くるみのバタークッキー
お礼番外編です
ある日の昼下がり。
私は一冊の本を手にし、そわそわと室内を歩き回る。
この本に、恋人はプレゼントを贈り合うことで、仲を深めると書いてあった。それを読み、ふと私は思ったのだ。
――ハイルド様に、なにか贈りたい、と。
思い返してみれば、私はもらってばかりで、ハイルド様に贈りものと呼ばれるようなことをしていない。
もらったから返す。そういったことではなく、その本を読んだとき、素直にハイルド様にプレゼントを渡したいと思ったのだ。……ハイルド様の喜ぶ顔が見たい。
そこで、午前中の忙しい時間を過ぎたあと、マチルダに相談することにしたのだ。
もうすこしでマチルダが来る。
こんな相談をしてマチルダに迷惑ではないか。そもそもハイルド様が私からの贈りもので喜んでくれるのか。どちらも自信が持てず、さきほどから落ち着かない。
何週目かの室内の巡回ののち、コンコンッと軽やかなノックの音が響いた。
「っはい!」
「マチルダです。御用を聞きにまいりました」
びくっと体を跳ねさせたあと、自分を落ち着かせるように息を吐く。
そして、扉を開き、マチルダを招き入れた。
リルの私室。今は最初に使っていた部屋よりも広くなっている。
そのソファとティーテーブルのある場所へとマチルダと移動した。三人掛けのソファへと横並びで座れば、いつもの定位置にすこしだけ、そわそわした気持ちが落ち着いた気がした。
「忙しいのにごめんなさい。……マチルダに相談したいことがあったのです」
「私に、ですか?」
「ハイルド様のことで……。あの、……っ、……ハイルド様に、っ贈りものを、したいな、と」
目を伏せ、恐る恐る、提案する。
マチルダならば、私をバカにして笑うようなことはないだろうが、気を遣わせてしまうかもしれない。
ハイルド様が私からの贈り物がいらないとしても、マチルダはそれを私にどう伝えていいか考えてしまうだろう。マチルダの榛色の目が困ったような色になるのを見るのが怖くて、顔を上げられない。
すると、マチルダは「わぁ!」と歓声を上げた。
「それはとてもすばらしい考えかと! 祝杯、祝杯を上げなくては……!」
思ってもみなかった発言に慌ててマチルダの顔を見る。マチルダの表情は……とてもうれしそうだ。にこにこと笑っている。
そして、今にも立ち上がり、駆け出しそうだ。
「ま、待ってマチルダ。その、……ハイルド様は、私が贈りものをしたとして、喜んでくれるでしょうか」
マチルダの腕に手を添えて、そっと言葉を零す。
立ち上がろうとしていたマチルダは驚いたように目を瞠ると、私の手をそっと握った。
「リル様が不安に思うことはありません。閣下は絶対、必ず、間違いなく! 喜びます」
マチルダはそう言い切った。
マチルダの言葉にほっと胸を撫でおろす。そして、あまりにもはっきりとした言葉に自然と笑みが漏れた。
そして、ようやく本題に入る。
「それならば、ハイルド様にどんなものを贈ればいいか、マチルダにアイディアをもらいたいのです」
私の言葉にマチルダは「うーん」と考え込んだ。
「騎士に贈るものといえば……剣につける飾り紐、乗馬用の革の手袋。あとは……カフスボタンやネクタイピン……」
「いろいろあるんですね……」
マチルダが次々と品名を挙げるので、ふんふんと頷く。
どうやら定番の贈りものというのがあるようだ。
「あー、でも挙げたものはですね、友人や兄弟、親や子に贈ることも多いので、閣下とリル様のような、愛し合う二人が贈り合うものかどうかは定かではありません」
「あ、愛し合う、ですか」
マチルダの言葉に頬が熱くなる。
マチルダはそんな私を優しい眼差しで見つめると、「それでですね」と言葉を続けた。
「私はあまりそういうのに詳しくありません。ほかの騎士に知恵を借りてもいいですか?」
「ほかの騎士?」
「はい。ジャックは私と同じく役立たずですが、コニーやエド、ゴランであれば、リル様のお役に立てるはずです」
「……わかりました。みなさんの迷惑にならなければ」
「迷惑だなんてとんでもないです! みんなウキウキで考えると思います。さっそく聞いてきますので、しばしお待ちを!」
マチルダはそう言うと、素早く立ち上がり、部屋を出て行った。
