7話
「私の判断ミスです。申し訳ありません。一度体験してから……と思いましたが、こんな騒がしい食事はお嫌でしたね」
「閣下の笑顔が怖かったんだよねー……」
マチルダとコニーが席を立ち、急いで私の両脇へとやってくる。
私が落ち着くようにだろう。
マチルダは私の背中に手を当て、優しく撫でる。コニーは清潔なハンカチを取り出し、私の流れていく涙を押さえてくれた。
「ごめんなさい、違うの。これは……その、うれしくて……」
二人を安心させるために、告げた言葉。半分は真実で半分は嘘。
「私は……人と食卓をともにすることがなくて……。だから、みなさんの会話を聞きながら、同じテーブルで同じ食事を摂っていることが……うれしかったのです」
そう。うれしかったのだ。
伯爵家に生まれた私。物心ついたときにはすでに食事はひとりぼっちだった。
幼すぎて忘れただけかもしれないが、記憶をたどってみても、一緒に食事を摂った経験はない。
調理場で作られた料理を自分で部屋に運ぶ。そして、それを一人で食べて、一人で片付ける。
ダイニングでは父母と妹が三人で食事をしているようで、いつも笑い声が聞こえていた。
「驚かせてしまってごめんなさい。みなさんは話を続けてください。私も食事を続けます」
涙は止まらない。けれど、自分で思っていたよりも、声は震えなかった。
コニーからハンカチをそのまま受け取り、マチルダの手をそっと外す。
二人に「ありがとう」とお礼を言えば、二人は視線を交わし合ったあと、席へと戻っていった。
それを確認し、もう一度、きのこのポタージュを口に入れる。
「お、いしい……」
二口目もやっぱりおいしい。私の体の芯をじんわりと温めていく。
その瞬間、また、ぽろりと流れ落ちた涙を、コニーのハンカチで拭った。
「……うれしくて」
みんなの視線が集まったのを感じたので、もう一度、それを伝える。
そう。これはうれし涙なのだ。
……でも。
本当は……。
それに覆いかぶさるように、悲しみと痛みが押し寄せる。
辺境伯の言葉と笑顔を見たときに気づいてしまったのだ。
私は……。
――父にこうしてほしかったのだ、と。
背中に当てられたマチルダの優しい手。
……これが、母であってほしかった。
頬を拭ってくれるコニーの小さな手。
……これが、妹のものであってほしかった。
自分が恥ずかしい。
優しくしてもらったのに、こんな望みが心に浮かぶ。
――父母と妹。
――そこから離れて存在している私。
そんなこと、ずっとわかっていると思っていた。
もう心は動かないと思っていたのに、こんな些細なことで涙が止まらない。
……私の心は悲しみと痛みを忘れたわけではなかった。
幼いころに「愛されたい」と願った私。その幼い私はずっと心の中にいて……。あまりにも悲しくて痛かったから、それを考えないようにしていただけなのだ。
「あなたが望めば、これが毎日だ」
辺境伯は私を励ますように、そう告げた。
私がずっと望んでいた食卓。優しさと温かさのある場所。
……望めば、それが手に入る。
「……ありがとうございます」
どんなに願っても、私には与えられなかった。
それでも私はきっと、「もしかしたら」と思っていたのだろう。
努力をし続ければ……いつか愛されるかもしれない、と。
……初めて食卓に呼ばれたあの日。
読みかけの本を放り出して、急いで駆けつけたあの場所。
そこで、私は――
『そうだ。私の代わりに、お姉さまが行けばいいじゃない!』
――妹にそう言われた。だから、ここに来たのだ。
『――お前が代わりに死ね』
そう言われて……。
「リル様、オムレツもとてもおいしいですよ」
手を止めてしまった私にマチルダが優しく声をかけてくれる。
視線を向ければ、マチルダはフォークでオムレツを掬い、ぱくりと口に入れた。
「うーん! おいしいです」
