4話 ハイルド視点
今日は俺の領地にしては珍しく、すこし暑いぐらいの朝だった。
午前中に一通りの公務を終わらせ、俺付きの騎士たちと巡回に出たのだ。
地下迷宮には魔物が潜んでいるが、すべての魔物が地上へと出てくるわけではない。
また、森は鬱蒼としており、しばらくは森の中へと魔物を留めることができる。
俺は辺境伯として、その森や周辺の村や町を巡回することを日常としていた。
とくに変わらない一日。
魔物の襲撃もなければ、領民に変化もない。
――が、いつもと一つだけ違うことがあった。
森へ入ろうとする、村人の姿を見つけたのだ。
「どうした? 森に入るのか?」
もう、昼過ぎだ。魔物は夜に向けて活動が増えるため、領民は昼を過ぎた森へ入ることはない。
だが、珍しく、一人の男が森へ入ろうとしていた。
声をかければ、男は畏まって答えた。
曰く、森から出た馬車の馭者に、森を見てくれと頼まれたのだという。すこしばかりの金をもらったことと、その馭者がひどく心配していたことが気にかかったらしい。
「だれかいるのか?」
「わかりません。なにもなければそれでいい、と。ただ、もし変なことがあれば、だれかに報告してほしい、と。それだけです」
「そうか」
そんな曖昧な依頼で森へ入ろうというのだから、この男も気になっているのだろう。
そして、俺自身も、ざわめきのようなものが、胸に起きた。
……このままにはしておけない。
俺は馬に跨り、頷いた。
「俺が行く」
「え、ちょ、まっ!! 閣下!」
うしろから、俺付きの騎士たちの声が聞こえたが、気にせずに森へと走っていく。
あいつらならば、直に追いつくだろう。
そして、勘を頼りに馬を走らせれば、そこに彼女はいた。
地面から伸びた、たくさんの魔物の触手。
最初は、怯えて動けなくなっているのだろうと思った。
けれど、彼女はそれとはまた違った表情をしていたのだ。
諦め……と言えばいいのか。自分のこれからを受け入れている。そこに抵抗する気はないのだろう、と。
彼女に向かって、一斉に魔物の触手が動く。
俺は馬から降りると、彼女のもとへと地を蹴った。
その体を胸に抱き、向かってくる触手を切り伏せる。
彼女は怯えたためか、すこし足を動かしていたが、それも魔物を斃せば、なくなった。
話をしていくうちに、彼女の頬は次第に色づいていく。緊張がほぐれたためか……。諦めではない色が目に宿り、私に感謝を述べたとき、私はようやく安心できた。
そして、彼女が浮かべた笑顔は……。
ああいう笑顔を『花が咲いたようだ』というのだろう、と柄にもなく、詩的な表現が心に浮かんだ。
すこし見惚れてしまい、女性に対して失礼だとすぐに目を逸らしてしまったが。
でも……今の彼女はどうだろう。
あの笑顔は失われ、顔からは血の気が引いていた。
俺が――ナイン辺境伯領の領主、ハイルドだと気づいてからは……。
「なぜ、彼女が森にいたか。俺は三つ思いついた」
かわいそうに、血の気を失ってしまった彼女はとりあえず、俺の屋敷へと連れて帰り、今はベッドで横になっている。
客間にいる彼女を残し、俺は俺付きの騎士を集めていた。
彼女について、一緒に考えたいと思ったからだ。
「一つ。誘拐された」
俺の執務室。五人の騎士はそれぞれ適当なところに居場所を作り、俺の話を聞いている。
そんな彼らに人差し指を立て、一つ目の考えを伝えていく。
伯爵令嬢である彼女ならば、辺境伯領へと入る前、あるいは入ったところで誘拐されていてもおかしくはない。
馬車で森に入ったという情報もあることだしな。
だが、騎士五名の反応は悪く、全員、うーんと首をひねった。
「誘拐なら、森に置いていくのはダメだと思いまーす!」
一番年下の従騎士が挙手をし、意見を述べる。
たしかにそうなのだ。
伯爵令嬢である彼女が、供も連れず、あの森に一人でいたということは、誘拐が成功したということだろう。
なのに、彼女を森に置くというのは、益にならない行為だ。
