6話
ベッドで横になり、気づけばもう翌日だった。
魔物の棲む森へと入ったのが昼過ぎ。辺境伯に助けられ、休息とすこしの会話をしたのは夕方前だろう。
つまり、私は夕方から翌朝までぐっすりと眠ってしまったということだ。
ベッドに潜ったあとに考えごとをしようと思っていたのに……。マチルダに優しく頭を撫でられ、トントンと胸を叩かれ、気づいたら入眠していた。
だれかにこんな風に甘やかされたことがなかったから……。
疲れていた体と限界を迎えていた精神はあっという間に眠りに落ちてしまったのだろう。
「ご、ごめんなさい……、朝の……仕事を……っ」
ベッドから跳ね起き、窓へと視線を移す。
すでにカーテンの開けられた窓の向こう。陽はすでにかなり登っていた。
胸がどくどくと鳴る。
あれはまだ私が小さいころ。こんな風に疲れて朝寝坊をしてしまった日、父に頬を叩かれることがよくあった。
成長し、朝にしっかりと起きられるようになってからは、こんなに寝坊をしてしまうことはなかったのに……!
慌てて、ベッドから降りると、急いでいたせいか足がもつれた。
「あっ……!」
「どうしました、リル様」
前に倒れ込みそうになった私をだれかがそっと支えてくれる。
おそるおそる顔を上げれば、そこにあるのは榛色のポニーテールと、同色の瞳。
ああ……。そうだ。ここは……。
「あ、ごめんなさい……マチルダ」
「いいえ、混乱されたのですね。無理もありません」
マチルダに支えられた体に力をいれ、しっかりと自分で立つ。
寝ぼけて、伯爵家の記憶と現在が混ざり合ってしまった。
ここにはもう父母と妹はいない。朝の仕事も今の私にはない。
――妹の身代わりに嫁いだ私は、殴られるようなことはないのだ。
「それより、リル様、お腹が空いてはいませんか?」
マチルダは私の様子のおかしさに気づいただろうが、そこには触れずに笑顔を浮かべた。優しい笑顔だ。
「昨夜、食事のためにリル様を起こそうかとも思ったのですが、睡眠をとるほうが先だろうと閣下と相談したのです。そして、よく眠ったあとは食事です」
「……はい」
昨日、マチルダがずっと私の頭を撫でて、胸を叩いてくれたからだろう。
たった一日しか経っていないのに、無条件でマチルダの声が好ましく響く。
マチルダが言うならそうしてみよう、と。
そういう気分になるのだ。
「朝食は一階にあるダイニングにて食べることになっています。……これはちょっとリル様には申し訳ないのですが、そこには閣下がおり、……それだけでなく騎士も一緒に食事を摂っております」
マチルダは言い辛そうに説明をした。
ここは辺境伯の屋敷だから、辺境伯がダイニングで食事を摂ることはおかしくない。だが、騎士も一緒というのはどうなのだろう。
一般的な食卓というのがわからないけれど、マチルダの様子から見ると珍しいことなのかもしれない。
辺境伯や騎士が食事をしている場所に私が行ってもいいだろうか……。
「私が行くとお邪魔でしたら、私はどこでも……」
「いえ! リル様が邪魔など、とんでもない。私はリル様が緊張するのではないかと思ったのですが」
「私は……みなさんの迷惑にならないようにします」
私の答えに、マチルダはうーんと考える。
そして、よしと頷いた。
「一度、行ってみましょう。それがしんどいようでしたら、私に言ってください。明日からまた違う方法をとります」
「……はい」
そうして、私は急いで朝の支度を終わらせると、一階のダイニングへと向かった。
ダイニングにあったのは大きなテーブルと七つの椅子。すでに辺境伯と茶色い髪の騎士が席についていた。
「おはよう。よく眠っていたな」
「……はい」
辺境伯が私を見て、すこしだけ目を緩める。そうすると、鋭い金色の眼がやわらかくなったように思えた。
