14話
「ハイルド様……」
ハイルド様の私室。渡された書状を手に、私は目の前が暗くなっていくのを感じた。
ハイルド様と思いを通じ合わせたのは一週間ほど前。
私は客間から、主寝室の隣の部屋へと移動した。そこは正式な妻の部屋だ。
ここに移るとジャック、マチルダとコニーに伝えたとき、みんなは歓声を上げて喜んでくれた。
そして、程なくして、エバーランド伯爵領から二人の騎士が帰ってきた。
若い青年の騎士エドと、年嵩の騎士ゴランだ。
二人はハイルド様に言われ、この輿入れがどういう経緯で行われたか、『宝石姫』がどのような人物かなど、伯爵家について調べていたらしい。
やはり、私が妹の代わりに嫁いだことは、すぐに露見することだったのだ。
二人は最初、私を見て「「あー!」」と声を上げた。そして、私とハイルド様を見て「「えー?」」となり、今では私が『シェリル』のまま、ここにいることを支持してくれている。
二人は伯爵家での私の扱いを知っているようで、この告訴状にも思うことがあるようで――
「こんなものを寄越すなんて……あの、伯爵家は本当に……っ! ああ、シェリル様の顔がこんなに曇って……!」
長い髪を一括りにした若い青年の騎士、エドはため息を吐いて、顔を覆う。
「本当に……調査通りのやつらだな……」
年嵩の騎士のゴランはそう言うと、拳をポキポキポキと鳴らす。
ジャックとマチルダ、コニーも部屋にいて、心配そうに私を見ていた。
「シェリル。この書状をあなたに見せたのは、あなたにも知る権利があるだろうと思ったからだ」
「……はい」
「これは正式な告訴状の体裁をとっている。内容は酷いものではあるが、突飛でだれにも信用されないというものではない」
「はい……」
そう。この告訴状は私にとってつらい内容が書かれている上、一笑して終わりというようなものではない。
訴えられているのは、辺境伯領主であるハイルド様。そして、訴えたのはエバーランド領主の伯爵だ。
国王が伯爵側を支持し、訴えを認め、ハイルド様に命じれば、父の考え通りに動かなければならない。
訴えに対し、返答を準備して戦う必要があるが、今はまだショックのほうが大きく、頭がうまく回らなくて……。
「シェリル、なにも問題はない」
そんな私を、ハイルド様はそっと抱きしめてくれる。
「……この訴えを棄却できる準備はできている」
「そう……なんですね……」
「あなたの家族が、このまま俺とシェリルのことに手出しをしないならば、どう動くかは俺も考えようと思っていた。……シェリルに心労をかけたくない」
「はい……」
「だが、こうなってしまっては、やはり戦うしかないだろうと考えている」
「……はい」
家族のこと……そのままにしておこうと思っていた。
私はハイルド様のもとに輿入れするという幸運を手にし、ハイルド様とともに生きていく道を選んだのだから。
放っておいてくれればよかったのに……。
家族はそれも許してはくれない。
「魔塵のマッチはすでに陛下も使用され、非常に喜ばれている。その権利がシェリルにあることも伝えた。貴族たちへも広がり、エバーランド伯爵もそれを知ったのだろう」
「……そして、それが欲しくなったのですね」
私が作ったものであれば、伯爵家に権利がある、と。
父母であれば、たしかにそう思うはずだ。
「告訴状にはシェリルが自分を偽り、婚姻したとされている。そして、それは誤りであるから、勅書の通りに妹を娶れ、と」
「は、い」
「これは俺に関係のあることだ。俺はシェリルだから選んだ。シェリルがここに輿入れした経緯についてはあなたから聞き、さらにエドとゴランが調べた情報もある。俺は、もう二度と伯爵家はそんなことを言えないようにするつもりだ」
ハイルド様の鋭い金色の眼。それがぎらと光った気がした。
そこにあるのは……怒り。
ハイルド様は一瞬現れたそれをすぐに消すと、私を見つめ、言葉を続けた。
「魔塵のマッチの権利については、シェリルに権利がある。シェリルが伯爵家のものにしたいと思えば、それで構わない」
「……いいのですか?」
驚いて目を瞠る。
ハイルド様はそれに当然のように頷いた。
「魔塵のマッチの権利はシェリルが持っている。どう扱うかはシェリルが決めることだ」
「はい……」
「俺やジャック、ほかの騎士たちもシェリルの相談に乗るし、必ず力になる」
ハイルド様の言葉に、不安で凍えていた心が溶かされていく。
