべている。
それに、僕がここまでやってきた本当の目的は、おじさんの言う通り国境の王国軍に入ることではない。確かにこの先の街で兵士になるつもりではあるけど、それはあくまで目的に対する手段であって、本当の目的はとても人には言えないものだ。 辺境の街への交通手段は馬車を使うくらいしかないため、いくらかのお金を払って、表向きの理由を伝え、おじさんの馬車へ同乗させてもらっているのだ。
一応、野生の魔物なんかが出た時には、王都で兵役をこなした元王国軍人として、おじさんと荷物を守るという話にはなっているが、あまり体が大きくなく、筋肉もそれほどないように見える僕に、そこまで期待されていないのがひしひしと伝わってくる。
まあ、今のところ危ない魔物が現れることもなく、無事に街まで付きそうだからいいか。
僕は一応周囲の警戒はしたまま、しゃべり続けるおじさんの言葉へ相槌を打った。そうして、もう街が見える小さな丘までやってきた馬車は、そのまま丘を下り、街道脇に並ぶ木立と並行して歩みを進める。
おじさんの話し声をうしろに、馬車は何事もなく街に到着するかに思われた。
――異変が起こったのは、立ち並ぶ木立の真ん中あたりまで来た時だった。
「――アオオオォォン……」
「な、なんだ?」
「……遠吠え?」
木立の方向から、狼の遠吠えのような声が聞こえた。おじさんは見るからに焦った顔で、しきりに木立を見やる。
「こ、こんな街に近いところで魔物が? いったい、王国兵たちはなにをやっているだ。積み荷を襲われたらたまらない、早く通り過ぎよう」
おじさんが指示を出すと、馬は小走りで馬車を引き始める。揺れが大きくなった馬車の上で、僕たちは声を潜めるように会話する。
「遠吠え、まだ続いてますね。それになんだか、少しずつ近づいてきてるような……」
「や、やめてくれ。大丈夫、整備された街道で魔物に襲われるなんて、そんなことはめったにないんだ。このまま街まで行けるさ」
「でも、やっぱりさっきより鳴き声が近づいて……」
遠吠えはまだ少し遠いが、明らかに先ほどより近づいてきている。顔を白くさせ始めたおじさんは気にせず、僕は木立の奥へと視線を集中させる。
声はまだ遠い。木立の終わりもそろそろだし、おじさんの言う通りこのまま行ける……?
一瞬安心したせいではないだろうけれど、魔物の心配は大丈夫かと思ったその時だった。
「な、なんだっ?」
木立のすぐ近いところで、草木ががさりと揺れた。そしてその次の瞬間、鈍い銀色の影がこちらへ飛び出してきた。