「おはようございます。席はこちらです」
茶色い髪の騎士は席を立ち、私のために椅子を引いてくれた。
マチルダにエスコートされながらそこまで行き、椅子へと座るタイミングで茶色い髪の騎士が椅子を戻してくる。
……完璧に、貴族の令嬢の扱いだ。
私がこういった経験をすることはなかったが、教養として身に付けておくことは必要だと考えたから、必死で本を読んで、一人で椅子に座る練習をしていた。
実践ははじめてだったので、上手くできているか緊張したが、辺境伯もマチルダも茶色い髪の騎士も眉を顰めていない。
きっと、うまくできたのだろうとほっと息を吐く。
すると、辺境伯が口を開いた。
「リル・エバーランド嬢。筆頭騎士のジャックだ。主に私の片腕として勤めている」
どうやら、騎士の紹介をしてくれるようだ。
辺境伯に示された茶色い髪の騎士は、昨夜マチルダがしてくれたような、騎士の礼をとった。
「筆頭騎士のジャックです。閣下の至らぬところは多々あると思いますが、どうか長い目で見ていただきたいのです。閣下をよく見ていただければ、必ず……必ず、その魅力が伝わる……はず、と信じたい。そういう気持ちです」
「……ジャック」
筆頭騎士は朗々とそう言うと、頭が痛いと額に手を当てる。
辺境伯は低い声で筆頭騎士の名前を呼んだが、筆頭騎士は気にせずに私に手を差し出した。
「どうぞジャックとお呼びください。困ったことがあれば私へご相談を。解決いたします」
「あ……ありがとう、ございます……」
握手を求められているのだと気づき、慌ててその手を握る。
茶色い髪の筆頭騎士――ジャックは優しく握り返すと、そっと手を離した。
「さあ、冷めないうちに食事を。朝は待ってくれません。……にしても、コニーが遅い」
「呼んできます」
ジャックの言葉にマチルダが動いた。
けれど、マチルダがダイニングから出る前にバタバタっと足音がして、扉が開かれる。
「遅くなりましたー!」
入ってきたのは少年の……騎士だろうか。私より年齢が低いかもしれない。
夕日のような色の髪がふわふわと揺れている。そして、一束だけピンと上に立っていた。
「この寝ぐせが全然直らなくてー」
「今も直っていない」
「えー……!」
少年の騎士はがっくりと肩を落としたあと、あっ! と顔を上げた。
視線の先にいるのは……私だ。
髪と同じ、夕日色の目がきらきらと輝いている。
辺境伯もそれに気づいたらしく、私へその少年の騎士を紹介してくれた。
「コニーだ。従騎士としてここにいる。これからはマチルダと共に行動することが増える」
「はーい! コニーです! はじめまして! コニーと呼んでください。マチルダさんとともに、お手伝いをさせていただきますね!」
元気よくにこにこと挨拶をすると、その場でぺこりとお辞儀をした。
「では、朝食を摂りましょう。騒がしくて申し訳ありません」
ジャックさんは苦笑すると、そのまま席へと着いた。
中央には大きなテーブル。
私の正面には辺境伯がおり、辺境伯の右隣にはジャックが座っていた。そして、私の左にマチルダが座り、その横にコニー。
席は七つあったから、二つ余っている。
テーブルの上にはすでに料理が置かれていて、給仕をする従僕や侍女はいないようだ。
「では、食べよう」
辺境伯の言葉を合図に、朝食が始まる。
私は自分のマナーに自信がなくて、食事には手を付けず、目の前の料理と辺境伯と騎士たちの様子を窺った。
テーブルに載った料理は五つ。
てのひらサイズのころんとしたパン。スープ皿に入れられたポタージュ。メインのお皿にはみずみずしいサラダが脇に盛られ、中央には三本のソーセージと、黄色いオムレツが載っていた。