大丈夫だ、と。そして、自分のことは自分で決めていいのだ、と。
だから、自分で考える。
私がやらなくてはならないことを。みんなに相談しなくてはいけないことを。
「……父は魔塵のマッチの権利でなにをするつもりなのでしょうか」
その権利を得たとして、伯爵家では魔塵のマッチは作れない。
魔塵は魔物からしか採れず、魔物は辺境伯領にしか棲んでいないのだから。
ただ、妹が辺境伯領に輿入れし、私が伯爵家に帰り、権利を伯爵家のものにするということならば、魔塵は縁を繋いだ辺境伯領から仕入れ、製造を伯爵領でするつもりなのかもしれない。
「あー、それについてですが、伯爵家は従来のマッチをより広めようとしているようで、すでに工場の建築に入っているということです」
考えながら質問すると、伯爵家に調査に行っていたエドが「はい!」と挙手して、情報をくれる。
私はその言葉に、ふぅとため息が出た。
「従来のマッチは……製造工程で有毒ガスが出るから危険だ、と……。あれほど伝えたのに……」
従来のマッチを普及したい父に、何度も進言した。使用する際に自然発火する危険があるのはもちろんだが、製造の際に出る有毒ガスは労働者を苦しめる。
まさか、それを伯爵領でやろうとしていたなんて……。
だが、今ならまだ間に合う。
すでに工場の建築をしているのならば、多額の資金が動いたはずだ。それを魔塵のマッチの製造に切り替えるために、この告訴状を送ってきたのだろうか。
「……ハイルド様、一つだけ、父に確認をしてもいいでしょうか」
「ああ。シェリルが聞きたいことであれば、聞くべきだ」
「はい。そして……決めようと思います」
父に尋ねよう。魔塵のマッチの権利の使い方を。
もし、伯爵家で製造をしたいというのならば……。ハイルド様と相談して決めよう。
父と娘。そのような関係だから、うまく物事が運ばないこともあったのかもしれない。
辺境伯夫人として……。権利を持った一人の女性として接すれば、あるいは……。
「シェリル。俺はあなたの考えと意見を尊重する」
「はい」
「だが、同時に、あなたの家族については、あなたとは立場が違うということも伝えたい」
「……そう、ですね」
「俺は……端的に言うと、非常に怒っている」
ハイルド様がそう言うと、周りにいた騎士五名も一斉に頷いた。
「俺はシェリルが大切だ。だから……このような、シェリルの意思を無視し、物のように扱うことに、本当に憤っている」
鋭い金色の眼がぎらっと光る。
周りにいた騎士五名もぎらっと目を光らせた。
「優しく、穏やかで聡明なあなたに付け込み、搾取し続ける。そして、甘えた雛鳥は口を開けたまま、肥え太っている」
ハイルド様はそこまで言うと、そっと私の体から距離をとった。
そして、私を見つめる。
「シェリルが……決断をしたとき。俺はあなたが思っているよりも苛烈なことを行うだろう。俺が行うことは、あなたが望んだことよりも、結果として、重大なものになるかもしれない」
金色の瞳が不安そうに揺れた。
「そんな俺を見て……俺が噂通りの人物だったと知るだろう。……俺を怖いと思うかもしれない。それを先に伝えさせてほしい」
「……わかりました」
……ハイルド様は誠実な人だ。
きっと、私に告訴状を見せなくても、私の意思など確認しなくても。ハイルド様であれば、父なんて簡単に失脚させることができるだろう。
私がなにも知らないまま、ハイルド様の苛烈な姿を見ることもないまま、私は今まで通りの日常を過ごすことができる。
けれど、ハイルド様は……。
私に関係のあることだからと説明をしてくれる。
そして、私に見せたくない姿でも、こうして見せてくれる。
そんなハイルド様だから、私は……。
「しっかりと見ます。家族の姿を」
逃げずに。自分の決断を……。
しっかり頷くと、ハイルド様はほっとしたように息を吐いた。
「では、これから忙しくなるぞ。――舞台は一か月後だ」
ハイルド様がそう言うと、騎士五名が「はっ!」と敬礼をした。
「みなには通常業務以外も頼むことが増えるだろう。そして、シェリル。あなたには俺からドレスを贈らせてほしい」
「ドレス、ですか?」
「ああ。シェリルがもっとも美しくなるドレスを一緒に選ぼう」
ハイルド様はそう言うと私をぐっと抱き上げる。
「俺が娶ったのは、たしかに『宝石姫』なのだ、と。陛下にも貴族たちにも……シェリルの家族にも」
鋭い金色の眼がぎらっと光った。
「――全員に認めさせる」