「誘拐なら、身代金などが目的でしょうが、そういった要求はありません。また、馬車の馭者が彼女を心配していたという情報も気になります」
「そうだな……」
俺付きの騎士の筆頭。茶色い髪の騎士が冷静に意見を述べる。
周りの騎士も同じ意見なのだろう、異を唱えるものはいない。
俺としても、その考えを覆すような情報はないため、次の考えを示すことにした。
「二つ。道に迷った」
二本目の指を立てる。
単純に……。俺のもとへ来るはずの馬車が道に迷い、森へと入り込んでしまった。そこを目的地だと勘違いした伯爵令嬢が馬車を降り、馬車は帰ってしまったとしたら……。
「ありえないと思いまーす!」
「ありえないかな」
「ありえないんじゃない?」
「ありえないな」
「今、思考の道に迷っているのは閣下では?」
が、これにも騎士五名の反応は悪い。そして、筆頭騎士の嫌味がついてきた。
だから俺は、しかたなく三つめの考えを口にした。
「三つ。……俺との結婚が嫌で、世を儚んだ」
これであってほしくない。
けれど、これまで反応の悪かった騎士五名は、はいはいはいっ! と手を挙げた。
「三でーす!」
「三ですかね」
「三でしょうか」
「三だと思うぞ」
「逆に、三以外がありえると思える閣下は、割と自己評価が高いですね」
満場一致。三。
最後は筆頭騎士に嫌味まで付け加えられた。
「……彼女を伯爵家まで帰せないものか……」
俺はぐぅと喉を鳴らして、そう呟いた。
俺との結婚が嫌で、世を儚み、魔物の棲む森へ入るなど、よほど追い詰められていたと見える。
「しかし、王命です。閣下は無視しても問題ありませんが、伯爵家はただの貴族です。閣下と違い、王命に逆らうほどの力はないでしょう」
そうなのだろうな、と思う。
俺は王命など無視すればいいと考えていたが、伯爵家にとってはそうではなかった。
「……かわいそうなことをした」
望まぬ結婚を強いられるなど、つらいことだったに違いない。
それが、魔物の棲む森に入る決断につながったのだとすれば、きちんと手を打たなかった俺の責任だ。
「とにかく彼女には休息が必要だろう。……マチルダ、彼女の警護と世話を頼んでもいいか」
「はい。お任せください」
俺付きの騎士五名の中で唯一の女性であるマチルダに彼女のことを頼む。本来ならば侍女などがいればいいが、あいにくこの屋敷には掃除や料理、洗濯などを依頼している者たちはいるが、貴族の女性の世話をするような教育を受けてきたものはいない。
マチルダは騎士であり、本来の役目からはすこし逸れてしまうが、やはり同性のほうがいいだろう。
マチルダも否と言うことはなく、受けてくれた。
「あとは、マチルダの補佐だ。コニー頼めるか」
「うん。大丈夫だよー!」
マチルダ一人だけで、彼女の警護と世話をすべてすることは難しいだろう。できるだけ彼女に警戒されないよう、一番年下であり、従騎士のコニーに補佐を頼んだ。
「エドとゴランは、エバーランド伯爵家を調べてほしい。なにもなければそれでいい。だが……」
すこし、おかしいと思うのだ。
「彼女の体はその身長に比べて、非常に軽く感じた。……それが体質であったり、彼女が望んだものであるならば、問題ない。俺の杞憂であれば」
そこまで伝えると騎士五名はそれぞれ目配せをし合った。
そして、慎重に頷く。
「エバーランド伯爵家は由緒正しい家柄です。最近では商売を始め、それが軌道に乗ったようで羽振りがよくなっているという噂もあります。ご令嬢のことだけでなく、そのあたりも調べてみるといいかもしれない」
「オッケー」
「わかった」
筆頭騎士の言葉に、長い髪を一つにくくった騎士エドと、一番年上の騎士であるゴランが頷く。
二人であれば、市井に紛れて情報収集することも可能だろう。
「とにかく、閣下は女性に怖がられるのですから、そこを忘れないでください。エバーランド伯爵令嬢にお会いするときは紳士に!」
「……わかった」
筆頭騎士であるジャックにそう言われ、俺は神妙に頷いた。