辺境伯や騎士たちの食べる様子を見るに、特別なマナーはないように思う。どの皿を食べるか、順番もバラバラだ。
給仕がいないため、一度に並べられた食事を、各々が好きなように食べているのだろう。
「今日の予定だが」
食事の沈黙を破ったのは、辺境伯だ。
食事中は話をしないということもないのだろう。むしろ、食事中に今日の予定を話しているようで――
「リル様」
辺境伯とジャックが話しているのを見つめていると、隣に座っていたマチルダがそっと声をかけてきた。
「なにか食べられないものでもありましたか? 体調の悪さが続いているとか……。先ほどから食事が進んでいないようなので……」
「あ、ごめんなさい、違うの。……すこし慣れなくて」
「そうですよね」
マチルダは申し訳なさそうに眉を寄せた。
「マナーもなにもあったものじゃないんですが、ここではこんな風に朝食を摂りながら、一日の流れを決めたり、情報の共有をすることを日常にしていて……。魔物の森のこともありまして、どうしても午前中に仕事が偏ってしまうのです。なので、無駄な時間を省き、かつ安全に……と、こんな形になってしまいました」
「閣下が言い出したんだよー!」
マチルダの言葉に、コニーが付け足す。
辺境伯はそれに無表情で答えた。
「社交マナーで安全は買えない。時間も無駄にかかるだけだ」
「ええそうです。その通りです。公私混同も甚だしいですが」
「なにが起こるかわからないのがこの土地だ。その分、午後はなにもしない」
「ええ私はわかっていますとも。朝食兼朝礼。正直に言うと非常に楽です」
辺境伯とジャックのやりとり。
そこに、コニーとマチルダも加わる。
「僕もー! ぎりぎりまで寝れる!」
「食事の心配がないのはいいですね」
どうやら今、ここで行われているのは朝食兼朝礼らしい。
それで、マチルダは私をここへ呼ぶか迷ったのだろう。
それを理解したとき、ふっと目の前に紗がかかった。
――ここにいて、いいわけがない。
心でそう声がした。
出来損ないの姉がなぜ、同じ食卓についているのか? と。
紗のかかった景色から逃れるように顔を伏せる。
すると、低く落ち着いた声が響いて……。
「落ち着いた場所が良ければ伝えてくれ」
それは……辺境伯の声。
「あなたが無理をして合わせる必要はない」
そして、辺境伯の言葉をかみ砕くように、マチルダが続けた。
「リル様はもっと落ち着いた場所で食べていらっしゃったと思うのです。ですので、この騒がしさが負担になるようならば、必ず教えてください」
マチルダは私を気遣うように、そう説明した。
その言葉に嘘はなくて……。
辺境伯もマチルダも私を気遣ってくれている。それがわかると同時に……。
「ごめんなさい……胸が……」
胸が……痛い。しくしくと、痛い。
でも、その痛みから逃れるように、私はスプーンを手に取った。
そして、クリーム色のポタージュを掬う。
とろりとしたスープを口に入れれば――
「……おいしい」
広がる旨みとやわらかなクリームの舌触り。どうやらきのこのポタージュだったようで、鼻腔からはきのこの芳しい香りが抜けていった。
アツアツではない。けれど、喉を通ると、体全体がじんわりと温まるのがわかった。
「そうか、おいしいか」
聞こえたのは……うれしそうな声だった。
その瞬間、目の前から紗が消え、つられるように顔を上げる。
そこにあったのは――
「俺も、きのこのポタージュが好きだ」
――鋭い金色の眼を優しく細める男性。
――私を見て、笑顔を浮かべる……辺境伯。
ああ……あなたは……。
私が食事をおいしい、と。そう思っただけで。そう呟いただけで。
こんなにも優しく笑ってくれる。
「リル様っ!?」
「どうしたんですかー!?」
気づけば私は、ぽろぽろと涙をこぼしていた。