3話
状況が呑み込めず、思わず足をぱたぱたと揺らす。
その間に、赤い髪の男性は、手にしていた剣で、ザッと木の根を切り払った。
「すごい……」
思わず呟いてしまう。
私を左手一本で抱きかかえ、右手で剣を持ち、木の根を切り払う。普通はそんなことできないだろうに、男性はそれをいとも簡単にやってのけた。
そして、それと同時に私はあることに気づいてしまう。
――助けられてしまったのだ、と。
「あ、あの、大丈夫です、あの……」
降ろして欲しくて、より強く、ぱたぱたと足を揺らす。
あの根に私は突き刺されないと……!
でも、男性はそんな私の抵抗をまったく意に介さない。
「まだ、本体が残っている」
そう低い声で呟くと、私を抱えたまま地を蹴った。
向かったのは、私が凭れていた木のちょうど向かい側の木。
どうやらそれが木に擬態した魔物の本体のようだった。
そして、その木の幹がちょうど男性の腰あたりのところで、スパッと斬られる。
男性は幹の倒れる位置も調整していたようで、木が私たちへ向かってくるようなこともなく、奥のほうへ向かって倒れていった。
「私の……未来が……」
……私がやるべきこと。それは、妹の代わりとなり死ぬことだ。
それが、今、あっという間に崩れていってしまった……。
思わず呟けば、男性の体がぴくりと揺れたのがわかった。
男性は剣を腰の鞘に納めると、片手で支えていた私の体を両腕で支えるように持ち変える。そして、じっと私を見て――
「あなたは、なぜここへ……?」
当然の問いかけ。
でも、私はそれに答えられず、顔を伏せた。
本当ならば助けてもらったことに感謝を述べねばならないだろう。だが、今、私の心にあるのは感謝ではなくて……。
私はここで死ななければならなかったのに、助けられてしまった。
どうすればいいんだろう……。
考えて……。すると、すぐに答えを思いついた。
――別人を装おう。
メリル・エバーランド。辺境伯へと輿入れした彼女は、魔物の棲む森で亡くなった。
馭者は生きているはずだから、きっと父に私を森まで送り届けたことは伝わるだろう。
そして、私の持っていたトランクは木の魔物の根により、吹き飛ばされボロボロになった。一緒に持ってきた書類や衣服も穴が空いてしまったが、それがいい証拠になるはずだ。
とにかく、ここはやり過ごす。
そして、近くの村や町で、仕事を見つければいいのではないだろうか。
本ばかり読んでいた私が、本当にうまくやっていけるかはわからない。
だが、どうせここで死ぬのならば、一度ぐらいは挑戦してもいいのではないだろうか。
「あ……ありがとうございました」
さっきまで自分の死を受け入れていたはずなのに、自分の気の変わりようにすこし驚く。
一度、死を覚悟し、それを助けられたからだろうか。それとも、今ここに、いつも私に我慢を強いていた父母や妹がいないからだろうか。
いつもの私よりも前向きな解決法は、私をすこしだけ大胆にさせた。
「ここには……理由があってきたのですが……。もう、いいです」
そう思えば、自然とほほが緩む。
すると、男性は金色の眼を驚いたように見開き……。そして、すぐに目を逸らした。
「……助けられて、よかった」
「はい」
低く呟かれた言葉に、私も頷く。
すると、遠くから馬の足音が聞こえてきて……。どうやらこちらへ向かっているようだ。
「閣下! 一人で行かないでください!」
「……お前らが遅い」
「わかっています、そうでしょうとも! ですが、閣下が一人でなにもかも終わらせてしまっては、我々の立場がないんですよ!」
馬は五頭ほど。それに跨る青年たちは、立派な制服を着ていた。馬装もしっかりとしてあり、それなりの身分があることが見て取れた。
そんな中で先頭を走っていた青年が、私を抱き上げる男性へ声をかける。
気安いような、しかし、上下関係があるような……。
そして、なによりも気になったのは、男性への敬称。
「かっか……?」
理解が追い付かず、ぽかんとし、男性を見上げる。
鮮やかな赤い髪と鋭い金色の眼。立派な体格の男性だ。木の根を切り払い、幹を砕き折った。その力強い腕は飾りではなく、相当な訓練を積んでいるのだろう。
そして――立派な制服。黒を基調とし、金色の刺繍やボタンがついた服は、馬に乗った青年たちよりも、より質がいいものに見えた。
「それにしても嘆かわしい!」
こちらまで馬で走り寄った青年たちが、馬から降りる。
一人は私たちのところへ。あとの四人は周りを警戒しながら、情報を集めているようだった。
私たちのところまでやってきた茶色い髪の青年は、はぁぁあと大きなため息をつくと、右手で頭を抱えた。
「ついに女性を攫ったのですか! 閣下に女性が寄り付かないのは閣下の顔と性格と体格と威圧感とその他すべての問題ですが、だからといって女性を攫うなど、恥ずべきことです!」
「……攫っていない」
茶色い髪の青年に詰められた男性は首を横に振った。
そう。きっと茶色い髪の青年が『攫った女性』と言っているのは、私のことだろう。
なので、私も一緒に首を横に振る。
私は……攫われていたわけではなく……。
「ここにいた」
「そんなわけないでしょう! 魔物の棲む森にこんな妙齢の女性が入り込むなんて……!!」
茶色い髪の青年は、頭から手を離すと、さらにきつく男性に詰め寄ろうとした。しかし、それを制するように、別の青年が一枚の書類を差し出した。
それは――
「……えっ……これは……王命の……?」
――国王陛下の勅書。
私の小さなトランクから飛び出したそれを、青年が捜し出したのだろう。
それは父からメリルとして嫁げ、そして死ね、と言って渡されたものだ。
……そう。私はそれを持って、ここで死ぬはずだった。
勅書を持ったまま死ねば、いずれ、メリルだとわかるだろう、と。よしんばそれが勅書が見つからなかったとしても、メリルに持たせたのだと言えば、父たちが困ることはない。
木の根で串刺しにされたそれは、穴が空いていたけれど、国王の御璽は読み取ることができたのだろう。
茶色い髪の青年はまじまじとそれを眺めている。
「……閣下」
「どうした」
茶色い髪の青年の視線が、何度も勅書と私を行き来する。
そして、自分を納得させるように頷いたあと、男性を見上げた。
「閣下が腕に抱きしめているその女性ですが、エバーランド伯爵令嬢だと思われます。先日、王命があったでしょう。結婚しろ、と」
血の気が……引いていく。
体の中心から冷えてき、手からは冷汗が止まらない。
別人として……生きていこうと思った。ここで助けられたことを糧に、別の人生を送れたら、と。
でも、きっと……そんなこと、私には許されていなくて……。
「穴が空いて、魔物の痕もあるため、名前のあたりが読み取りにくいですが。……『エバーランド伯爵家の娘、リル・エバーランド。ハイルド・ナイン辺境伯への輿入れをせよ』と。そう、ここにあります」
胸がドクドクと嫌な音を立てる。
ここまで来たらわかってしまった。
ここ辺境伯領で『閣下』と呼ばれる人物。王命で……エバーランド伯爵令嬢と結婚しろと言われている人物。
そんな人は一人しか思い浮かばない。
私を助けた人物。この人が……。
――冷酷と噂される辺境伯、ハイルド・ナイン。
「あなたは、私の妻か……?」
鋭い金色の眼に聞かれて……。
私は目をさまよわせながら、「はい……」と答えるしかできなかった。