11話
マチルダの言葉に、私の胸がぐっと痛んだ。
『エバーランド伯爵家の宝石姫』。それは、妹のメリル・エバーランドのことだからだ。
金色の豊かな髪にきらきらと輝く碧色の瞳。メリルの美しさは社交界で評判であり、また、父や母もそれを自慢して言い回っていた。
父母と妹が華やかな社交に出かけている間、私は家に残る。
父は私に仕事を命じ、母は私のことを恥ずかしいから連れていけないと言った。そして、妹は――
『お姉さまの髪の色、どうしてそんな色なの? 私の隣に立たないでね』
そう言って、眉を顰めた。
だから私は髪色を変えることにしたのだ。妹が私の髪を見て嫌な顔をするのならば、この髪色を変えればいい、と……。
色粉で砂色にしてから、妹は髪のことは言わなくなった。
それ以来、ずっとそのままにしていたが……。
――もうやめよう、と。
丘から帰ってきて、自然に思えた。
そして……。
「『宝石姫』について知っていたのですね」
ハイルド様は社交パーティーなどにはほとんど顔を出さないことで有名だった。
そもそも領地が遠いこともあり、エバーランド伯爵家との交流はなく、ハイルド様の酷い噂を父母と妹は信じ切っていた。
だから、ハイルド様も『宝石姫』のことは知らないんだろうと思っていたが……。
マチルダに尋ねると、「はい」と頷く。
「勅書にそう記載されていたのです。『エバーランド伯爵家の宝石姫を送る』と。……閣下と国王陛下は気心が知れた仲でして、きっと閣下がこの年まで独り身であることを心配し、そういう気遣いをされたのかもしれません」
「……そうですか。勅書には『宝石姫』と」
エバーランド伯爵家に届いた書面と比べると、なんとも気安い。勅書というよりは私書のようだ。
マチルダが言うように、ハイルド様と国王はそれだけ仲がいいのだろう。
今回、妹に白羽の矢が立ったのも、『宝石姫』の噂を聞いたり、妹が国王に拝謁した際、ハイルド様にふさわしいと選んだからだろう。
「それにしても、リル様、どうして髪色を変えていたのですか?」
マチルダのもっともな疑問。
胸がじくじくと痛む。
魔物の棲む森で感じた、悲しみと痛み。それはすぐに消えていくわけではなく、今も同じように胸を締め付けた。
……もしかしたら、ずっと残り続けるのかもしれない。
幼いころの私は今も胸の中にずっといる。叶わなかった愛に悲しみ、痛みを訴えている。
「銀色の髪のままでは、叶わない夢がありました。だから、私は……その願いを叶えたくて……。ずっと諦められなくて……。この髪色のまま、ここに来てしまいました」
伯爵家を出るのだから、妹の希望を聞いて砂色の髪のままいる必要はないのに……。それでも、私は旅の最中に色粉を落とすことはなかった。自分自身ではわかっていなかったけれど、まだ諦めきれなかったからだろう。
姿見に映っているのは銀色の髪に青い目をした私。悲しみと痛みで瞳はゆらゆらと揺れていたが、思っていたよりは酷い顔をしていない。
悲しみも痛みも抱えて……。それでも――
「……それを、手放そうと思いました」
――家族に、さよならを。
「マチルダ、髪を洗ってくれてありがとうございました」
そう告げると、マチルダは眉をきゅっと寄せた。
マチルダがなにか言おうと口を開く、その瞬間、扉をコンコンとノックされた。
「リル、いるか?」
低く落ち着いた声はハイルド様だ。
マチルダの視線が私と扉を行き来する。きっと私になにか言葉を返そうとしていたのに伝えられなかったことや、今、ハイルド様を部屋に入れてもいいのか逡巡しているのだろう。
大丈夫、と気持ちを伝えるために頷けば、マチルダは扉へと向かった。
そして、ハイルド様が入ってきて――
「休息中にすまない。魔塵のことで、話をしたい」
「はい」
頷けば、ハイルド様は私を姿見の前から、ソファへとエスコートしてくれた。一人掛けのソファにそれぞれ座れば、さっそくハイルド様が魔塵の話を始める。
