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12話

 その日の夜、私は押し花を作った。

 ハイルド様にもらった青い花を保存しようと思ったのだ。

 ……ハイルド様は強い。

 それは身体的な部分だけではなく、心まですべて。そして、それはハイルド様だけではなく、マチルダやコニー、ジャックも強いと感じる。

 それに比べると、私は……弱い。

 『愛は広がる』と言ったハイルド様の言葉を信じたい、信じようと思っているけれど、つらいことや苦しいことがあったとき、私はそれを信じられなくなるだろう。


 どうして自分だけが……。なぜ自分だけが……。

 こんな世界はいやだ。もっと正しい世界がある。


 そう自分の不幸を嘆き、世界を否定し、恨みだけを募らせる。そういう人間になると思うのだ。

 それが、間違っているわけではないのだろう。

 でも、私は……そうではなく……。ハイルド様のような人間になりたいと思うのだ。


 愛をかき集めて、自分の手に握りしめる人間ではなく……。

 愛を渡せる人間に。

 ……愛が返って来なくても、笑って生きていける人間に。


 だから、この押し花をお守りとして、持っていたい。

 ハイルド様の見せてくれた景色。

 青い花の丘、鮮やかな赤と鋭い金色……、それを忘れないように。あの日に心に咲いた花を枯らさないように。


 そして、翌日からは、魔塵のマッチを完成させるため、ハイルド様と一緒に飛び回った。


 一日目。みんなで朝食を摂り、午後には材木加工所へ行った。軸木の加工について、私は絵を描いたり、材質を伝えたりといろいろと話をさせてもらう。軸木のサンプルをいくつか作ってもらった。

 二日目。魔塵まじんに混ぜる、にかわを見に行こう、と皮革の加工所へと足を運んだ。魔塵は膠によって軸木につけることができ、一見すれば、出回り始めたマッチと同じようなものができた。