マチルダがそう言って、榛色の瞳を輝かせる。
きらきらと光るその瞳につられて、私の口角がふっと緩んだ。
「……私も食べてみます」
黄色いオムレツはふんわりと形を保っている。そこにナイフを入れれば、半熟で、断面はとろとろだ。
慎重にフォークに載せ、口へ入れれば――
「おいしい……」
ふんわりと香るバターと、とろけていく玉子。表面にはしっかりと火が入っているから、食感の違いも楽しめた。
マチルダの言う通り。……本当においしい。
「あ! あ! あの! こっちのソーセージもおいしいですー!」
コニーはそう言うと、私に向かってソーセージを食べてみせる。その姿がかわいくて、また、私の口角は緩んだ。
「こちらのサラダもおいしいですよ」
斜向かいに座っているジャックもそう言って、サラダを食べてみせてくれる。
「……パンもうまい」
辺境伯はそう言うと、てのひらサイズのパンを半分にちぎり、それを豪快に口に入れた。
「パンって……」
「パンもおいしいけどー……」
「もっとほかにあったのでは?」
そんな辺境伯に騎士たちが呆れ顔をしている。
その飾らない関係が、心地よくて……。そこに私も加わっているのが信じられなくて……。
「みなさん、本当にありがとうございます。……涙も止まりました」
気づけば、涙は止まっていて、残ったのは、優しさと温かさ。
それと――
「しっかり食べます」
――悲しみと痛み。
でも、もう涙は出ない。胸のしくしくとした痛みはただそこにあるだけで、悲鳴を上げたりはしなかった。
「……ここは素敵な場所です」
……私の望みがすべて詰まっている。
願ったものが、ここなら、すべて叶えられる。
――私が妹の身代わりだから。
私が私でなくなれば……。妹になれば……。
こんなにも簡単に、望みが叶う。
「ごめんなさい……」
小さくこぼれた謝罪は、だれにも届かなかったかもしれない。それでいい。これは自分を守るための謝罪だから。
私は、こんなにも優しく、温かい人たちに嘘をついている。
ここに嫁ぐのは妹だったはずなのに……。私は死ななければならなかったのに……。
今すぐ、正直に話すことができれば、この人たちを裏切らなくていい。なのに、それもできない。
愛されたかった私が……。父母と妹の愛を諦められない私が……。
愛されたいと泣いていた幼い私。それは今もまだ心の中にいて、家族の愛を願っている。
食事を再開した私は、もう手を止めない。
どの食事もおいしくて、気づけば食べ終わっていた。
辺境伯と騎士も食事と一通りの話を終えたようだ。
すると、ジャックが私をじっと見たあと、「そうだ」と提案をした。
「今日、閣下の仕事はあまりありません。閣下はリル様とお出かけになるのはどうですか?」
ジャックの言葉にマチルダとコニーが賛成! とすぐに乗った。
「リル様はまだ慣れていないこともあるでしょう。そういう時間も大切かもしれません」
「すごくいいと思うー! リル様はまだこの土地を知らないだろうし、閣下が案内してあげると、すごくいいんじゃないかなー?」
私は騎士たちの顔を見て、それでいいんだろうか、と目を泳がせた。
辺境伯自らが案内するなんて、迷惑ではないだろうか……。
「私は……お仕事の邪魔をするわけには……」
そう言葉に出してみたけれど、強く否定することもできない。
すると、辺境伯は首を横に振った。
「邪魔ではない」
「ええ。閣下が紳士に。かつユーモアを交えて、笑顔を引き出してくれることでしょう!」
ジャックはそう言うと、辺境伯をじろりと見た。
辺境伯は三人の言葉を受け、「ああ」と頷く。
そして――
「……魔物の森へ行くか?」
――私を魔物の棲む森へと誘った。
「は?」
「えー……」
「なんでそうなったんですか!?」
その瞬間、騎士三名はガタッと椅子から立ち上がった。