そして、すぐにみんなを集めて、私の部屋で話し合いをする。騎士たちは作戦会議だ! と張り切ってくれた。
そこで、決まったことは――
「で、だ。つまりここ数日、騎士たちがこの屋敷に入り浸り、シェリルがキッチンにいたのは、これを作っていたからなんだな」
――作戦会議から五日後。
私は、皿の上にきれいに並べたクッキーを持って、ハイルド様の部屋を訪ねていた。
「くるみのバタークッキーです。……あの、ハイルド様がナッツがお好きだと聞きました。いつも料理を作ってくれる方に話を聞いたり、お菓子の本を読んで、作りました。……うまくできるまでの味見はみなさんがしてくれたので、……あの、毒があったり、体がおかしくなったり、そういうことは……ないと……思うのです……が……」
ハイルド様の扉の前。私はそれ以上、進めなくなり、そのまま言葉を連ねていった。
自分でもどうかと思う言い訳のようなおかしな説明をしながら、語尾がだんだんと小さくなっていく。
みんなはハイルド様は絶対に喜ぶと言ってくれた。クッキーもとてもおいしいと太鼓判を押してくれた。
みんなから勇気をもらってここまで来たが、いざハイルド様を目の前にすると、勝手に頬が熱くなり、胸の鼓動も速くなって、うまく物事を運ぶことができない。
そんな自分の情けなさにますます身が硬くなって、動けなくなっていく。すると……。
「シェリル」
聞こえたのは、甘く優しい声。
幸福に響く、私の名。
「とてもうれしい。……どうしようか。こんなに幸せなことがあるんだな」
そっと頬に手が触れる。
温かくて、大きくて。……私の大好きな感触。
「ありがとう」
ハイルド様はそう言うと、そっと私の頬に口づけを落とす。最初から熱かった頬が、その場所からさらにじわじわと熱が広がった。
耳の奥がドキドキドキとうるさくて、思考がぼんやりと霞む。
「こっちだ」
ハイルド様の声だけはやけに頭に響いて、その声に促されるように、部屋の中を進んでいった。
そうしてエスコートされたのは三人掛けのソファだ。
ぽおっとしたまま座れば、そこはハイルド様の膝の上で……。
「えっ!?」
思わず、声が出た。
わ、私、どうして、ハイルド様の膝の上に……!?
慌てて降りようとすると、ぎゅっとお腹のあたりを抱きしめられた。どうやら、ハイルド様がそこで手を組んだようだ。
「は、イルド、様、その……」
「どうした? シェリル」
甘く優しい声が耳元で響く。
あまりにその音が近くて息を止めれば、喉から「きゅう」と音が鳴った。
そんな自分が恥ずかしくて、さらに体が熱くなった。
「シェリル、あまり動くと危ない」
「そうですね……、いえ、そうではなくっ」
「俺はシェリルが落ちないようにしているから、手を使えない。シェリルのクッキーを食べたいのだが……」
「あ、それならば、私をソファに下ろしていただければ……」
手が空いて、ハイルド様はクッキーを食べられる。
そう思うのに、ハイルド様は私を放してはくれなくて……。
「シェリル。俺にクッキーを食べさせてほしい」
「え、えぇ……!?」
ハイルド様の言葉にびっくりして目を瞬く。
動かせるだけ体と首を動かして、ハイルド様のほうを振り返れば、そこには鋭い金色の眼。その眼が……熱くて。表情が……甘くて。
「うぅ……」
急いで、目を逸らし、前を向く。
そして、手元へと視線を落とした。
きれいな青い花の絵で縁取られた白い皿。金飾も施されていてとても美しい。そこに載ったまんまるのクッキー。私はそれを一つ手に取った。
「……ハイルド様」
おそるおそる、ハイルド様の口へ運ぶ。
ハイルド様は一口かじると、ゆっくりと咀嚼した。そして――
「うまい」
――金色の眼が私を見て蕩ける。
残りのクッキーも食べると、うれしそうに笑った。
そして、また、私の頬に口づけをする。
「……甘いな」
甘いのはハイルド様のほうだ、と。
そう言いたいけれど、私はもうなにも言葉にできなくて……。
熱い頬を持て余した私は、ぎゅうと目を瞑った。
みなさんに応援していただき、書籍化とコミカライズが決定しました。
Mノベルスf様より、2/10発売予定です。
↓書影あり。シェリルもハイルドも最高…
お手にとっていただけるとうれしいです。
詳細は活動報告にて。