 三日目。いくつかできあがった魔塵のマッチで発火テストを行った。……うまくいかない。これまでのマッチはどこで擦っても発火したが、魔塵ではそうはいかないようだ。

 四日目。……やはりうまくいかない。魔塵の量や膠の配合を変えてはいるが、もっと根本的な変更が必要なのかもしれない。

 五日目~十日目。とくに進展なし


 魔塵のマッチの試作であっというまに、時間が過ぎていく。

 気づけば、私が辺境伯領に来て、二週間が経とうとしていた。

 ……時間が足りない。

 辺境伯領から伯爵領までは馬車で一週間ほど。二週間あれば、伯爵領へと行き、ここへ帰ってくることができるだろう。

 きっと、ハイルド様は伯爵領の調査を開始しているはず……。

 ここ二週間、ハイルド様の辺境伯としての手腕を見て、それは確信へと変わっていった。

 最初に魔物の棲む森でハイルド様が私を助けてくれたとき、騎士は五人いた。が、屋敷にジャック、マチルダ、コニーの三人しかいない。あとの二人はきっと……。


 ――急がないと。


 私の嘘が露見するのも、もう遠くない。今日、明日の可能性もおおいにあった。

 伯爵家が王命を違え、妹であるメリルの身代わりとして姉の私が嫁いだことは、必ず白日の下に晒される。

 私が話そうと、黙っていようと、ハイルド様であれば、真実にたどり着くだろう。

 だからこそ、私は嘘をつき続けることを選んだ。


 ……ハイルド様は優しい人だから。


 私が恐れたのは、私の告白によって、魔塵のマッチの開発が遅れること。

 私が妹の身代わりで嫁いだことを知れば、魔塵のマッチよりも、私の状況をなんとかしようとするだろう。

 ……私はもう十分なのだ。

 みんなで囲む食卓。優しい眼差し。温かい手。

 本当にたくさん、たくさん渡してもらった。それが心を満たしているから……。


「……燃えませんね」

「ああ。これまでのマッチは摩擦熱で簡単に火が付いた。低温で発火し、自然発火の危険もある。魔塵のマッチはその危険はないが……」


 十一日目。

 私たちは魔塵のマッチを前にうーんと頭を悩ませていた。

 これまでのマッチはどこで擦っても発火する、とても便利なものだ。そして、だからこそ危険性がある。

 魔塵のマッチは摩擦熱では発火しない。だから危険性はないのだが、発火しなければ意味がないから……。


「行き詰ったときは、逆に考えていくのがいいかもしれない」

「逆に考える?」

「ああ」


 屋敷の一室。今は魔塵のマッチの研究室のようになった部屋のイスに私は座っていた。

 大きな机の反対側にはハイルド様がいて、魔塵のマッチを眺めている。

 ジャックは窓際の小さな机におり、書類などの処理をしているようだ。マチルダとコニーは今はいない。


「……逆に考える……というと……」


 ハイルド様の言葉に、どういうことだろう、と考える。

 つまり……。


「魔塵を摩擦するのではなく、摩擦させるほうにする……? マッチの軸木につけ燃焼材にするのではなく……」


 これまで、魔塵は膠と混ぜ、軸木につけていた。比率を変えたり、新たなものを混ぜたりもしたが、うまくいっていない。

 ならば――


「魔塵を紙などに接着して、紙やすりのようにする。……そこに、燃焼材を塗布した軸木で摩擦するのは……」


 そこまで言うと、ハイルド様がガタンと椅子から立った。

 そして、私のそばまで歩み寄ると、ぐっと私を抱き上げる。そして、ぐるりと一回転して……。


「リルは素晴らしいな」


 金色の瞳がきらきらと輝く。

 そして、はっと気づいたように大きくなった。

 これは……魔物の棲む森と同じ。私の些細な一言をハイルド様が聞いて、信じてくれたときと同じ表情だ。

 思わず私を抱き上げてしまったハイルド様はしょんぼりしてこう言う。「怖かったな」と。

 だから、私は先に言葉を伝えることにした。


「……怖くないです」


 ……あなたが信じてくれるから。

 あなたが喜んでくれるから。


 思わず、くすくすと笑うと、ハイルド様は、ほっとしたように息を吐いた。


「……そうか」


 二人で見つめ合う。すると――


「あー……お邪魔だとは思うのですが、その、先ほどのリル様の説明、もう一度お願いできますか?」


 ジャックが手に紙を持ち、すぐそばに立っていた。

 ハイルド様は私をそっと地面に下ろし、私はジャックに思いついたことを説明していく。

 そこからすぐに試作に入り、また材木加工所や皮革の加工所、今度は採石場へも足を運んだ。

 そうして――


 十二日目。私が伯爵領へ来て二週間。

 屋敷の庭で、私はそれを持っていた。


「これが……魔塵のマッチ……」


 私が手にしたのは小さな紙の箱。箱の側面は紫色に輝いていた。

 木の箱をスライドさせれば、中には青いマッチが入っている。この青い部分は火山から採れた石の粉や洗濯に使っていたさらし粉から作ったものを混ぜ、膠でまとめた。

 それを一本取り出し、木の机のざらざらした部分で擦る。


「……燃えません」


 青いマッチは、摩擦で青い部分が剥げたが、発火することはない。

 私はそれを今度は、マッチの箱の側面、紫色に輝く部分へと当てた。

 そして、勢いよく下に向かって擦れば――


「燃えました……!」


 ポッと音が鳴り、マッチが大きく燃える。しかし、それは一瞬で、火はすぐに落ち着き、軸木をじんわりと焼いていった。


「やりましたね、リル様!」

「わぁ! すごーい!!」

「やっと……。閣下から言われたときにはどうしようかと思いました」


 騎士たちの声を聞きながら、準備していた焚き木にマッチを投げる。

 マッチはおがくずに燃え移り、そこから出た炎が薪を燃やしていった。

 その炎を見ると、胸がぎゅっと熱くなった。


「ハイルド様……!」

「リル、できたな」


 隣を見上げれば、ハイルド様は「ああ」と頷いた。


「自然発火はしない。有毒ガスも発生しない。これがあれば、火付けの作業が大幅に楽になる。みな、喜ぶ」

「……はい」


 利用価値がなかった魔塵。

 なんの役にも立たず、なにも残さず……ただ消えていくだけの存在だった。

 私の姿を重ねたそれが、今、人々の役に立つものへ変わろうとしていて……。


「……ハイルド様。お願いがあります」

「どうした?」

「あの、花の咲く丘に連れて行ってほしいのです。……伝えたいことが、あります」


 焚き火の炎に当たりながら、私はそうハイルド様に伝えた。

 ハイルド様は了承してくれ、夕方には、丘へ向かうことができた。

 青い花の咲く丘は、一度目と同じようにとてもきれいだ。

 一度目と違うのは、空の色。きょうは夕焼けでオレンジ色に染まっている。

 そして、もう一つ違うのは、私の髪色。銀色になった髪が風にそよそよと揺れた。


「リル。これを受け取ってほしい」


 丘に着き、馬から降りたハイルド様は私に一冊の本を渡した。

 これは……?


「ここを読んでくれ」


 ハイルド様はそういうと、本のしおり紐を使い、本を広げた。

 そこに書かれていたのは……魔塵?


「これは魔物についての生態を書いた本だ。そしてここには魔塵のことが書いてある」


 ハイルド様が指差した場所を目でたどり、内容を読んでいく。

 『魔塵は利用価値はなく、燃やして破棄をする』。それはハイルド様が説明してくれた通り。でも、その下に手書きで文が書き足されていて……。


「『魔塵は長らく利用価値はないと思われていたが、現在では安全なマッチの材料として広く普及している』……これは……?」

「この本はじきにその文が追加される」


 ハイルド様の言葉はわかる。わかるけど理解できなくて、ハイルド様と本との間で視線が交互に動く。

 ハイルド様はそんな私を見て、やわらかく微笑むと、そっと告げた。


「ここには、あなたの名前が載る」

「わ、たしの……」

「そうだ。発案者である、あなたの名前だ」


 ああ……なんて……。

 なんて幸福な言葉だろう。

 家族の愛がほしいと溺れ、なにも残せないと嘆き、なにも手に入れられない悲しみと痛みに泣いていた私が……。

 そんな私に……この人は……。


「……ハイルド様、私は嘘をついていました」


 ありがとう。たくさんの愛を渡してくれて……。

 ありがとう。たくさんの色を教えてくれて……。


 なにも返せなくて、ごめんなさい。

 なにも返さなくていいと、あなたは言うのだろうけど……。

 でも……。せめて、魔塵のマッチが……。ここ辺境伯領で役に立ち、あなたの幸せに繋がってくれればいい、と。


「ここに嫁ぐはずだったのは……。伯爵家が勅書にて輿入れすることを伝えられたのは――『メリル・エバーランド』」


 だから……さよなら、です。


「『メリル・エバーランド』は私の妹」


 『エバーランドの宝石姫』。美しくだれからも愛される妹。

 そして、私は――


「私は妹の身代わりでやってきた、姉なのです」

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【2/10発売】【コミカライズ進行中】
「お前が代わりに死ね」と言われた私
― 新着の感想 ―
[一言] 続きが気になる!頑張ってください!
[一言] ついに告白した!? 旦那様の反応が気になる!?
[一言] だいたいのお話だとバレてから揉めるパターンが多いので主人公に、好感が持てます。それにその方がいつまでも怯えて暮らさなくてもいいし、相手に対して誠実ですよね。 でもヒーローは『伯爵家の宝石を…
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