「マッチについてジャックと調べたが、魔塵を膠で軸木に接着するとできそうだ。明日、材木加工所へ行くことにした」
「材木加工所へ……」
「ああ、軸木に必要な加工を頼もうと思う」
……ハイルド様はすごい方だと思う。
私の言葉を聞き、すぐにそれが実行可能かどうか判断し、筆頭騎士であるジャックへと相談する。そして、どうすれば実行できるか具体策を考える。
そして、明日にはもうその具体策の実現へ移るのだ。
これが……領主の手腕というものなのだろう。
伯爵家の当主であり、領主である父は……そういうのがすこしずつ遅かった。
大雨で災害が起こったとき、領内の村で火災が大規模になってしまったとき。私はすこしでも早い事務処理をし、救済を行うため、何度も父へと願い、その度に邪険にされていたが……。
「リルも明日、一緒に行ってくれないか?」
「私が……?」
ハイルド様の誘いに、驚いて目を瞠る。
すると、ハイルド様は「ああ」と頷いた。
「魔塵をマッチに使うのを発案したのはリルだ。リルはマッチの現物を見たことはあるか?」
「はい……、伯爵家で……」
どこからか父がマッチを手に入れて、それを領内に広めようと言い出したのだ。安全面に注意が必要なため、やめたほうがいいのではないかと伝えはしたが、当然のように私の意見は一蹴された。
でも、ハイルド様はマッチの危険性をわかっていた。
その上で今、安全なマッチを作ろうとしている。私の……ただの思い付きをもとに。
そして――
「リルがいると心強い」
「は、い……」
「一緒に来てほしい」
――私の力を信じてくれる。
それが……うれしくて。
父母や妹は家の中での仕事を私にさせてはいたが、決して外へ連れ出すことはなかった。
私は伯爵家にとって恥ずかしい人間で、私が出ることは迷惑になるのだから、それが普通だと思い込んでいたのだ。
ハイルド様はそんな私の考えをあっというまに壊していく。私がいると心強い、と。一緒に来てほしい、と……。
――胸が震える。
私も知らなかった私がそこにいる。
自分には力がある、と。力を試してみたい、と前を向く私が……。
「ハイルド様……。私も行きます。――行きたい、です」
「ああ、一緒に行こう」
私の答えを聞いて、ハイルド様は金色の眼を優しくやわらげた。
すると、私たちのやりとりを聞いていたマチルダがそっと頭を押さえて……。
「閣下……。なぜ……。今日は魔物の森。明日は材木所……。なぜお二人で出かける場所はそういうところに……。もっと、この地には素敵な場所があるのに……」
そして、キッと顔を上げると、ハイルド様に詰め寄った。
「それにしても閣下……!」
「……どうした、マチルダ?」
「リル様を見て、なにかおっしゃることはないんですか!?」
「リルを見て……」
じれたようなマチルダの叫びに、ハイルド様は驚いたようだった。
ハイルド様は部屋に入ったときから、私を見ていたはずだ。だが、マチルダに言われ、正面のソファに座っていたハイルド様はじっと私を見つめる。
そして、しばらく私を見つめたあと、合点がいったように頷いた。
「髪色を変えたんだな」
「……はい」
……たったそれだけ。
私の髪が砂色から銀色に変わっても、ハイルド様は本当にそれしか感じていないようで……。
「閣下ぁ……‼ もっと! もっと言うべきことがあるのでは……!?」
マチルダがううっと頭を抱える。ハイルド様の言葉に不満があるのだろう。
でも……私は……。
「……髪色を、変えました」
ハイルド様の言葉が妙に腑に落ちて……。
そう。髪色が変わっただけ。
妹も……私も。なぜたったそれだけのことに、こんなに必死になっていたんだろう。髪の色を変えたって、私のなにかが変わるわけではないのに。
ハイルド様が私の髪色について、あまりにも反応が鈍いから……。だから、自然と頬がほころんで……。
「リル……」
「リル様っ……!」
気づいたら私はくすくすと笑顔を浮かべていた。